〈幕間3〉囚われの青い鳥は魔王と交渉する

「ミスティアが怪盗に連れ去られた」


 一瞬、耳を疑った。

 けど、どうやら聞き間違いではなかったらしい。もう一度陛下が同じ台詞を復唱したのを聞いて、おれは読んでいた本を閉じた。


「結界を張っていたんですよね? 【聖域サンクチュアリ】はそう簡単には解けない魔法のはずです。いくら銀闇でも妹に接近はできないと思うんですけど」

「調査の結果、内側から砕いた形跡が見つかった。おそらく魔法道具マジックツールか魔力が付与された特殊な武器で自ら結界を壊したのだろう」

「そうですか……」


 ミスティアが自分で結界を壊した、か。

 それは明らかに妹が自らの意思で逃げ出した決定的な証拠だ。でも。


「銀闇が妹を連れ去ったんですよね? 陛下はその様子をご覧になったのですか?」

「やつめ、余の目の前でさらって行ったのだ」


 目撃者は皇帝陛下か。これはかえって好都合かもしれない。

 頭の中でほんのりと浮かんだ策を胸の中に秘め、おれは唇を引き上げた。


 上目遣いに見えるような角度に調整して顔を上げる。相手は生粋の夢魔ナイトメア魔族ジェマだ。

 付き合いは短いけれど、陛下のことは誰よりもよく解っている自信がある。

 慈悲がなく残酷な仕方で人を扱うけれど、実は人嫌いではないことを知っている。

 陛下は鏡のような人だ。怖がれば手酷く扱われるし、怖がらなければ意外と何もしてこなかったりする。


「ということは、今回はノーカンですよね?」

「——は?」


 黒く濁りつつある紫色の瞳が見開いた。何を言っているのか分からないって感じだ。

 けど、頭のいい陛下は短い言葉でもおれが言わんとしていたことを察したらしい。不機嫌そうに眉を寄せ、睨みつけてきた。


「カウントするに決まっているだろう。ミスティアは自らの意思で結界を破壊したのだ。貴様との約束通り、あの小鳥の安全は保証しないぞ」

「それはだめです。それに結界を破壊したからって逃げるのは不可能ですよね。魔族ジェマは転移の魔法一つで逃げられますけど、おれたち翼族ザナリールは自分の翼で飛ぶか、種族魔法の【跳躍転移ウイングリープ】のどちらかでないと逃げることはできません。基本的に外に出ないといけないんです。ヴァイオレット卿に王城が多少破壊されたとはいえ、近衛隊や兵士の厳重な警備の中、妹が単身で逃げ出すのは無理です。つまり、結界を破壊しただけで妹が自ら逃げ出したことにはならないはずです。自力で逃げ出すには無理な話なんですから」

「暴論だな」

「事実だと思いますけど。それに妹は自分の翼で逃げたわけじゃない。銀闇が連れ去ったのですから、やっぱりノーカンですよね。そう思いませんか、陛下」


 立ち上がって本を抱えたまま陛下に詰め寄ってみる。

 もちろん陛下は翼族ザナリール相手に迫られてたって微動だにしない。あれ。でも少しだけ眉が動いた気がする。


「……仕方がないな」


 あからさまにため息をつかれた。ついでに肩をぐいっと押されて距離を取られてしまった。軽く傷つく。


「いいんですか?」

「散々畳み掛けておいて何を言っている。過程はどうあれ、銀闇はお人好しじゃない。人助けでミスティアをさらったわけではあるまい。あれは余への当てつけで小鳥を奪ったのだろう。狙わないとは確約はできないが、約束通り手は出さぬ」

「ありがとうございます」


 満面の笑顔を浮かべたのに、陛下の表情は動かない。その代わりに、おれの腕の中にある本に手を伸ばす。おれより本のほうに興味があったらしい。


「何の本を読んでいた?」

「陛下の本棚にある本を読んでいました」

「許可もなく読んだのか」

「はい」


 にっこりと笑ったらきつく睨まれた。


 ここは陛下の自室だ。

 人喰いの魔族ジェマが闊歩する城といえど、いくらなんでも陛下の寝室にまで押しかけてくる無謀な魔族ジェマはいない。一番安全な避難場所というわけだ。


 するりと奪い取った本を開いて、陛下はページをぱらぱらとめくっている。

 本音を言うと返して欲しい。

 まだ最後まで読んでないんだけどな。


「いにしえの竜の生態と考察、か。ユークレースが書いた本だな」

「マグノリア卿の娘さん、でしたよね。さすが宮廷魔術師長のご息女ですね。いにしえの竜に関する情報はまだ未確認で謎に包まれているというのに、情報量がすごいです。これほどまでに綿密な調査を進めている研究者はあまりいないですよ」

「セレスはさして興味がないようだがな」


 ぱたんと本を閉じて、陛下は本を返してくれた。


 マグノリア家の当主とその娘が研究方針でソリが合わないというのは、父上から聞いた話だったっけ。

 翼族ザナリールであるおれがなぜユークレースというその娘のことを知っているのかというと、彼女がかつて他種族融和ゆうわ派に属していたからだ。現在、ユークレース嬢は出奔していて、どこでどうしているかは分からない。

 いにしえの竜は魔物の類とは違う。幻想種とも違う特殊な存在だ。一説では創世の頃からjながく生きている個体もあるという。だが、いにしえの竜は精霊とは違いおれたち魔法使いルーンマスターに恩恵をもたらすわけではない。それゆえ興味を示す人は珍しく、たぶんマグノリア卿もその類だったのだろう。


 その彼女の本が彼の寝室にあるということは、つまり。陛下はいにしえの竜に強い関心を持っているということだ。


「陛下はこれからどうするおつもりなのですか?」


 いにしえの竜は膨大な魔力を持っているという。しかも意外なことに、かれらは何をされようともおれたち人族には逆らうことさえ世界の管理者から許されていないらしい。

 魔族ジェマ以外の種族を卑下し、搾取すべきだという意思を持っている陛下が次の標的としていにしえの竜に狙いを定めてしまったら、この世界はどうなってしまうんだろう。


「そうだな。次の拠点でも潰しておくとするか」

「へ?」


 何の話をしているんだろう。次の拠点って何のことだ?


「拠点、ですか?」

「何を呆けた顔をしている? お前が聞いたのだろう。拠点さえ潰せばシャウラ達も身動きは取れまい」


 なんだ、皇太子殿下たちのことを言っていたのか。よかった。まあ、殿下は強いし父上もしたたかだから、なんとか切り抜けられるだろう。

 いや、やっぱり良くない。よくよく考えれば、ミスティアはシャウラ様のそばにいるんじゃないか。


「次の拠点をご存じなのですか、陛下」

の影武者が事前に調べ上げたゆえ情報は入ってきている。とはいえ、が城を空けるわけにはいかん。セレスと近衛隊長を派遣し制圧するように手配しているぞ」

「はあ、そうですか。マグノリア卿とハイドレイジア卿が……」


 城の修復作業で少しの間は陛下を足止めできると思っていたけど、誤算だったようだ。

 シャウラ様も慎重に行動はしていたんだけど、やっぱり父親の方が一枚上手といったところか。タイミングよく影武者の狐を手に入れたのは陛下の強運がなせる実力なのかもしれない。


 陛下は決して不運体質ではない。ミスティアほどではないけれど、運がいい方だと思う。

 なぜわかるのかと言うと、おれこそが不運体質だからだ。

 人脈にもそこそこ恵まれているし、魔法の発動が成功する確率だって悪くない。なのに、どうして陛下は妹を欲しがるのだろう。グラスリード侵攻のために必要だとは言っている、けれど……。


 マグノリア卿は海歌鳥セイレーンの魔族で、ハイドレイジア卿は鳥獣王グリフォンの魔族だ。

 特に海歌鳥セイレーン人間族フェルヴァーを好んで捕食する傾向がある。

 ミスティアが心を寄せるあの人間族フェルヴァーの彼に何もないといいのだけど。


「拠点を押さえれば、反逆者を一網打尽にできる日も近いですね。おれはなにもできませんけどがんばってください。成功を祈ってます」


 我ながら名演技だ。陛下に向ける笑顔はいつだって最高のものにしている。

 なのに、陛下は白々しいと言わんばかりに、まるでゴミでも見るかのような目でおれを見た。

 ひどい。かなり傷つく。


 不運体質のおれが祈ったってどれくらい効果があるか分からないけど、今夜はミスティアと人間族フェルヴァーの彼のために祈ろう。


 あの子だけはしあわせな日々を送って欲しい。

 それがおれの、心からの願いだ。

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