第玖話:不自然な旅人
「へっへっへ」
粗末な鎧、具足を身にまとった一団が二人の旅人を取り囲む。一人は坊主、旅慣れた風貌で銭の匂いはしないが、もう一人の女性は着物こそ旅装束なれど、立ち振る舞いに気品が満ちており、銭の匂いがぷんぷんしていたのだ。
「……またか」
「ふふ、賑やかですね」
「この……そなたがそのような格好をしているから、こういった輩を引き寄せるのだろうが。この辺りでそろそろ、なァ」
「あら、私のせいだなんて……酷いですわ」
およよ、と泣き崩れる女性。その姿を見て坊主の額にはでかでかと青筋が浮かぶ。状況を飲み込めていない野盗たちは、二人があまり驚いている様子もなく、随分と悠長な雰囲気を出していることに困惑していた。
「言っても無意味と思うが……そなたら、如何なる理由で野盗に堕ちたのかは知らぬが、命惜しくば我らとは関わるな。そなたらにも家族はいるのだろう」
「ぶは、何か坊主が命乞いしているぜ」
「とりあえず女の方は上玉だ。楽しむも良し、売るも良し、見逃す手はねえ」
「残念だったな、坊主。これからは旅に女なんざ――」
「と、彼らも言っておりますので」
「待て!」
覚明の制止も虚しく、野盗たちが予想もしていなかった機敏な動きで、女性が野盗の一人を急襲、脇差を抜き放ち、喉笛を切り裂いた。
「極力殺生は控えよ! とら!」
「阿呆が。命を奪わんとする者らの前で、何故俺が手を抜いてやらねばならぬ? 奪う意志を示した時点で、こいつらは俺の敵だァ!」
先ほどまで楚々とした雰囲気をまとっていた女性から、獰猛な声が放たれる。野盗たちの理解が追いつかぬ、追いつかぬまま、
「判断が遅い」
二人目の腹、具足の隙間に刃を通し、そのまま横に薙ぐ。血を払いながら妖艶に笑う女人の姿に、彼らは自分たちが夢を見ているのではないかと思った。
「く、この女、乱破やもしれんぞ。先に坊主を狙え!」
「わ、わかった!」
見た目に反し獰猛な女人に恐れをなした野盗は、先に坊主を狙う。その行動を見てため息をつきながら坊主は錫杖を槍のように構えた。
「破ァ!」
ゴッ、と鈍い音と共に野盗の一人がゴロゴロと転がる。刀を振りかぶったところに錫杖で横腹を叩かれ、あまりの痛みに悶絶していた。
「くそ、坊主も強い。何なんだ、こいつら!」
「距離取って石を――」
ぐしゃり、投石の指示をしようとした男の顔が歪む。その理由は、こぶし大の石が
勢いよく頭部に直撃したためである。投げたのは、またしても女。
あまりにも面妖な状況に――
「に、逃げろ! 妖だ!」
「ひぃ⁉」
野盗は散り散りに敗走する。
「まともに戦ってもないのに逃げるなァ!」
「追わんで宜しい」
追撃を仕掛けようとする女の格好をした虎千代こと、とらを引っ掴み覚明はため息を重ねた。いくら国境近郊であろうとも、これだけの頻度で野盗に襲われるのは自分たち側に問題がある。坊主一人、女一人、襲ってくださいと言っているようなもの。ましてやこの時代、食い詰め者などいくらでもいる。
野盗をするしかない者とて――
「しけとるのぉ。ろくなもん持っとらんぞ、こやつら」
「僧の前で死体を漁るな、罰当たりめ」
「坊主とはほんに非合理な連中よな。持ち主が死のうが生きようが、物の価値に変わりはない。使える物は使ってやらねば勿体無いし、価値のある物はどうせ誰かが剥ぎ取り、わが物とするだけであろうに」
「この、小僧め。ああ言えばこう言う」
「あら、酷いですわ。私のような女人を捕まえて、小僧だなんて、およよ」
「…………」
怒りに震える覚明であったが、手を合わせながら必死に経を唱え、己の中にある邪気を振り払わんとする。その様子を見て、虎千代はげらげら笑うのだが。
「しかしあれよな。旅と言っても代わり映えのせん景色ばかりだのお。しょーもない寺から寺へ渡り歩き、道中野盗に襲われて、また寺に向かう」
「たまに宿にも泊まるだろうが」
「……俺の離れと変わらんような小さい部屋でな」
「文句を言うな。路銀とて潤沢には持てんのだ」
「兄上が用意してくれた銭を受け取っておけばよかっただろうが」
「あんな大金持ち歩いておったら怪しまれるに決まっておろうが。まったく、その辺りは兄弟揃って世間知らずと来た。これだから貴人と言う奴は」
覚明の小言を聞き流し、虎千代は欠伸を噛み殺す。春日山を出て少し経ち、いくつかの寺や城を渡り歩いてきた。こうして外に出てみると春日山の、長尾家の菩提所である林泉寺の格、と言うのが嫌でも透けて見える。舐められぬために取り繕った場所、虎千代には故郷がそう見えていたが、そもそも他の場所にはそれをするほどの力も銭も無いのだ。改めてこの旅で越後守護代長尾家の力を知る。
そしてもう一つは寺社勢力の強固な繋がり、である。宗派によって当然毛色は異なるが、それでも寺ある所に市があり、人やモノが集まる様を見ればその土地における影響力など嫌でも見えてくる。そんな場所が全国津々浦々に点在しているのだ。人が集まることでモノも銭も情報まで入ってくる。
国家を超えた力を彼らは有しているのだ。ゆえに武士であろうが公家であろうが寺社勢力をないがしろにすることなど出来ない。
「こんなことならば越中の方から京入りをすればよかったのお」
「自分が決めた行程であろうが。私は先に言ったぞ。こちら周りは長くなる、と」
「長い分には良いのだ。ただこうも代わり映えせんと、野盗に追いはぎされるぐらいしか楽しみがない。こんなことならば道中の慰みとして琵琶でも担いで来ればよかったの。耳寂しさも紛れようし、市でひと稼ぎも出来たろうに」
「目立つな馬鹿者。お忍びだぞ、お忍び」
やはり小言は耳に入れず、歩き始める虎千代を見て、覚明はため息を重ねた。虎千代が変わり者であることは知っていた。しかし、こうまで目に見えるモノしか解そうとせず、見えぬモノに対し何も頓着しないとは思わなかったのだ。
彼は死を恐れていない。死者の怨念や死体の穢れ、そういうものも信じていない。だからこそ、殺すことに躊躇いなど無く、死体を前にしても触れることを厭うこともしない。ひいては神仏をも信じていないのと同じ。
「南無釈迦牟尼仏」
虎千代が殺した死体に手を合わせ軽く祈った後、彼を追いかける。今更彼に仏の教えを説く気はない。それを強いる気もない。そもそも今の自分にそんな資格など無いことなど、覚明自身誰よりも理解していたのだ。
二人は街道とは名ばかりの山道を征く。
○
『建仁寺の覚明』と言う名を擦り倒しながら、寺から寺へと渡り歩き、時折宿に泊まったり野宿をしたりして彼らは旅を続けていた。道中、幾度か野盗との小競り合いを引き起こしながらも、問題なく歩を進めていた。
そして――
「……これは」
「ああ、私も関東に来るのは初めてであるが、あそこに見えるのが箕輪城であろう。そして、その後背に位置するは板鼻――」
「関東管領、山内上杉家の支配圏、か。はは、さすがに立派だ。箕輪城とやらを含めた多数の城、砦で守られた複合城塞群、一度見たいとは思っていたが、聞きしに勝るとはこのことよ。やはり良いのぉ、旅は!」
「……つい先日までは愚痴ばかりこぼしていた癖にな」
上野国板鼻、関東における第二位の権威を誇る関東管領、トップ(公方)の補佐役として設けられた地位に座すは山内上杉家である。越後上杉や武蔵国の扇谷上杉など多数の諸家が存在する中、実質的に宗家の立場なのが山内であった。
かつて享徳の乱の後、鎌倉からここ板鼻に居を移した山内上杉家。度重なる争いにより以前ほどの権勢はなくとも、それでも彼らが関東の雄であることに間違いはない。越後上杉を傀儡とする長尾家とも因縁浅からぬ相手である。
また板鼻も信濃国から奥州に向かって伸びる東山道、鎌倉街道の分岐点でもあり、さらには碓氷川・烏川などの川もあるなど、交通の要所としてどの国から見ても重要視されていた。だからこそ、鎌倉からここへ山内上杉家が移って来たのだ。
「先に言っておくが、板鼻では気を付けるのだぞ。縁深き上杉が相手だ。バレることはないだろうが、それでも一応、な」
「さすがに弁えておる」
「ああ」
「うむ、ならばまずは箕輪城下とやらに向かうとしよう」
「そうだな。さすがに板鼻の玄関口だけあって立派な城だ。見所はたくさんあるだろう。まずは寺院に挨拶をしてから、ゆるりと見て回ろうか」
元気よく走り出す虎千代。それを微笑ましく見ていた覚明であったが、
「あ、とら、演技を忘れているぞ! この先は人目が!」
大事なことを思い出し、慌てて彼も追いかける。
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