5章 舞い戻った小鳥は花宿奪還に挑む
[5-1]小鳥、朝を迎える
鳥の歌が遠くから聞こえてくる。
目を開けると、薄いカーテンを通り抜けて、太陽の光が差し込んでいた。
朝だ。遠くで物音が聞こえる。ここのところ朝は冷えてばかりいたのに、不思議と今日はあたたかい。
早く起きないと。
朝からやらなくちゃいけないことはたくさんある。
「……えっ」
目を開けて、ぼくは思わず固まった。
視界いっぱいに広がる黒。
それがヴェルクが身に付けていたシャツだと気付いた時、胸が高鳴った。
ゆっくりと顔を上げてみる。
ヴェルクはまだ眠っているみたいだった。
当然だ。一昨日は眠れていなかったみたいだし、すごく疲れていたもの。
鼻筋が通った精悍な顔に、闇色の髪が影を落としている。
普段隠れている右目が露わになっていて、固く目は閉じられているけれど、なんだかすごく特別なものに感じられた。
こうして見ると、ヴェルクの顔ってやっぱりすごくきれい。
普段は結んである長い髪も肩に流れていて、色っぽかった。
ヴェルクとホットレモネードを飲みながら話をして、魔法の儀式もして。
そのあと、ぼくは自分の部屋に戻ることはなかった。
ぼくたちはあのまま————、
うわあっ、今さら恥ずかしくなってきちゃった。
どうしよう! 顔が熱くなってくる。まるで燃えてるみたい。
——コンコンコンコン!
「えっ、なに!?」
ふいにけたたましく扉を叩く音がした。まるでキツツキみたい。クチバシで木の幹に開ける音のような。
変なことを考えていたから、焦ってしまう。
大丈夫。落ち着け、ミスティア。ちゃんと服は着てる。
「またジェラルドかよっ」
何の前触れもなく、ヴェルクががばりと勢いよく起き出した。
えっ、ヴェルク起きてたの? 今までの変な挙動とか悟られてないかな。いや、別に怪しい行動はしていないけどっ。
というか、ジェラルドってヴァイオレット卿のことだよね? 初めてじゃないってこと? あの人って朝一番にヴェルクの部屋になんで来るの?
だめだ。ツッコミどころが多くて、頭の中がまとまらない。
「違うよ。オレだよ、アクイラ! 朝早くに起こして申し訳ないけど、大変なことが起きたんだ。非常事態だからちょっと開けてくれないかな」
「なんだ、アークか。びっくりした」
「ごめんね、びっくりさせて。ジェラルドは置いてきたから安心して」
ヴェルクが扉を開けるまでに、ぼくは手櫛で髪を整える。
部屋に入ってきたアークは申し訳なさそうに謝っていた。起きたまま飛び出してきたのか、アークも寝間着のままだ。
「……そういえばジェラルドはそもそもノックしなかったっけ」
「ジェラルドにはノックなんて概念ないからね」
前から思っていたけど、アークはヴァイオレット卿に対する扱い方が雑だ。言い方がだいぶひどい。
ノックをしなかったということは、ヴァイオレット卿っていきなり扉を開けて飛び込んでくるような人なんだろうか。それはちょっと……、いや、かなり嫌だな。
「それより、アーク。大変なことが起きたって」
「そうそう、そうだった! 今朝、カーティスの使いの者が大慌てで報せにきてくれたんだけど」
眉を寄せて、アークは金色の瞳を剣呑に細め、続ける。
「オレたちが新たに移動しようとしていた拠点が、
ぼくもヴェルクも息を呑む。何もかも突然すぎて頭が働かない。けれど。
アークの真剣で苦々しいその表情が事態の深刻さを物語っていた。
* * *
「クーデター未遂から二日。何もしてこないと思っていたら、まさか先越されていたなんてね」
朝食の席で、パパはため息まじりにそう切り出した。
広いテーブルには焼きたてのパン、色とりどりのサラダ、コーンスープやオムレツが並んでいる。
ひっそり暮らしてきたぼくからしてみれば豪華でキラキラと輝かしい食卓だけれど、みんなの顔色はどんよりと沈んでいた。
姿を眩ますために秘密裏にお引っ越しするはずだったのに、その拠点が押さえられてたんだもん。これからの身の振り方を考えなくちゃいけなくなったし、そりゃ明るい顔なんかできないよね。
「本当にまずいことになった」
シャウラ様は一言も口をきいていない。朝食にはいっさい手をつけず、眉を寄せ難しい顔で黙り込んだまま。
だから、話の主導はパパが取っていた。
「今さらなんだけど、引っ越し先ってどういう場所だったの?」
まるで雨が降り出しそうな曇り空みたい。そんな重い空気に耐えられなくって、思いきって聞いてみた。
みんなの視線がぼくに集中する。
思わず背筋を伸ばしていると、ヴェルクがぽんぽんと軽く頭を叩いてくれた。
くすりとフランが笑ったあと、隣に座っていたジェイスも微笑みを浮かべる。
少し、緊張の糸が緩んだ気がする。
「引っ越し先はね、私が所有していたとある商業施設だったんだ。帝都内にあって、建物自体もある程度広くて大きい。なにより宿泊施設だから寝泊まりも可能だし、隠れ蓑にできるしね。いや、隠れ蓑にするために、私が作ったのだけど」
「宿屋か何かだったのか?」
質問したのはヴェルクだ。
宿泊できる建物っていうと、ぼくも村の宿屋しかイメージできない。大衆食堂つきで、旅の人や傭兵たちが泊まれるようなところだ。
「あー、うん。宿屋には違いない、かな。ねえ、殿下」
パパの返した答えは曖昧で、歯切れは悪かった。
なんだろう。おかしい。パパは何か大切なことを隠している気がする。
群青色の瞳を泳がせたあと、パパはシャウラ様に視線を投じた。だけど、シャウラ様には伝わらなかったみたい。目を閉じてため息をついてしまった。
「どうせ向かうつもりだったし、この際引き返せもしない。どのみちバレることだ。恥を忍んでさっさと暴露することだ、カーティス」
「そう、だね。私も覚悟を決めるよ、殿下」
シャウラ様に倣うように、パパは深いため息をついてまっすぐにぼくを見た。たぶん隣にいるヴェルクにも同じような視線を向けているはずだ。
ぼくはなにも聞かなかったけど、穏やかな低い声でヴェルクが尋ねた。
「……ただの宿屋じゃねえんだな?」
「宿屋だよ。大ぶりや小ぶりのものまで、様々な種類の花が色鮮やかに咲く庭園を持つ施設。そして大輪の花のような笑顔を咲かせる見目麗しい女性たちと楽しいひとときを過ごせる、すこーし大人向けな夢のような場所。花の宿プリムラはそういう特殊な宿泊施設なんだよ」
今までになくさわやかな微笑みを浮かべて、パパはそう言った。
でも目が笑っていない。もうどうにでもなれって思ってるのかもしれない。それくらいに見えない何かを吹っ切った感じで。
うん、たしかに特殊だ。さすがに普通の宿ではないと田舎育ちのぼくでもわかる。
けど、ぼく以上にヴェルクの反応は激しかった。
「何が特殊な宿だ。それはいわゆる娼館じゃねえか!!」
がたりと立ち上がる。幸い椅子は倒れはしなかったものの、それほどヴェルクの動作は荒々しかった。
「娼館ではないよ。でもまあ、うん。真っ当な商売かと聞かれると素直に頷くのは難しいかな。君の言いたいことも分かる」
激しい感情のまま言葉をぶつけられても、パパは眉一つ動かさなかった。
あくまでいつもの穏やかな表情のまま、ヴェルクの言葉を真正面から受け止めている。
「誓って言うけど、私は後ろめたいことをしていない。他種族の民を助け、保護したいと心の底から思っているんだ。それに、私はミスティアに胸を張れるような父親でありたいとも思っているよ。ちゃんと説明するから、とりあえず聞いてもらえないかな」
今なら、その言葉を信用できるような気がした。
血のつながっていないぼくを心配して眠らぬ夜を過ごすほど、パパは優しいひとだ。他の
今はそう信じたい。
「ヴェルク、とりあえず話を聞いてみよう」
「……分かった」
動きを止めたままのヴェルクが気になって声をかければ、頷いて椅子に座り直してくれた。少し声のトーンが落ちた気がしたけど、大丈夫かな。
そっと彼の顔を覗いてみる。
厳しい表情は変わっていない。鋭い眼光はまるで狼のよう。
ヴェルクは口を引き結んで、パパを鋭く睨みつけていた。
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