第2話 新しい魔法陣
ユーグと二人で入った図書室は、閑散としていた。普段の状態ね。
今は間近な試験もない。部活のないみんなは、放課後は遊びに行ったりしているのだろう。
いつもこの図書室に来るたびに、わくわくするの。
入り口のあたりは吹き抜けになっていて、本で溢れた一階と二階が見える。壁一面だけでなく、いくつもの棚にびっしりと詰め込まれた本の数々。生徒だけでなく教職員も使うため、一般教養から専門書まで揃っている。棚に並びきれないものは、地下の保管庫に仕舞われている。
先人の知識が詰まったそれらに、わたしは圧倒されるの。
ユーグは、二階の奥まで行った。目立たない席。図書管の中でも、さらに人が来ないところね。棚が邪魔で、通路の奥まで来ないとこの席は見えないわ。
対面して六つ椅子が並べられた机は、窓で切り取られた壁に短い縁がつけられている。採光のための窓は本を痛めないために大きくはないけれど、内庭を見下ろすことができる。今は緑がきれいな季節だ。
わたしも好きなのよね、この席。静かで人目につかなくて。
わたしはユーグの隣に座った。教えて欲しいって言っていたし。
わたしが座ったら、彼がぴくっとわたしと反対側にのけぞったけれど、わたしは無視した。
なんなのよ、いったい。同級生らしく、こいつのこと男子だとあえて意識しないフリして隣に座ったのに。
「で、何を教えて欲しいの? マイヤールくん」
「ユーグ」
ぼそっと呟いた声は、ああ、本当にわたし好み。低すぎず高すぎす、ちょっと掠れている。
「へ?」
「ユーグでいい。俺もリュシーって呼んでいいか?」
「いいよ、ユーグ」
心の中だけでたまにしていたユーグ呼び。いつもはあいつだったけど。
同級生に一方的にドキドキするのが許せなくて、頭の中でなんとなくあいつ呼びになっちゃってたのね。
それでも、気持ちが高まったときにはユーグって呼んじゃってた。もちろん頭の中。まさか本当にそう呼ぶことになるなんて。あえて気楽に聞こえるように言うのが、なんて難しいの。
それに、この声でわたしの名前が呼び捨てで呼ばれるなんて。すごくドキドキする。まさか赤くなってないよね。
先を促すように黙ったわたしに、ユーグは声をかけた目的を話した。
「魔法陣の書き方を教えて欲しい。
この間の魔法学の試験、俺、受けられなくてさ。で、レポート出せって言われたんだけど。
それがこれ」
彼が出した用紙には、『新しい魔法陣を一つ作れ』と書いてあった。
これは、難問ね。
最終学年のわたしたちにとっては、魔法陣を組むのはある程度できる。すでに魔法陣にいろいろと行わせるのも実践済みだ。
だけど魔法陣はすでに日常的に使われているのよね。
魔法が使えない人も魔石で魔法陣を発動させられるから、卓上照明や簡易湯沸かし器、移動式調理器、手元暖房機、保冷庫、それこそ生活に根ざしている。
それで新しいものって言われると、すごく変わったものしかないのではないかしら。
しかも、何かに特化した魔法陣を作るためには、いろんな知識が必要になるわ。
基礎だけでなく、それをどのように応用していくのかも問われているわよね。
「俺、魔法陣、苦手なんだよねー。
いつも感覚でやってたんだけど、今回はそれじゃ無理でさ」
そう言いながら、頭を掻いている。
「でも成績は悪くないでしょう?」
「全部、勘。数学も、勘で公式に当てはめればどうにかなる。史学も、年代やら何やら勘で書いたら当たる。
魔法論だけなんだよなー、勘が働かないの。相性が悪いのかもな」
こんな人がいるんだね。なんかコツコツと勉強しているわたしが、バカみたい。
そう思わなくもないけれども、今、彼から漂っている雰囲気は、見た目や噂と違って真面目そうだった。いい加減に勉強しているとは思えない。
数学だって、公式がわかるだけでは答えはでない。計算や導く過程はしっかりと身についているということだ。史学は授業の内容を理解して無意識に記憶しているのだろう。
魔法論は魔法の分析と構築の授業。論理的なようでいて、実はいろんな人の経験のごった煮を教わっているのよね。気づいていない生徒が多いようだけれど。大まかな傾向はあっても、細かいところになると作った人の癖が出てくる。
だから、学園で学ぶ程度だと、ほとんどの生徒は丸暗記するしかないの。魔法を発動する呪文を覚えたり、魔法陣を丸暗記したり。
わたしは、魔法や魔法陣を作った人ごとに分けて記憶しているのよ。師匠と弟子の関係も一緒に。そうすると、その系統ごとに、何をどう考えて作り上げていったのかが見えてくるの。
一見無駄な作業に見えるけれども、自分で魔法を作ろうとするときには大事なんだよね。特に魔法陣。
魔法はイメージでもできるけれど、魔法陣は細部までしっかりと作り込まなくては正確に発動しないから。
そこまでは授業ではやらない。なのに試験には出るのよ。なんでーって叫んでる人が毎回いるわ。
エリートを育てるための学園だもの、授業から発展させたものが出題されるなんて当たり前だとわたしは思うけどね。できなくても他ができていれば追試にならない配点だし。
そのあたりが彼も苦手なのかも。
わたしは魔法陣を組むのが好き。自分が論理で推測したことと、発動したものがぴったの一致したときの気持ちよさったらない。将来はそっち方面で就職できれば嬉しいわ。
魔力の少ない人も、魔法陣を使うことで魔法を発動できる。魔石を使えば魔力がない人だって。
いろんな人が便利になるって素敵よね。
「なぁ、手伝ってくれよぉ」
なさけない声を出す彼に、母性本能がくすぐられる。まさかこいつがわたしに甘えてくるなんて、思ってもみなかった。
きっとわたしの手伝いがなくたって、ユーグならなんとかするのだろう。
だけど、わたしに協力を仰ぐ意味が、きっとこいつにはあるのよね。
三年間同じクラスだったのにつきあいがなかったけれど、ここで一緒に過ごしてみるのも面白いのかも。遠くから見ているだけから近くで話す関係になって、わたしの心臓がもつかが問題だけど。
「手伝うよ。期限は?」
「七日後」
結局わたしは、ユーグのお願いを引き受けていた。
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