第拾参話:虎千代、敗北

 板鼻を離れた二人は今、ちょっとした言い争いをしていた。

 少し先に進んで街道の先にある城に向かうか、街道から外れて少し行ったところにある城に向かうか、である。どちらも長野氏の縁者であり、書状があるため無下にはされないだろう。と言うか、書状を貰ったせいでどちらかには行かないといけない、が正しいのだが。

「街道沿いに行くのが一番だ。板鼻の影響下を抜けた以上、また治安は悪くなる一方。少しでも安全な道を行くべきだろう」

「馬鹿を言え。ぬしが野盗ならば人通りのない場所を狙うか? 街道沿いの方がよほど危険であろうが。街道から外れ、こちらに行くが道理である」

「そなたは街道を歩くのが飽きただけであろうが」

「道理は我にあり。悔しかったら言い負かしてみよ!」

「……小癪な小僧めェ」

 悪童口強し。百戦錬磨の天室光育ですら手を焼いた悪童、長尾虎千代である。むしろ光育との口論によってここまで育ってしまったのでは、と最近覚明は思っていた。兎にも角にも口が悪い、強い、ついでに早いの三拍子が揃っていたのだ。

 そして極めつけは――

「歩くの疲れたぁ」

「……この、クソ餓鬼がぁ」

 自ら選んだ道なのに、その事実をすっぱり忘れて駄々をこね始めるところにあった。子どもらしいと言えば子どもらしいのだが、すでに年齢は数え年で十二歳であり、この時代の基準ではとうの昔に我儘を言うような年齢ではない。

 あと数年もしたら元服をし、武士の子なら戦場に赴く年ごろである。

「道の在る無しは、退屈には寄与せんのお」

「ただ疲れるだけだぞ、悪路は」

「あ、兎!」

「待て、とら! ああもう、何でこう無駄に動きたがるのだ」

 話している最中、兎を見つけた虎千代は勢いよく駆け出していく。先ほどまでつかれたと言っていたくせに、獲物を見つけるや否や全力疾走とは本当に子どもの体力とは底無しである。とりあえず覚明はため息をつきながら、

「拙僧はこちらを征くからな」

 おそらく城に繋がるであろうほぼ獣道を行く。


     ○


 獣の最高速度は人を遥かに凌駕している。だが、継続力、スタミナに関しては人を超える獣と言うのはそういないもの。狩りとは獲物に気付かれぬのが最上ではあるが、気づかれたとしても追い続けるだけで獲物は疲弊する。

 しつこく、それでいて見失うことなく、見失ったとしても痕跡を見出して、追い込み続ける。尽き果てるか、逃げ果せるか、そういう勝負である。

 虎千代は疾風のように駆ける。こういう時に、旅装束ながら女の格好は動き辛いと苛立つも、さすがに自らがまいた種、そこは我慢するしかない。

 脱いでいる暇も、立ち止まっている余裕も、ないのだ。

 自分と獣の勝負、狩るか、逃げられるか。

「……む」

 林を抜け、少し開けた場所に出る。虎千代は少し行った先で立ち止まる兎を見つけた。疲労があるのか、はたまた撒いたと安堵しているのか、動く気配はない。

 ここで虎千代が用いるのは道中拾った素晴らしい形の石である。石には一家言がある虎千代は、基本的に投石を主な狩猟手段としていた。原始的だが、弓と違い道具は要らないため、思い立ったがすぐ行動の虎千代向きではある。

 程よく尖り、頭部にきっちり当たれば確実に仕留められる。石収集家の虎千代が間違いはないと太鼓判を押す逸品なのだ。

 この一撃が勝負の綾、ここで確実に仕留める。

「この俺がきっちり調理して喰ってやる。ありがたく死ね」

 何とも身勝手極まる宣言と共に虎千代は振り被り、投げた。

 手応えあり、満面の笑みを浮かべる。

 兎はびくりと身じろぎし、次の瞬間――

「へ?」

 いきなり現れた鷹に、掻っ攫われていった。

「は?」

 石は空を虚しく切って、地面に落ちて勢いよく転がっていく。

「ハァ⁉」

 虎千代、キレた。兎とじたばた争っている鷹を睨み、獲物を横取りされたことで頭に血が上る。この虎千代、ここまで激怒したのは初めてである。

 文に碁で敗れた時も激怒し、泣いた気がするけどそれは過去の話。大事なのは今である。あの地面でのたうち回る二羽の鳥、そう、どちらも鳥である。僧侶も言っていた。鳥は大丈夫なのだと。大事に食べてあげましょうね、と。

 虎千代、脇差を引き抜かんと手を添える。

 鷹は兎を仕留めるのに手間取っているのか、まだそこら辺でバタついていた。今ならやれる、獰猛な笑みを浮かべた虎千代は全力疾走し――

「邪魔」

「は?」

 これまたいきなり現れた馬、そこに乗っていた『少女』に蹴り飛ばされる。この虎千代、女に蹴られたのは生まれて初めてのことであった。乳母にケツを叩かれたことはある。文と口論の末、頬を引っ張り合ったこともあった。

 でも、蹴られたのは初。それも馬を走らせながら、その勢いを乗せた一撃である。当然吹き飛ぶ、悶絶する。当たり所が悪ければ死んでいてもおかしくない。死んだら其の方どうしてくれる、と蹲りながら激怒する虎千代。

「虎、おいで」

「ホウ!」

 のそりと立ち上がった虎千代が目にしたのは、馬から降りた『少女』が鷹を呼び、その右腕に止めさせたところである。鷹を用いて狩りをする鷹狩なのだろう。褒美の肉を食わせる所作も随分と手慣れており、鷹も良く懐いている様子。

 まあそんなこと――

(おうおうおうおう、このクソアマ、どう落とし前つけんだオラ。この長尾虎千代様に傷を負わせたんだ。万死に値すんぞオラァ!)

 激怒する虎千代には関係がない。女装さえしていなければ、ここが春日山であれば、もう文句なしに殺して山に埋めていたところである。

「おほほほほ、ちょっとすいません。そちらの兎、わたくしが、追い詰めていましたの。つまり、わたくしの獲物、ですわよね?」

 ちょっとおかしな演技になっているが気にしない。大事なのはあの兎が、自分が労力を割いて追い詰め、絶対に当たっていたはずの石が空かされて、横取りされた事実である。鷹がいなければ絶対に当たっていたし、仕留めていた。

 その言いがかりに対し『少女』は、虎千代に視線を向けることなく、

「虎が仕留めたから、これは私の」

 完全無欠に言い切った。

「……!」

 笑みを張りつけながらも虎千代の眉間にしわが寄る。そもそも自分に視線を向けないとはどういう了見なのだろうか。親のしつけに問題がある、と虎千代は強く思った。断固譲らん、自分の獲物なのだと憤る。そもそも鷹如きにこの虎千代の一字、虎と名がついていることも腹立たしい。

「横取りされた、と言っているのですけど?」

「証拠は?」

「……そ、それは」

「兎には名前も書いてない。仕留めたのは虎。道理は我に在り」

(……小癪な女め。そもそもこの虎千代よりも背が高いことが気に食わん。綾でさえつい先日超えたと言うのに、それよりも上とは実にけしからん!)

 とんでもない言いがかりであるが、とにかく虎千代は気に食わなかったのだ。兎一羽、正直別にそこまでして欲しいわけではない。頭を下げたならくれてやっても良い、と虎千代にしては寛大な処置も考えていたのだ。

 まあ、自分の獲物と言うところを引く気がない時点で寛大からはかけ離れているし、まさに子どもの駄々でしかないのだが――

「おほほ、道理を語る前に、まずはお名前を頂けませんか?」

「人に聞くなら自分から。それが道理」

「……!」

 言葉にならぬ怒りが巻き起こる。板鼻の住人ならいざ知らず、このような何もない田舎住まいの女風情に、長尾虎千代が道理を説かれることになろうとは、と何とも狭量極まる怒りに打ち震えていた。

「とら、と申します」

「……変な名前」

(じゃあ何でそれを鷹につけてんだ、オオン⁉)

 火に油、さらに怒りは燃え盛っていた。

「はぁ」

 そんな中、『少女』は身を翻し、虎千代に視線を向ける。

「私は小梅、千葉小梅」

 その瞬間、怒れる虎千代は硬直した。名前に驚いたわけではない。小梅などありきたり過ぎて名前だけならば何の感想も抱かないだろう。ただ、この『少女』は、小梅は、虎千代の知る中で誰よりも容姿が優れていたのだ。

 切れ長の涼やかな目元に、色素の薄い粒子のような髪が陽光を浴びて煌めく。艶めく自分の髪とは異なる質感に、虎千代は目を奪われていた。

「そこそこ美人で驚いた」

 今までは、自分が一番だと思っていたのに。

「じゃあ、さようなら」

 兎を拾って、馬にまたがり、虎千代に一瞥を向けることなく、

「ハッ!」

 あっさりと虎千代の前から去っていく。しかしまだ、虎千代はあまりの衝撃に動けないでいた。絶対の自信があったのだ。この旅路でも、どこを見渡しても自分が一番だな、と悦に浸っていたのに、突如暫定一位であった自分を超えた女が現れた。

 千葉小梅、長尾虎千代を打ち砕いた女。獲物を横取りした上に、プライドまでズタズタに引き裂かれてしまった。

 許せるものではないだろう。

「そこそこ、美人。そこそこ、だと。この、俺が。長尾虎千代様が」

 虎千代、震える。あってはならぬことが起きてしまった。綾も顔は良かったが、まあ自分ほどではない。文は丸顔、論外。それ以外に懇意としている女性がいたわけではないが、市などですれ違っても彼女たちにすら届く女性はそういなかった。つまり、虎千代の牙城を脅かす顔などいなかったのだ。

 あの大都市板鼻でさえ、自分が一番目立っていたのに。

「許さんぞ。この俺を、そこそこなどとほざいたこと……後悔させてやる!」

 これが長尾虎千代と千葉小梅の出会いであった。越後と関東、本来重なることのなかった運命が今、すれ違う。

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