第拾壱話:世間話

「いやぁ、つい拙僧が口を滑らせてしまい申し訳ない」

「いえいえ、これぐらいお安い御用ですよ」

「そう言って頂けると」

 覚明と住職のやり取りを聞いて、虎千代はにやにやと笑っていた。お安い御用などと言っているが、あの顔は苛立ちを押し殺しているものなのだ。それなりの付き合いゆえ、その辺りは透けて見えてくる。

「とらよ、長野殿の館に呼ばれたのだが、そなたはどうする?」

「覚明殿が参られるのであれば、わたくしも参りましょう」

(き、気色悪い返しをしよって。ぐっ、和尚の顔が何かを察したような、私はわかっていますよ、という視線が……この、悪戯小僧めがァ!)

 腹が立つほどに見事なまでの女装っぷり。声色まで完璧ともなればもはや付け入る隙が無い。それなのに根っこの悪戯癖はそのままなのだ。仏道の戒律まで利用した悪戯は僧侶にとってとても性質が悪い。

「では、共に参るとしよう」

「はい、覚明殿」

(その猫なで声を、やめろォォォオオ!)

(はぁ、色っぺえ。いいなぁ、覚明殿)

 虎千代の悪戯でかき回されている坊主たち。かき回される方が悪い、とケタケタ笑う虎千代をいくら諫めようとも、絶対に聞く耳など持たないし、むしろお返しとばかりに悪戯を増長させるだけ。困ったものだ、と覚明は嘆く。


     ○


 箕輪城下よりもさらに南西、そこには華やかなる東の都が広がっていた。鎌倉より山内上杉家が居を移し約百年、全盛期の鎌倉を虎千代が知る由もないが、少なくとも春日山城とは比較にならぬ光景が広がっていた。

 板鼻城という象徴はあれど、ここを板鼻城下と呼ぶのは間違っているのだろう。彼らの詰め城は箕輪城をはじめとした複合城塞群であり、平時には交通の要衝として華やかなる街並みを、戦時には堅牢極まる巨大な要塞都市として機能するのだ。

 これを落とすには相当骨が折れるぞ、などと不穏なことを考えながら虎千代は覚明と共に板鼻の中心地を歩む。人が多い。物も溢れている。なれば当然金も集まる。川もあり、東西南北に繋がる道もあると来た。

 この地が栄えない理由などない。全てが揃っている。

「区画で大体わかるものだな」

「はい」

 そんな板鼻にあって、長野氏の館は随分と立派な館が並ぶ区画にあった。これだけで長野氏が板鼻でどういう立ち位置なのか容易に想像がつく。まあそもそも新造された複合城塞群北の要衝箕輪城を任されている時点で推して知るべし、であろうが。

「失礼いたす。拙僧、林泉寺の覚明と申す者である。長野家当主殿より招かれたため、こちらに参った次第。取次をお願いいたす」

「ただいま確認して参ります。しばしお待ちを」

 門番と思しき者に声をかけ、待つこと数分。

「あいや、申し訳ない。少し話に行き違いがあったようで。お伺いを立てただけのつもりが、まさかこうしてご足労頂けるとは。迎えの一つも寄越さずに大変失礼いたしました。私は長野家当主、長野信濃守と申します」

「「…………」」

 まさか当主自ら息を切らして現れるとは思わずに、二人して驚いてしまう。各地の豪族を束ねる実力者とは思えぬ柔らかな雰囲気。ともすれば嘗められかねない態度で彼は頭を下げる。とても武士とは思えぬ振舞いであろう。

「いえ、こちらこそ確認せず参ってしまい申し訳ございません。もし、お忙しいようでしたら日を改めたいと思いますが如何でしょうか?」

「旅人に日を改めさせるなど、それこそ失礼に当たるでしょう。どうぞ、大したところではありませんが、ごゆるりとお寛ぎ頂ければ」

「されば、失礼させて頂きます」

 長野信濃守業正、長野家当主であり、ここ板鼻においても存在感を示す男。二人は彼に招かれるまま、館に足を踏み入れる。外観も立派であったが、中身も伊達ではない。やはり力のある人物なのだろう。長野氏自体、彼とその親ぐらいまではそれほど関東での知名度はなかったはず。どちらかと言えば成り上がりの家柄である。

「本日は別の客人もおりまして、少し騒々しいですがご容赦を」

「あはは、構いませぬとも」

 当主の自らの案内で通された場所は館の主殿、そこには先客がいた。

「おや」

「あ」

 上泉城城主、上泉秀綱である。

「上泉の、知り合いかね?」

「先日市ですれ違いまして。あまりに美しかったもので覚えておりました」

「ほほう。其の方が剣以外に懸想するとは……珍しいですね」

「お戯れを」

 秀綱が二人に向かって一礼する。

「拙者、大胡城が支城、上泉城城主、上泉武蔵守と申す」

 ちなみに上泉の武蔵守も、長野の信濃守も、どちらも長尾為景が朝廷から叙爵された信濃守とは全く違うものである。彼らのそれは受領名と言い、朝廷から見ると非公式な官名となっている。室町時代以降、守護大名たちが武功ある家臣らに対し、朝廷を介さず官名を授ける風習が生まれていた。朝廷から信濃守を授かった為景と、山内上杉家から授かった長野、上泉では名の重みと格式がまるで異なるものだと言うことがわかるだろう。ただ、朝廷も献金欲しさ、または管理し切れず官名を被らせてしまうこともあるので、その価値をどう見るかは人それぞれ、であろう。

「拙僧は林泉寺の覚明、こちらはとらと申します」

「ははは、硬いですなぁ。公の眼があるでなし、もっと気楽に致しましょう。今、茶菓子を用意させますゆえ、しばしこちらでお待ちくだされ」

 こうして長尾虎千代、覚明、長野業正、上泉秀綱の奇妙な組み合わせによる『気楽』な世間話が幕を開ける。


     ○


 茶菓子が振る舞われ、軽い雑談を経て、今は覚明と長野業正が碁盤を挟み囲碁に興じていた。と言うのも業正は覚明が来ていることを聞きつけ、こうして館に招いたのは碁をするためであったのだ。建仁寺の覚明、いや、将軍家に指導をしていた実績を持つ男と打つ、そこが大事なのだ。碁の内容、勝ち負けは二の次。

 覚明も弁えているのか盤面穏やかなまま緩やかに進行していた。置き石も将軍と同じ五子、その上で見れば――

(……強くはないな、長野めは。地を固める手に誤りはないが、そもそもこの遊戯は殴り合いの強さが求められるものだ。五子の優位がある以上、互先ほどそれが求められるわけでもないが、だとしても堅実過ぎる)

 虎千代の眼には長野業正、傑物には見えなかった。

 ただ――

(この遊戯には性格が出る。俺のように攻めたがりもいれば、この男のように守りたがりもいる。碁に向いているのは俺の気質かもしれぬが、現実もそうとは限らん。窮地に動じず、堅実な地固め、この手堅い立ち回りを、どう見るべきか)

 凡庸にも見えない。自分が惹かれる強さではないが、上に立つ者としてはこのブレぬ姿勢は評価に値するかもしれない。所詮は遊戯上でのこと、現実に当てはまるかどうかは精々参考程度が関の山であろうが。

「――そう言えば覚明殿は林泉寺にいらっしゃるとか」

「ええ。今はそちらでお世話になっております」

「確か、林泉寺は春日山の、長尾家の菩提所、でしたかな?」

「あはは、お詳しいのですね」

「いえいえ、関東と越後は縁深いのです、昔から。越後最大要衝たる春日山について知らぬ者は情報に疎い者、となるでしょうな」

「なるほど。拙僧の勉強不足でした」

 覚明が打ち込んだ何気ない手。特に迷うような局面ではなく手拍子で受けて良いはずだが、長野は「ううむ」と考え込むような素振りを見せる。

 そして、

「ところで、風の噂で耳にしたのですが、長尾家の当主が昨年交代された、と。この噂、真ですかな?」

 囲碁に熱中するような素振りで覚明に問いかけた。覚明は(なるほど)と得心し、近くで茶菓子に舌鼓を打つ上泉は苦笑する。虎千代としてもこの囲碁、指導して欲しいと言いつつそれほど熱を見せない男の目的がようやく理解できた。

 この男、情報を得るために碁を口実としたのだ。

「ええ、事実ですとも。今は長兄である六郎(晴景の通称)殿が当主であり、越後守護代を継がれたようですな」

「ほほう、長兄と言えば確か、母方が上条上杉でしたか」

「さすが、お詳しい」

「なんのなんの。やはりそうなりましたか。越後上杉氏の猶子、当代公方様より偏諱、晴の字を授かったとか。期待されているのでしょうな」

 長野の持つ情報は越後と北関東の間柄であれば、知っていてもおかしくはないものではある。血統にしろ、偏諱の件にしろ、良い話であれば積極的に広めていくのが普通である。だからこそ、この時代辺りから諱に関しては少しずつ忌む意図が薄れ、むしろあえてそう呼ぶことで敬称の役割を果たすようにもなったのだろう。ちなみに偏諱とは二字名の内、通字(長尾家であれば景)ではない方であり、貴人から臣下へ与えられることもこの時代よく見受けられた。

 ちなみのちなみに、猶子とはざっくりと家督や財産などの相続を目的としない養子のようなものである。

「しかし今、越後も大変な時期でしょう。何しろあの陸奥の怪物伊達殿が絡んでいるのですし、多少荒れ模様であっても退く御仁でもありますまい」

「やもしれませぬな。ただ、拙僧も越後に参って日が浅く、陸奥のことまではとんと頭に入っておりませんので」

「それもそうですな。いやはや申し訳ない。ちなみに覚明殿は六郎殿、新当主とは懇意にされているのですか?」

「いえ、ご挨拶程度、ですな」

「ふむ、面識はある、と。では、その時の印象はどうでしたか? 骨太か、繊細か、なに、簡単な見立てで構いませぬよ。ご参考までに」

 ぱち、長野は碁石を打つ。時間をかけたにしては凡庸なる手、おそらく手拍子でも問題なく受けられただろうに、あえて時間をかけたとしか思えない。

 しかもこの男、視界の端に虎千代を入れている。

(……バレているわけもなかろうが、何か探ろうとしているのは明らか、か。まあ、僧と女の二人旅、熊野詣を容易く飲み込んでくれるほど易しい手合いでもないな。ただの情報収集であれば、問題はないのだが)

 覚明は時間をかけずにすっと石を打つ。

「ほほ、さすがに早い応手ですな」

「……六郎殿は立派な御仁に見えましたな」

「頭領としての資質あり、と。いや、であれば良かったのです。何しろ越後とこちらは山を挟めど近いですからな。情勢不安定となっては我らも気が気ではなくなる。新当主に器量ありとのことであれば、我らも一安心」

 話が途切れそうでほっと肩を撫でおろす覚明。何とでもかわせる程度に持ち上げ、煙に巻いた以上、深入りしてくるほど無作法ではあるまい。

「ああ、そう言えば、覚明殿は今、林泉寺におられるのでしたね」

「ええ」

「では、当然長尾家の四男、存じておられる、と」

 長野業正、その男の眼が覚明を素通りし、虎千代を見据えていた。覚明は必死に取り繕う。どうして気付かれた。何故、今この質問を。様々な思考が頭を埋め尽くし、平静を保たねばと自分を律する。

「ええ。寺におりますので」

「ほお、何故ですかな?」

「いえ、そこまでは。寺の者に聞いても誰も知らぬのです。御父上に疎まれている、という市井の噂はありますが、真偽のほどは誰も知らぬかと」

「なるほど」

 すっと長野の視線が虎千代から外れる。何を見ようとしていたのか覚明にはわからぬまま、その後は通り一遍のことを話しつつ碁に興じ、指導のお礼だと今夜はこの館に泊まって欲しいと懇願されたため、二人は快諾した。

 その間、虎千代は微動だにせず笑みを浮かべていた。


     ○


「虎千代、明日一番で板鼻を出るぞ」

 小さな声で覚明は言い切る。意図は不明であるが、長野が何か探りを入れようとしていたのは事実。それがわからぬ以上、留まっていては危険だと判断した。

 今は用意された部屋、周囲には気配も無い。

「焦る必要などないだろうが。旅の僧がいれば世間話をする。古今、誰しもがやる情報収集の手段だ。聞かれた内容もおかしな点はない」

「長尾家の内情に偏り過ぎていたと思うが?」

「今時期、その話題は避けて通れんだろうが。逆に聞かれぬ方が構えてしまう。ぬしは構え過ぎだ。適当に流しておけばよかろうに」

「だが、虎千代に視線が向かっておったぞ」

「俺が美人だからだろう?」

「冗談を言っている場合では――」

「冷静になれ。俺の女装は完璧だ。ここまでの旅で落ち度は、まあ、たぶんない。だが、業正めは俺を気にしていた。何故か。女装以外で考えればいい」

「……思いつかんな」

「碁以外は頭のキレがイマイチよのお。あやつは俺を長尾家の子女であろうと踏んだのだ。ゆえに長尾家の話題に終始した。覚明から零れ出ずとも、俺から何か漏れ出まいかと様子を窺いながら、な」

「な、なるほど。そうか、確かに、そちらの方が道理にかなう」

「元々方々に娘を嫁がせて権力基盤を固めた男だ、業正はな。ならば当然、第一に思い付くだろうよ。器量優れた娘を嫁がせ、何処かと縁を結ぼうとしている、とな」

「何処かとは?」

「今、山内上杉の周囲が気にする相手とすれば、北条、であろう」

 覚明は己の読みに浅さを悔い、虎千代の深さに膝を打つ。長野氏の立ち回りから考えても、彼らは伊達家同様子女を用いた繋がりを重視し、その分警戒もするはず。元より僧一人、女一人の旅、不自然さはどうしても出てしまう。

「相手が北条であれば秘密裏に動いている理由も合点がいく。関東管領上杉宗家に噛みつくも同然の行いであるからな。だが、そんな事実はない以上、堂々としらを切り通せばいい。関東を通って熊野を目指すのだ、嫌でも相模は通るであろうしな。下手に布石を打てば、あの手の輩は逆に警戒を強めるだけぞ」

「……虎千代、長野殿がそう考えること、最初から分かっていたのか?」

 覚明の問いに、虎千代は少し考えて――

「おうよ。旅に同行するのが建仁寺の覚明、ともなれば疑惑はさらに深まるであろうが。寺を渡り歩いて分かったが、ぬしはそれなりに名が通っており、将軍家とも面識がある。ぬしが思うよりも対外的には相当、市場価値は高い。そんなぬしがわざわざ連れて歩くのだ、よもや安い女郎とは思うまいよ」

「……何故、それを理解してなお女装を通す?」

「ふは、やはりキレぬな。ぬしが教えてことだぞ。相手の思考に沿った動きに自分を差し込め、と。あれだけ頭が切れる狸だ。ぬし一人、小僧一人の旅でも理由を探ろうとする。下手すれば、兄上が俺をぬしに預け放逐した、何処ぞへ養子に出した、とまで考えるかもしれん。そちらの方が虎千代に近づくだろうがよ」

 覚明は改めて虎千代の恐ろしさを思い知らされる。確かにそういう視点を教えたのは自分であるが、その考え方を己がモノとして多方面で使えるか否かは、結局のところその者の資質、となるであろう。真綿のように自分の教えを飲み込み、容易く応用してしまえる思考の広さ、柔軟性、それは傑物のそれである。

「長尾家、それに類する子女、への疑惑止まりであれば、むしろ真実からは遠い、か。御見それした、そなたはまこと麒麟児よな」

「ふはは、当たり前だろうが。まあ、とりあえず煙に巻いておけばよい。ぬしの名声と俺の美貌で、相手は勝手に高く見積もる。ゆえに、警戒すれど下手な手出しもせんだろう。越後長尾家の力、知らぬ関東でもなし」

 虎千代が浮かべる獰猛な笑みに、覚明は長尾為景を、上洛してきた傑物どもの貌が重なる。血で、力で、知略で、のし上がってきた怪物どもと同じ顔つき。

 この男もまた将の、王の器なのだ。

「それに、真に警戒すべきは業正ではない」

「……?」

「狸ならばマシ、と言うことだ」

 虎千代は嗤う。微動だにせず、押し隠していたのは何も、長野の視線だけが理由と言うわけではなかったのだ。

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