第陸拾弐話:明日を捨てた者たち

 長尾晴景は自らが正しいと考える道を進もうと思っていた。東西を眺めても力があり急伸する大名は皆、戦とは違うところでの強さを持っていた。農業生産力、金山銀山などの土地の価値もそうだが、湊や往還を活用した貿易のようなインフラを整備することにより、より大きな財を築くことで地力を上げている者も多い。

 農業生産力も従来では富める土地ではない、とされていた土地も治水事業などをすることで生産力が跳ね上がった事例もある。

 越後には湊があり、長尾家が直接管理出来ていないとは言え金山銀山もある。さらに言えば青苧による貿易の収益は特筆すべきものだろう。ポテンシャルのある土地なのだ。あとは農業生産力、湿地帯で長年農業面では苦心していたが、治水技術の進歩や各国の事例からも、手を加えることは出来る、と晴景は考えていた。

 今は米の取れぬ土地だが、米どころと成ることすら出来ると思っていたのだ。

 そうすれば無茶な税率を課して徴収せずとも、少ない税率であっても国家の運営は上手くいく。正しいやり方をすれば、戦いなどせずとも畿内の国々にも負けぬ一等国になる道はあったのだ。知恵と根気、明日のために苦心する覚悟があれば。

「晴景、覚悟ォ!」

 晴景にはそれがあった。

「……これが結果だ」

 晴景にしか、それはなかったのだ。

 晴景は斬りかかって来る兵の手首を掴み、捻り上げる。

「あ、ぎ」

 そのまま捩じ切るぐらいの力で、敵の腕をへし折った。敵の絶叫が響き渡る。その醜い叫びを遮るかのように、晴景は刀ではなく拳を敵の顔面に叩き込む。黙れ、言外にそれを表しながら、めちゃりという音を立て、敵兵は崩れ落ちた。

 顔面は痛々しく陥没し、鼻も潰されたがゆえに呼吸も出来ていない。

「結局、父上が正しかったのだろう。虎千代が正しかったのだろう。言ってもわからぬなら、力で黙らせるしかない。それが、世の常、か」

 晴景の背後には幾人もの刺殺体が並ぶ。

「私も、そうすべきであったのだろうな。今更、だが」

 正しく在ろうと己を律した。力で解決するのでは意味が無い。押し付けたところでやる気など湧かない。何かを変えるには断固たる覚悟が必要なのだ。皆で変えるのだ、そのために根気強く言葉で接してきた。

 その結果が、これ。

「……晴景だ! 殺、せ」

「何故黙る? 其の方らが望んだ姿であろう?」

 血まみれの獣は貌をぐにゃりと歪ませる。

 咄嗟に兵は彼を槍で突くも、あっさりと抱え込むように槍を掴まれ、そのまま片手で刀を相手の頭に叩き込む。鎧であればまだしも、笠程度で防げるような威力ではなかった。頭を割り、胸の中頃で刀が停止する。

 晴景はそれを捨て、敵兵から槍を奪い、襲い来る者たちへ向かい合う。

 言っても聞かぬのなら、

「これで望み通り、だ」

 力で従わせるしかない。

 長尾晴景が当主を代行し、家督を継ぎ、先頭を走り続けてもう十年近くたつ。もちろんその半分は為景が主であったが、それでも自分はブレなかった。父は己のやることに否とは言わなかったし、助力もしてくれていた。

 父も力だけでは駄目なのだと、理解していたのだ。いつか皆もわかってくれる。いつか、いつか、その結末がこれでは、何のための自律であったか。

 こんなことならばもっと早く、こうして楽な方法を選ぶべきであった。

「御屋形様! こちらにおられましたか!」

「新兵衛か。よくぞ無事であった」

「それはこちら、の――」

 金津義旧は御屋形様、長尾晴景の背後を見てぎょっとする。普段温和で、滅多に刀を抜くこともなく、荒事は嫌い、もしくは苦手なのだと思っていた。

 だが、そんなはずがなかったのだ。

 蛙の子は蛙。

「春日山は放棄する。あくまで一時的に、だ。必ず返してもらおう。黒田如きに越後は重過ぎる。そして、ふふ、私にも、か」

 虎の子は、虎。

(いったいこの御方は、何人殺してここまで来たのだ?)

 長尾為景の子、長尾晴景は虚ろな目をしながら、濃密な死臭を携え金津がまとめてきた者たちを従え、先頭に立つ。

 そこに温和で理知的な男は、いない。

「新兵衛。守護殿はどちらに?」

「探らせておりますが、館には不在。すでに春日山を出られたようです」

「……やはり、か」

 ギリ、と歯噛みし晴景は顔を歪める。黒田も馬鹿ではない。あれでも越後の重臣、何の後ろ盾もなく蛮行に及ぶほど阿呆ではないだろう。

「綾は?」

「わかりません。今は混乱もひどく……誰ぞの手で救出されていれば良いのですが。まさか御屋形様は、栖吉の方ではなく上田に向かわれるおつもりで?」

「ああ。その時に綾がいれば、と思っていたのだが」

「何故ですか? 関係性で言えば栖吉の方が良好かと思うのですが」

「守護殿と合流され、暗躍されてもつまらんだろう? 私が其処まで逃げ延びたなら、彼らも無下には出来ぬはず。死なば守護を利用していた不忠者とされようが、生きていれば腐っても守護代、そこに守護もおれば、大義は失わぬ」

「……なるほど」

 守護のそばにいることで、守護と共に追いやられたという構図を守ることが出来る。もしかすると上田長尾も敵方かもしれないが、どちらにせよ守護の側に立つ限り、表立っては誰も手を出すことが出来ない。

 例えこの乱の仕掛け人が守護であったとしても、彼がそれを明かさぬ限り共に在れば『味方』、となる。明かせば角が立つことを、あの男はしない。

 いや、出来ない。

「愚かな男だな」

「まことでありますな。こんな見え見えの仕掛けを」

「違う」

「……?」

「私を引き摺り下ろした先に何が待ち受けているのか、理解出来ておらぬからこのような動きを取るのだ。揚北衆ですら……動かなかったというのに」

 晴景は嗤う。器足らずの、愚行を。

「上田へ退きながら守護殿の足取りを追う」

「承知」

「新兵衛、ぬしも館や妻子のことが心配であろうが、今しばらくまとまりを得るまでは励んでもらうぞ、よいな」

「無論。あれも勘の良い女です。すでに逃げておる頃でしょう。息子に関してもすでに一人の武士、何も心配しておりませぬ」

「……そうだな」

 晴景は先頭に立って皆を率い、少しでも多くの味方をまとめんとする。


     ○


 金津弥太郎は綾を守りながら春日山の脱出を目指していた。関東との境目近くを守る上田長尾の領地、そこにさえ辿り着けば彼女は安泰である。如何にこの状況であろうと、いや、この状況であるからこそ、見捨てることは出来ない。

 むしろ大義を考えれば――

「くっ、ここにも黒田の兵が」

「こっちにも!」

「ぬかったか⁉」

 囲まれる、弥太郎は顔を歪めた。命を賭して守ると決めたが、このままでは無駄死にとなってしまう。せめて活路さえあれば――

「……!」

 その時、綾が見ていた敵の一角が崩れる。飛び込んできたのは弥太郎や綾も知る人物であった。非常に目力の強い若武者、長尾家重臣斎藤家の次期後継者、

「……!」

 斎藤定信の子、斎藤朝信である。

「斎藤殿!」

「……⁉」

 朝信は豪快に敵方を切り崩しながら、物凄い勢いで近づいてくる。

 顔は迫真、されど声は、こう、

「……!!」

 顔の煩さに反して、小さかった。

「あ、ああ。姫様は無事だ。御屋形様は? そうか、上田の方へ。それは好都合だ。斎藤殿、某の願いを聞いてくれるか?」

 弥太郎は別方向より来る敵兵を打ち倒しながら、

「姫様を無事、上田荘へ送り届けて欲しい」

「……!」

「某は問題ない。ここの連中をしばらく止めた後、上手く逃げて見せる」

「駄目よ、弥太郎!」

「姫様は足手まといなのです!」

「ッ⁉」

「もう、あの頃とは違います。私も姫様よりもずっと強くなった。姫様はもう、武人にはなれませぬ。姫として、責務をお果たし下さい!」

 弥太郎は力強く、槍を振るう。

「私一人なら逃げられるのです。なに、すぐに追いかけますとも」

 そして安心して欲しい、と彼女に笑みを見せて、

「斎藤殿!」

「……!」

 朝信に大事な人を託す。自分一人で守るよりも、多少でも手勢を引き連れている朝信と共にいた方が生還の確率が高いと彼は判断したのだ。

 そしてその確率を上げる方法も、すでに考えついている。

「我が名は長尾家客将、金津新兵衛が息子、金津弥太郎なり! 金津家は清和源氏が平賀氏の流れを汲む名門であるぞ! 名を上げたくばかかってこい!」

 それは、

「……!」

「弥太郎!」

 自らが囮として、敵を惹きつけること。

「どうしたどうした、怖気づいたか!」

 これが金津弥太郎の選んだ道。愛する人と共に生きることは出来ない。それはもうずっと前に諦めている。自分は客将、如何なる家柄であっても、越後では余所者に過ぎない。彼女と並ぶ明日は、無い。

 ゆえに弥太郎は微笑む。

(いざ、さらば)

 その槍の一突き、一振りが、彼女の糧になるのだから。

 脳裏に浮かぶは彼女が野山を駆け回り、弓を射る姿。

『どうだ、弥太郎!』

 今もあの美しい背が、笑みが、頭の中に、眼に、焼き付いて離れない。

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