第壱話:小鬼と僧

 越後国(現在の新潟県)、かつては日本海側における蝦夷との領域に接する辺境国であった。この時代においても京の都から地理的に離れ、畿内を天下とするならばそこからは大いに離れた世界の片隅であると言える。

 ここ春日山城下(現在では新潟県上越市付近)もまた越後の中では最も栄えているが、畿内から見れば越中への備えとして重視する向きはあれど、文化的な面での扱いはさほど大きくない。

 とは言え越後最大の城下町、富が集積する場所である。

 天文六年(1537年)10月の末、そこに一人の僧が訪れる。京の由緒正しき寺で修業を積み、わけあってこの地に流れてきた清貧の僧であった。

 まだ本降りにはならないが、雪もちらつき始める季節である。肌寒く目的地へ急ぎたいところではあるが、僧は春日山城下の景観を見て少しばかり足を緩めた。

 畿内から遠い地方、そう思いやってきたのだが、なかなかどうして立派な街並みである。守護代長尾氏が越後を掌握し、越後-畿内間の青苧(繊維材料)による貿易で発生する関税や、領土に金山、銀山があるため羽振りは良いと聞いていたが、街並みを見る限りどうやらその噂に相違は無いようである。

「修行の場として、このような華やかさは無用なのだが……まあ、貧しさに苦しむ民を見るよりは、と思うようにしよう」

 善きことである、と僧は飲み込み、見学も切り上げてそろそろ目的地へ向かおうかと言うところで、奇妙な童に遭遇する。

 屋根の上に佇み、天を仰ぎて微動だにせず。面は鬼の面を被っていて見えないが、髪の長さからして少女、であろうか。

「童よ、そのようなところにいては危ないぞ。降りてきなさい」

「ほう、俺に声をかけるとは余所者か」

 声からは男女の判断はつかない。少し高めの男の声にも聞こえるし、低い声の女にも聞こえる。ただ、口調から察するに男児であるのではないか、と僧は思う。

「旅の僧だな。わざわざ辺境の越後まで来るとは何用だ?」

「こちらの林泉寺で修行するために参ったのだ」

「質問に答えておらぬぞ。寺などどこにでも腐るほどあろうに、何故越後なのかと聞いておる。御坊、其の方はどこで何を見て、この地に参ったのだ?」

 面の穴より覗き込む眼。その得も言われぬ圧力に僧はたじろいでしまう。本当に眼前の童は見た目通りの子どもなのか。実は妖の一種なのではないか、と考える。

「わけあって京より参った。理由は……言えぬ!」

「京、畿内か。興味深いな……。御坊、鬼の子を怖れぬのならば俺が直々に春日山城下を案内してやろう。面白いものを見せてやる」

「……面白いもの、だと」

「ああ、そうだ」

 ふわりと鬼の面を被った童は着地する。体重ほどの重さも感じさせない着地音、相当身体能力が高いのか、やはり妖なのか、判断に迷うところである。

 だが、どちらであったとしても――

「……よかろう」

「そうこなくては」

 何故かついて行かない、という選択肢は頭に浮かんでこなかった。面の下より覗く妖艶な笑みを見て、僧は苦笑するしかない。もしかしたら己は既にかの魔性に魅入られてしまっているのやもしれぬ、と思ったから。


     ○


 妖しげな小鬼と共に僧は城下を歩む。時折僧に対し視線がちらつくも、誰もこの奇妙な小鬼に視線を合わせる者はいなかった。

 町全体が彼を避けているような、そんな雰囲気である。未知への視線ではないのだ。明らかに知っていて無視をしている。示し合わせたように。

「こっちだ」

「……華やかな通りから離れているようだが?」

「見栄など見てもつまらぬよ」

「見栄?」

「確かに越後には金がある。青苧座を支配し、流通の仕組みを変えたことで、かなりの富が越後に、長尾家に流れている。それは事実だ」

 まだ背格好からして十にも満たぬ子どもであろうに、話し方も話す内容も子どものそれではない。またも妖である懸念が高まるも――

「だがな、金は喰えぬのだ」

 街並みから隔離されたような区画、そこには貧しい身なりの者が大勢いた。全体的に痩せている。建物も表側とは打って変わり、安い造りばかりであった。

 もうじき本格的に雪が降り始めるだろうに、こんな備えでは――

「越後は湿地帯だ。米も取れぬし、川も荒れる。自前の食糧では民を喰わせることが出来ぬ。ゆえに、他所から仕入れるしかない」

 今は米どころとして有名な越後、新潟県であるが当時は湿地帯であり米を栽培するに適していなかった。今とはまるで異なる環境であったのだ。

「だが、金はあるのだろう」

「あるとも。金を持つ者の下には、な」

「……民を食わせねば、国はやせ衰えていくだけぞ」

「満たさば、民は充足する」

「それの何が悪い⁉」

「戦への意欲が削がれるだろう?」

「……なん、だと」

「生産手段が限られている以上、略奪するしかない。隣り合う村、隣り合う城、隣り合う国、どこもかしこも敵だらけ。四方八方油断など出来ぬ。だから満たせぬ。そんな姿を見せれば、大挙して押し寄せてこようが」

「……だからと言って――」

「それが越後と言う国だ。富める者は富み、さりとて分配は最小限。青苧に関しても元は青苧座、商人のみが羽振りよく、長尾家が目を付けねば富が大きく回ることもなかった。金山、銀山も我の強い国衆が押さえている以上、守護大名の上杉家に言わせたところで首を縦に振るとも限らぬ。厄介ぞ、この地は」

 何故このような子どもがそんなことを知っているのかはわからない。だが、表側の華やかさと裏側の明暗を見るに、結局のところこの地も他と変わらぬのだ。

「越後の中だけでも奪い合うように出来ている。まとまりなどない。力で押さえ、一時落ち着きを見せようとも、隙あらば寝首をかかれる。それゆえ、皆一層油断せずに力を蓄えるのだ。誰も腹の底では味方などと思っておらぬしな」

 味方であるべき者を敵と思っている内はまともな国家運営などできるはずもない。まとまりを欠くからこそ考えも局所的になり、それゆえに亀裂は大きくなっていく。まとめられる者がいればもう少し良くはなるのだろうが。

 そこも下手に富があるからややこしくなるという側面もあるのだろう。確かに今の世は慢性的な飢饉であり、金があるから何でも叶うと言うものではない。金は喰えない、これもまた一つの真実なのだろう。

「それに折角手に入れた金もな、畿内に流しておるのだ。朝廷や幕府にな。全ては御家のため、信濃守などを得て、長尾家の格を上げるためだ」

「よく聞く話ではあるが……」

「我の強い味方にとっては、くく、面白くあるまいよ」

「……そう、なるだろうな」

 表向きは美しき春日山城下。しかし、少し外れたならば貧しき者もおり、そもそも国自体が裕福と言えぬ状況でもあったのだ。金はある。ただそれだけ。

 信頼関係の薄い土地柄、今は勢いと力を持つ長尾家に従っているが、いつ裏切られてもおかしくはない。それが越後の現実。

「では、行くか」

「次はどんなものを見せてくれる?」

「残念ながら春日山城下はな、ここ以外に見所がない。俺にとってはつまらぬ町だ。海でも見たいか? 港でも見るか? 俺は嫌だ。つまらん」

「ではどちらへ?」

「林泉寺だ。目的地なのだろう?」

 そう言って小鬼は歩き出す。僧もまた追従する。

 その道中、

「何故、先の場所を面白いと思うのだ?」

「俺も日陰者だ。あの場所と俺が似ているからかもしれんなぁ」

 僧の質問にあっけらかんと答える小鬼の背中を見て、何となく察するところがあった。ここに来る前、多少は越後について、長尾家について調べてはいたのだ。

 曰く、長尾家当主長尾為景には四人の男児がいる、と。すでに為景は長兄を立て、家督を継がせることを決めており、今はそのための下地作りのため内乱鎮圧に尽力している。だが、末弟に関しては如何なる理由か知る由もないが、為景から疎んじられており、城から放逐された、という噂を聞いていた。

 あれだけ越後の、政の内情を知る子ども。

 おそらくは彼が――


     ○


 林泉寺は春日山の山麓に建立された曹洞宗の寺院である。越後の守護代長尾家によって創建された寺院であり、長尾氏の菩提所として発展してきた。

 歴史は浅いが、その分高名な僧を招致することに腐心し、今もまた――

「虎千代!」

「まずい、ジジイだ。俺は去る。ではさらば!」

「え?」

 凄まじい身のこなしで姿をくらませる小鬼。奥から猛然と走ってくる老僧から逃げ出したのだろう。確かに近づいてくる雰囲気だけで気圧されてしまう。

 何と言うか、鬼気迫ると言うか、あの童が小鬼ならば大鬼と言うか――

「むぅ、逃げ足の速い! そこな御仁、これぐらいの小鬼は見ませんでしたかな? 偉そうに講釈ばかり垂れる悪たれなのですが」

「え、ええ。その彼に案内してもらったのです」

「あやつめ。あれだけ町に降りるなと言うたのに」

「ですが、良い所を見せて頂きました。失礼ですが、貴方は天室光育和尚でお間違いはなかったでしょうか? 拙僧は臨済宗建仁寺より参りました、覚明と申します」

「ああ、聞いておりますよ。拙僧は曹洞宗が林泉寺六世住職天室光育と申します」

「この度は宗派の違う拙僧を受け入れて頂けるとのことで、大変感謝しております。未熟故何も持たぬ身ではありますが、精一杯修行に励まして頂きます!」

「なんのなんの。同じ禅宗、親戚のようなものです」

「そう言って頂けると」

 光育は御仏が如し笑顔で覚明の肩をぽんと叩く。彼もまた畿内より地方に流れてきた御方、覚明の気持ちは痛いほど理解できるのだろう。

「先の子は、やはり、長尾家の虎千代殿、でしたか」

「ええ。信濃守殿に疎まれ、今はこちらで預かっております」

 信濃守、長尾為景に叙勲された官位である。このようなものが与えられた場合、そう呼んでやるのがこの時代丁寧だとされた。対して名前、諱と呼ばれるものは公式文書への記載や、目上から目下への呼び方としては使われることはあれど、基本的にいみなと呼ばせる通り忌避されていた。

 為景の場合は官職の弾正左衛門尉と呼ぶのも正しい。

「剃髪をしていないと言うことは、出家はしていないのですね」

「そうですね。あくまで通いのような扱いではありますが、実態は寺の外に出ぬよう奥に離れを与えられ、そこでずっと一人暮らしておりますよ。信濃守殿には過度な干渉は控えるように、と言われてはおりますが」

「……そこまでとは」

「何で怒りを買ったのか、拙僧も知りませぬし、あの子も理解はしておりません。信濃守殿もそこに関しては何も言わぬため、わからぬまま」

「ふむ」

「まあ、この寺ではのびのびやらせております。窮屈ではありましょうが、極力縛り付けぬようにはしているつもりです。ただ――」

 ぎょろりと光育は背後に視線を向けた。視線の先、木の陰に潜んでいた虎千代を見逃さなかったのだ。何という鋭い眼光であろうか。

 とても先ほどまでの人物と同じには見えない。

「勉学を疎かにする子は、きつく躾けねばなりません」

 そう言って猛然と小鬼を追いかける大鬼、光育。追いかけてきたのを見るや否や、嬉々として逃げ始める小鬼、虎千代の姿を見るに、確かに悪い環境ではないのだろう。ここは畿内とは、京とは違うのだ。

 あの淀んだ、欲望渦巻く腐り切った世界とは、違うのだ。

 覚明は首を振ってあの世界を振り払う。そして、新たなる居場所の空気を思い切り吸い込んだ。冷えた、透き通った空気が肺を満たす。

 少なくともこの寺は清く、良い空気が流れている。

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