第1話 4月19日
「宝地戸」
旧校舎の片隅。
伸びたい放題に枝葉を伸ばした木々の真横に、一際雑草の生い茂った区画が目に入った。太陽の光を葉っぱ全体で受け止めて、しゃんと空へと伸びている雑草は、見ているだけで清々しい。
宝地戸が五社学園に来て、既に二年と少しが経っていたが、気付いたのはこれが初めてだ。
「おい、宝地戸、聞いてるのか?」
僅かに不機嫌を滲ませた声に振り返れば、片眉を吊り上げ、口をへの字に曲げたいかにもな表情があって、返事の代わりに瞬きを一つ。
「雨古」
「うん?」
「あれ多分、畑だ」
「はぁ?」
瞬間的に雨古の眉間に寄ったシワを合図に彼の腕を掴んで、普段使っているグラウンドより幾分か雑草と小石の多いグラウンドを突っ切る。
「やっぱり、ほら!土が流れ出さないように、レンガで囲ってあるだろ?」
「何がほら、だ。雑草だらけじゃないか」
「知らないのか?栄養があるからこそだよ」
雨古の気のない返事を横に聞きながら、雨で跳ねた土で汚れたレンガをなぞるようにぐるりと回る。
だいたい教室を半分に割ったら、これくらいの大きさだろうか。家庭菜園用にしては些か大きいかもしれないが、想像する畑と比べてみると随分とこじんまりとしている。見た目通り、手入れは随分と長い間されていないようで、表面の土は玉になって固くなっていた。
「うむ」
「おい、なに一人で納得してる」
「納得してるんじゃなくて、考えてんだよ」
「……話が進まねぇ」
更に雨子の眉間に寄ったシワは、呆れ半分、苛立ち半分、あとは少々の諦めをありありと表している。けれども、まだ声を荒げていないのだから許容範囲だろう。
「そんなしかめっ面してると、イケメンが台無しだぞ!」
「……誰のせいだと思ってる」
「へへ、褒めてるんだから怒るなよぉ」
「からかうなと言ってるんだが、分からなかったか」
「あっ、あ~、ごめんごめん!俺が悪かったって!冗談でした!な?」
射殺すような視線に、冷や汗が浮かび、肩が跳ねた。思ったそばからこれだ。
反射でぱちり、と両手を合わせて勢いよく謝れば、雨古はふん、と息を吐いたものの、眉間のシワは少しだけ解れたようだった。先手必勝とはよく言ったものだ。
とはいえ、雨古が本当に一部の女子から人気があることを、宝地戸は知っている。
それこそ、こっそりと女子から呼び出されている後ろ姿を見付けても、声をかけない気遣いを覚えたくらいには、何度もそういった場面に遭遇していた。
確かに、都会的な髪型と青みを帯びた淡い灰色の瞳は目を引くし、どこのパーツを取っても切れ長であるため、愛想の良さは到底感じられないものの、整った配置の顔面は、好み次第では格好いいと言われるのも分からなくもなかった。それに、何となく、雰囲気が格好よさげなのだ。
その証拠に、取り出した端末を片手で弄りながら、何気なく立っているだけの姿に、雑草はあまりにも似合っていない。
「……宝地戸、お前、端末持ってきてないな?」
「ん?」
「討伐だ」
目の前に差し出された端末には、所属組と同じ“玉兎”の文字と、竹の丙の文字が浮かんでいる。
「場所は……、近いなぁ」
「あからさまに残念そうにするな」
「そりゃあ、楽しい事が目の前にあったのに、テンション上げられないって」
「農民か」
「農家だよ」
実家の話である。
大きめにため息をついてから、背伸びをすると、コキリ、と関節の音が鳴り、いつの間にか固まっていたらしい筋肉が緩む。そして、吐いた分の息を吸い込み直して雨古に視線を移した。
「じゃあ、まぁ、先に強化よろしく」
「一人で突っ込んでいくなよ」
「もちろん、他に舞手がいればな!」
「そうか、すぐに追い付く」
「いや、ゆっくり来いよ」
返事の代わりにぎろりと睨み付けてくる雨古を笑いで誤魔化しながら、もう一度だけ畑を見る。ここから畑が逃げていくわけではないのだ。それならば、討伐が終わってから考えればいい。
「蕩々と白南風寂し晴天の、黒に染めにし鷹ぞかか鳴く」
雨古の柔らかな低音が辺りに響くと、一際大きな風と共に、遠くに鷹の鳴き声を聞いた。
とん、とその場で一度飛び跳ねれば、平時より幾分も身体が軽くなったような感覚に口角が上げる。疑うまでもないが、今日も雨古の術はしっかりと効いているようだ。
「それじゃあ、また後でな!」
雨古の返事を聞くより先に駆け出す。玉兎地区特有の、見るからに裕福そうな家々を抜けていけば、神を視界に捉えるのに、そう時間は掛からなかった。
大きさは二メートル強といったところか。
楕円形の胴の外皮は硬い甲羅に被われて、光の加減でてらてらと輝いており、細く節のある手足は長く、詠手の作った護符のお陰で崩れないことを良いことに、民家にその手足を引っかけ、よじ登ろうとしている所のようだった。
「(なんか、見たことあるんだよなぁ)」
虫っぽいことは確かだが、もっと具体的な既視感の正体を頭の隅で探しながら、右手でヒッピーバンドに触れ、そのまま引きちぎるように思い切り振り抜く。同時に、手の平にずしりとかかった重みを握りしめた。
もう随分と手に馴染んでいるそれは、所謂、鍬である。
ぐん、と足の裏に力を込め、弾き出すように踏み込んで神との距離を縮める。鋭く尖った足が振り下ろされるのを半歩飛び退いて避ければ、それはアスファルトに深々と突き刺さった。雨古に見せられた“文”の情報には、確か特攻型とあったはずだから、なるほど納得の威力だ。
再び振り下ろされた足を真上へ打ち上げる。けれども、その威力があっても当たらなければ問題はない。
狙うのは、地面に着いたままの足だ。六本生えたそれの内、二本は民家に手を掛け、もう二本は攻撃に使っている。あの細足では、自重を支えるには一本では足りないだろう。だから、そこを叩く。
神の足元に滑り込み、叩き落とすように鍬を振り下ろした。
「痛って!」
堅そうだとは思っていたけれども、まさか刃が弾かれるとは思ってもみなかった。じん、とした痺れは手のひらから腕へと伝わっていく。
「あっ」
瞬間、視界が大きくぶれて、遅れて体に衝撃が走る。受け身が取れる程の道幅などない。ああ、痛いだろうなぁ、と反射で身を固くする。
「叢雲の影に金羊、帆を上げよ」
重たい布が風を受け止めた音と共に、アスファルトの固さも、覚悟していた痛みも無い。それどころか、むしろ柔らかい布団に包まれたような心地よささえある。そして生まれた一瞬の余裕を、だめ押しのように向かってくる神の爪先に集め、咄嗟に空中で身体を捻った。
そのまま、切っ先を受け流し、竹のように硬く細い足へ鍬を引っかけて上へ飛び直せば、下方で地面を破壊する音と土煙が舞う。神の伸びきった足からは人とは違う関節のぎしぎしと軋む音がして、今にも突き刺さったそれを抜こうとしている。一際音が大きく聞こえるのは、そこに節目があるからだ。
ああ、これは運が良い。
ぺろりと唇を舐め、持ち上げた鍬に重力を乗せて、遠くに鷹の鳴き声を聞きながら、節に向かって思い切り振り下ろす。
ぺきょ、だか、ぽきょ、だか、とにかくおどろおどろしい見た目とは裏腹に、軽い音と手応えだ。それから、一拍置いて、神の断末魔にびりりと鼓膜が揺れた。思わず耳を塞ぎながら、着地すると視界の隅に黒髪が映ってにっと笑みを向ける。
「雨古ナイッスー!」
「うるさい、大口叩いてたくせに何て様だ」
「いやー、思ったより堅くてさぁ、手痺れた!けど、今ので分かったから、次は大丈夫」
「だったら早く仕留めてこい」
「もちろん、そのつもりだぞ。……それより、なんか雨古、顔色悪くないか?」
「……気のせいだろ」
そうは言うものの、走ってきたのだろう、雨古の息は上がっており汗をかいているが、顔色は赤らむどころか青ざめているようにしか見えない。その上、よく見ると表情が酷くひきつりきっているではないか。どこが、どう気のせいなのか。
僅かに足の裏に地面の揺れを感じ、関節が擦れる音に雨古の顔が更に青くなっていように見えて、ふと数日前の事を思い出して合点がいく。
夜のキッチンに現れる、黒光りする“あれ”。顔面蒼白にした雨古に真夜中に叩き起こされた原因の“あれ”と目の前の神は共通するところがあまりにも多かった。なるほど、これが既視感の正体か。
「雨古もしかしてさぁ」
「……口に出したら殴るぞ」
「はぁ~、そんなことかよぉ!」
「そんなって何だ!死活問題だ!」
「大袈裟だし、バレるの分かってんだからさっさと言えよなぁ。なんか、こう、もっと大変なことかと思ったろ!」
「名前も言いたくないんだよ!それくらい、察しろッ!」
雨古がポーチから札を一枚取り出すと、淡い光を放つと同時に堅いもの同士が激しくぶつかり合う音が響く。音のする方に顔を向ければ、透明に輝く宝石のような乱反射を起こしている壁の向こうで、神の足が折れ曲がっている。無詠唱ではあったが、宝地戸は何度かあの術を見たことがある。確か、金剛石を歌った内容ではなかっただろうか。硬い宝石を吟じた歌なのだから、威力は言わずもがなだろう。
「……あれ一番強い盾だろ」
「うるさい、さっさと態勢整えて構えろ。俺だけ帰るぞ」
「あはは、それは困るな!」
神の一挙一動にびくりと肩を揺らしながらも、術は確実に決めるのが雨古らしい。とはいえ、正直、宝地戸にはあれらがそんなに恐ろしく見えたことはなかったため、気持ちは一切合切分からないのだが。仕方ない。田舎育ちと都会育ちの差というのものだ。雨古の発動した盾のおかげで、神の攻撃は通らず、神もまた盾に気を取られ執拗に攻撃を繰り返している。鍬を空に向かって一度振り切れば、もう先程まで感じていた手の痺れは全く残っていなかった。
「強化は?」
「大丈夫。それより、あいつの気を引いててくれよ」
「……了解」
雨古の口許がきゅっとへの字に曲がり、思わずふはっと笑いが溢れた。
「いやっそーな顔!」
そこまで嫌そうな顔をされたら、努めて早く終わらせるしかあるまい。
弱点は関節を繋いでいる節目。幸い回復は遅いようで、攻撃に使っていた二本の足は殆んど使い物にはなっておらず、一本は雨古の盾へ、残りの三本が身体を支えている。それならば、やはり作戦を変える必要はない。
神が盾へと爪先を振り下ろした瞬間、懐に向かって駆け出す。そして、足の関節を一つ、二つ、三つ、叩けば巨体が前方へ傾く。そこへ更に踏み込み、倒れる寸前、振り上げれば鍬の刃先が届く高さにまで首が下がった一瞬に、脆い接続部へ勢いよく刃を差し込んだ。
薄氷を踏み締めたときのような、軽いものの確かな手応えが鍬越しに手のひらへ伝わってくる。そして、そのまま先にある柔らかな部分へ深く埋まる感触と共に、地面に叩き付けた。
砂煙が収まる間も無く、訪れた一瞬の静寂の中でピロンッと軽快な音が鳴る。雨古の端末からだ。
「神の沈黙を確認。討伐完了だ」
当たり前に雨古がそう告げると、晴れ始めた視界の隅で、横たわる神の身体が端の方からさらさらと砂に変わり始めていた。
比較的低位な神ではあったが、それでも、一組でほぼ無傷のまま倒せたのは、なかなか運が良かった。こんな場所だからか、五社の医療施設は充実しているし、宝地戸と同じ契約した舞手であれば詠手の術があれば回復できるものの、怪我をすればやはり痛いのだ。だから、少しだけ気が緩んでいたのだと思う。
一振りすれば鍬はヒッピーバンドへと戻り、それを頭に巻き直しながら振り返る。
「宝地戸ッ……」
雨古が、緑だ。正確には緑の液体まみれになった雨古が拳を震わせながらうつ向いている。玉兎の組色である白の学ランにも、その緑はしっかりと染み込んでいて、少しヤンチャな服にありがちなペンキを撒き散らしたような柄に見えなくもない。……ああ、そういえば、神の血液は身体が消滅しても消えないのだった。
「あっ、あ~……、雨古、そのぉ……」
「…………あ?」
「すみませんでした!!」
般若だ。勢いよく下げた頭は腰から曲げてきっちり九十度に、あとは学ランを手洗いして何か奢れば許してくれるだろうか。分からない。分からないから、もう謝るしかない。何時までたっても無言なのも怖い。顔をあげるのだってそうだ。だけれども、ずっとそうしているわけにもいかず、恐る恐る顔を上げると、雨古の背は遥か向こうへ、なおも遠退いているところだった。
青に迎陽 @kohaku1223
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