第陸拾壱話:黒田の乱
天文十四年十月、越後上杉家の重臣黒田秀忠、春日山にて謀反。
「……さすがにやりますな」
「黒田ァ」
重臣とは言え、何故いち家臣でしかない黒田秀忠が越後長尾家の本拠地である春日山で謀反を成し遂げられたのかはわからない。だが、黒田秀忠が謀反を起こし、長尾家に一定の被害を与えたことは紛れもない事実である。
何せ――
「くそ、どうなっているんだ⁉」
長尾景康。
「ここは春日山だぞ!」
長尾景房。
この庶兄二人が、この時死んだとされているのだ。
庶兄とは言え春日山にいる守護代の血統が二人亡くなった、ともなればそれなりの仕掛けが無ければ成り立たないだろう。
そう、
「……嘘だろ」
春日山が燃えるほどの。
黒田秀忠の軍勢が、『たまたま』備えが少し薄くなっていた春日山を急襲、野火の如く彼らは攻め上がっていく。
しかも第一陣は、まさかの城内。城内か、城下か、諸将諸兵らが混乱する中を黒田の軍勢が攻め潰していく。完全なる奇襲、思いもよらぬ裏切りに、黒田方以外は対応がまとまらず、右往左往するばかりとなる。
「何故だ、黒田」
「何故? 不思議なことをおっしゃられますな。時代は乱世、なれば主君に隙あらば、席を奪うが常道でありましょう。まさか、長尾家の当主が、それを否定することなどありますまいなァ?」
「……父上とぬしでは立場が違う。ぬしが旗を掲げても、大義は成り立たぬ。己が家を窮地に追いやるだけの愚行だ。何故それがわからぬ⁉」
「さあ、何故でしょうか、な!」
黒田が斬りかかって来る。それを晴景は受け流し、逆に斬り付ける。普段ほとんど抜く姿すら見せぬ男だが、その太刀捌きはかなりの練達を窺わせる。
あの長尾為景の嫡男であり、彼が認めた後継者。
線が細く見えても、その内実はかなり異なっていたということ。
「この俺が、少し劣るか。それだけの腕前があれば、誇示しておくべきでしたな。力は見せつけねば意味が無いのですよ、御屋形様」
「……それでは父上と変わらぬ」
「その部分は変える必要などない。それがわからぬから、ぬしは御屋形様足り得ぬのだ。名君気取りの晴景よ!」
何とか荒れた状況を乗り越え、ここからだと思っていた。治水事業など、青苧交易など商業での利益を公共事業に注ぎ、越後全体の収穫量を上げて国を豊かにする。考えは沢山あった。状況さえ落ち着けば、やるべきことなどいくらでもある。
戦はただそれらを停滞するだけの愚行。特に、国内での戦はそう。
何故それがわからない、と晴景は歯噛みする。
そのために綾にも泥を被ってもらった。彼女の想いは理解しているつもりであった。それでも国を運営する者として、安定のために打つべき手であった。上田長尾を抑えれば、目下の懸念は越後北部、揚北衆のみ。
それを己と景虎で抑えれば、上手く回るはずだった。
その準備も出来ていた。
それなのに――
「黒田よ。ぬしの行為が越後を十年遅らせた、その自覚はあるか?」
晴景の腕前は想像を遥かに超えていた。技もある。力もある。黒田も剣には自信があったが、そこにはかなりの差があった。
「ハァ?」
早晩、決着がついてしまう。己の負け、で。
「この越後には時勢をくみ取れぬ者が多過ぎる。力のみで治められる時代などとうに終わっている! ぬしは何の展望があり、謀反に及んだのだ、黒田!」
「椅子を一つ空け、上に座す。黒田の名を上げる。それ以外あるか?」
「俗物が!」
「ふん、何とでも言え」
剣の腕前は晴景が上と見て、形勢不利の黒田は躊躇なく、
「ここに長尾晴景がおるぞォ!」
大声で叫んだ。晴景は顔を歪める。黒田は自らの手で晴景を討つことを望んでいたのだろう。だからこの状況を選んだが、もしも自分より上だったら、これを考えぬほど愚かでもなかった。近くに兵はいる。それまでに決着を付けられるか、付けるべきなのは間違いない。だが、黒田も相当の使い手ではある。
攻め切れぬ、そう判断した晴景は欲をかくことなく、
「いずれ必ず、ぬしには対価を払ってもらう」
「ぬしがここから脱出できれば、のォ」
「……私が死んだ方が、ぬしにとっては悲惨ぞ」
「あ?」
「……すぐに、わかる」
その場からの離脱を選択した。黒田は追わずに、この混乱に任せることとする。黒田秀忠一世一代の大勝負、全てを賭してかき集めた戦力が集結している。
場内はもとより、城下も見ての通り幾重にも火の手が昇っているのだ。
「何が悲惨だ。馬鹿らしい」
黒田は負け惜しみを鼻で笑い、勝利の景色を堪能する。
春日山を一望し、深い笑みを浮かべた。
○
金津新兵衛義旧は状況を即座に飲み込み、味方へ指示を飛ばし事態の終息を計っていた。まずは御屋形様の無事を確認すること。
そして無念ではあるが、
(御屋形様を見つけ次第、春日山を放棄するしかあるまい)
状況はかなり悪い。敵方の実数が確認出来ておらず、体勢を立て直せば勝ち目があるのかどうかすら判断が出来ない。対伊達などの東北への備えや、北側が戦力を持つことによる中郡、栖吉などに戦力を割いたがゆえ、急所に隙を生んでしまった。
ただ、何も考えていなかったわけではない。
そもそも今の状況で、どの勢力に置いても春日山を襲うメリットがなかったのだ。為景の代でガチガチに固めた大義がある限り、安易に手出ししても火傷するだけ。自らが掲げた守護に、自らの血縁を嫁がせ、それによって生まれた娘は、晴景の正室として嫁いでいる。守護、守護代、どちらに手を出しても、どちらかが敵に回る。そのための血縁、対外的に関係性を示す最も有効な手は為景の代から仕込み済み。
今の長尾に手を出せば、腹の内はともかく越後上杉が敵に回る。
そういう構造なのだ。
まだ金津の下へは黒田が首謀者である、という報せは届いていない。届いていたとしても彼は納得しなかっただろう。黒田という人物を知ればなおさら、ありえないと考えるはず。それは彼が忠義者だから、ではなく、彼ほどの経験を積んだ武士が、その程度の道理わからぬはずがない、と考えるはずだから、である。
ゆえに金津は辿り着く。
「……まさか」
唯一、越後上杉が敵方であった場合、その大義は使えない。表立って敵対するとは考え辛いが、裏に回って局面を操ることは出来る。
最悪この奇襲さえ成功すれば敗れてもいい。守護が仕掛け人であれば命を取らぬよう、家を潰さぬよう動くだろう。怒りに駆られた守護代をいさめ、争いを守護自らが治めたとあれば、守護の評価は上がる。守護が力を増し、守護代長尾家を完全に押さえ込んだ後、必ず取り立てると約束でもかわしていれば完璧。
奇襲さえ成功すれば、どう転ぼうが守護が裏にいた場合、大きく損をすることが無い。そして、長尾晴景を討ってさえしまえば、この戦いを仕掛けた者が守護上杉を掲げ、これが正義の戦いであったと言うことも出来る。
専横な守護代を打破し、正しく守護の手に越後を取り戻す、という。
(確実ではないが、その可能性は高い)
金津は守護上杉の館の様子を気にかける。ここからではわからないが、もしすでに、異様な手際で春日山を離脱していたとすれば――
完全に黒、だと言えるだろう。
「御屋形様!」
ただ、今は何が無くとも長尾晴景、御屋形様の身柄を守ることが最優先。他のことは捨て置くしかない。
(……無事でいてくれ)
自らの妻子すらも。
○
「姫様! こちらにおられましたか!」
「弥太郎!」
金津義旧の息子、金津弥太郎は綾の下へ馳せ参じる。綾よりも三つほど上だが、歳が近いこともあり金津館で幼少期から面識があった。
「状況は掴めませぬが、一時春日山より離脱するほかありませぬ。姫様はここより上田荘を目指しましょう。嫁ぎ先です。無下にはされぬかと」
「わかりました」
「私が先導いたします。遅れぬようついてきてください」
「私を誰だと思っているの?」
「野山で駆け回られていた頃の体力を期待してもよろしいですか?」
「もちろん」
「では、そのように」
弥太郎は微笑み、槍を携え突き進む。眼前に立ちはだからんとする者、全てを打ち倒してやると言わんばかりの眼をしていた。
「弥太郎はまだ、結婚しないの?」
「そうですね。そろそろ考えようかと思っていました」
「お相手は?」
「それを考えようとしていた矢先です」
「あはは、先は長いわね」
「はい」
金津新兵衛から嫡男として鍛えられた彼は、若くして城内でも一目置かれていた。父が客将ではなく、地盤を持つ武家であったなら、いずれは奉行職を授かるかもしれない、そういう才気があるとみなされていたのだ。
「おおッ!」
ひと突きで敵の喉を突き、抵抗を許すことなく圧倒する。後ろの綾には文字通り指一本触れさせぬとばかりの勢いで眼前の敵を薙ぎ倒していく。
「随分強くなったねえ」
「……以前、平三殿が春日山を去る前に手合わせしたのですが、ものの見事に一蹴されました。私の腕など大したことはありませんよ」
「……ええ、あいつそんなに強いの」
「大熊殿を除けば、越後でも並ぶ者無し、かと。あの柿崎殿や、若手期待の星である斎藤殿も、元服前の平三殿にころりとやられていましたので」
「……嘘ぉ」
「あの御方は、存外実力を誇示しようとしませぬので。ただ、あの葬列後、名だたる者たちが手合わせを願い、誰も土を付けられなかったのは事実。唯一の引き分けは大熊殿のみ。それも果たして、両者本気であったのかどうか」
「もしかして私の弟、化け物なの?」
「……もしかしなくても、です。しかも武芸だけではなく、兵法も卓越しているとあっては、付け入る隙が無い。ご安心を。何があろうとも三条長尾家が揺らぎませぬ。例え御屋形様が討たれようとも、平三殿が控えておられぬのだから」
自分が知らぬ弟の凄さを人づてに聞き、またしても綾は思う。本当にあの弟は姉想いの馬鹿野郎だ、と。そういうのをもっと早くわかるように見せてくれたら、もう少し早く諦められたのに、あんちきしょうめ、と微笑んでいた。
彼らはようやく見晴らしの良い場所に出る。
「……何故それを理解出来ぬのか、私にはわからない」
「……嘘」
そこで春日山の状況を知り、言葉を失う。いくつもの火の手が上がる春日山。見知った景色が、血と炎に塗り替えられていく。
越後最大の都市が、揺らぐ。
「弥太郎! 金津館へ!」
「なりませぬ!」
自分をずっと支えてくれた女性、そして彼の母である人がいるであろう場所、あの区画からも火の手が上がっている。
考えたくはない。考えたくは、ない。
「御母上よ⁉」
「上田長尾との繋がりが必要です! 姫様は、両家を繋ぐ架け橋なのです。御屋形様に次ぐ、いや、場合によっては御屋形様よりも優先すべき御身を守るが第一。母上も、武士であるならばそうせよ、とおっしゃるはず」
「弥太郎!」
「行きましょう」
「……わかり、ました」
今、一番辛いのは彼なのだ。それでも飲み込み、彼女を守らんとする彼はまさに武士の鑑であろう。その闘志にはいささかの陰りもなかった。
「必ず、守ります!」
もしかするとそこには、武士の本懐以外の感情もあったのかもしれないが。
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