[4-10 reverse side]脱獄王子は小鳥の騎士になる(下)

「ミスト、ちょっといいか?」


 食事が終わり、明日は早いからってことで各々が部屋に戻っていった時を見計らって、俺はミストに声をかけた。


「どうしたんだ、ヴェルク」


 顔を上げて首を傾げる仕草はあどけなくて可愛い。深い青の瞳には無愛想な俺の顔が映っている。


 本音を言えば散歩でもして話をしたいところだが、あいにく翼族ザナリールは夜目がきかない。

 となると、やっぱり二人でゆっくりするためには明かりがある場所の方がいいだろう。


「部屋で一緒に話さないか?」

「部屋って、ヴェルクの部屋?」

「ダメか?」

「う、ううん。だめじゃ、ないけど……」


 ほんのりと頬を赤く染めて、ミストは俯いてしまった。

 やばい、可愛い。何を想像したんだろうか。


 我ながら大胆な誘い文句だったのかもしれない。いや、大事な話があるだけなんだけどさ!

 そりゃ、まあ下心はあるが。

 ——って、俺は何言ってんだか。


 昼間の告白の後だもんな。

 俺もつい夢中で暴走しちまったところはあるし、意味深なことまで言ったし。


「あっ、ヴェルク。部屋に行く前にちょっと待ってもらってもいい?」


 ぱっと顔を上げたかと思いきや、くるりと背中を向けて走って行ってしまった。

 声かける暇さえなく、あっという間だった。

 さすが風の民、翼族ザナリールだ。めちゃくちゃ素早い。


 部屋を出て行っちまったんだけど、ミストのやつどこに行ったんだ。


 体感としてはそんなに時間はかからなかったように思う。

 再びかちゃりと開けた扉の向こうにはふたつのカップをトレイにのせたミストがいた。

 そろりそろりと慎重な足取りだ。細い眉を寄せ難しい顔をして運ぶ姿はかわ……、いや、危なっかしい。


「俺が持ってやるよ」


 ひょいっとトレイごと持ってやる。

 白いカップの中には薄い金色の液体がなみなみと入っていた。湯気が立っていて、今淹れたばかりって感じだ。


「これ何だ?」

「ホットレモネード。これを寝る前に飲むとからだが温まるんだって。だから一緒に飲もうと思って」

「これを、寝る前に……?」


 ミストって天然なのか、それとも分かってて言ってるのか時々わからなくなる。

 酒でこそないが(見るからにミストは未成年っぽいし)、ホットレモネードを飲んでそのまま俺の部屋で寝るつもりなんだろうか。

 どういうつもりで言ってるんだ。それとも俺が邪推しすぎなのか!?


「ヴェルク、どうしたんだ?」

「いや、なんでもない。早く行こうぜ」

「うん」


 昨日まで早く会いたい、告白の返事をしたいっていうことにしか頭になかった。

 なのに、今ではそれ以上のものを欲している自分がいる。

 大切にしたい守りたいと思うと同時に、俺だけのものにしたいっていう欲望がずっと頭の中でめぐっている。


 人っていうのは手に入ったら、さらにもっと求めてしまう生き物なのかもしれない。




 * * *




 ベッドを椅子代わりにして二人で腰掛けてから、俺はベッドサイドに置いたカップをミストに手渡してやった。


「熱いから気をつけろよ」

「うん」


 ミストは小さな両手で抱えてついばむように飲んでいる。まるで小動物か小鳥のようだ。


 翼族ザナリールは自分の翼で空を飛ぶ種族のせいか、痩せているやつがほとんどだ。そのせいか人間族ほどは身体が丈夫ではなく、寒い時期には体調を崩しやすい。

 きっとミストの身体を思って、誰かが温かいものを飲むように勧めたんだろうな。


 俺もカップに口をつける。蜂蜜が入っているらしく酸っぱくはないが、甘ったるくもない。ちょうどいい甘さだ。

 レモンの香りと一緒にとろりと喉を滑っていく。すっきりとした後味で、じんわりと胃のあたりが熱くなった。たしかに身体を温めるにはいいのかもしれない。


 さて、どうやってミストに切り出そうか。

 俺は回りくどいことは苦手だ。だったら、単刀直入に切り出すしかない。


「ヴェルク、話って何だ?」


 口を開くよりも先に言われてしまった。

 俺だけじゃなく、ミストも回りくどいことは苦手らしい。そういう意味で俺たちは最初から気が合うよな。


「ミスト、俺はお前のことが好きだし、今度は絶対に守りたいと思っている。だから、そのためにある魔法をかけさせてくれないか?」

「魔法?」


 きょとんとした顔で、ミストは見上げて俺を見る。頷いてから俺は続きを話す。


人間族フェルヴァーの種族魔法に【翼族の騎士ザナリールズ・ナイト】ってのがあってさ。たった一人、自分で選んだ翼族ザナリールにかけることができる魔法なんだ。ミストが危ない目に遭っても無条件に、たとえ魔族ジェマの作る結界の中に閉じ込められたとしても、俺を召喚することができる魔法だ。ただ、これをかけると生死だけでなく、ミストの居場所とか俺が分かっちまう。だから誰にでもかけていいシロモノじゃない」


 身体の向きを少し変え、俺はミストに向き直った。


「ただ、この魔法はミストが窮地に陥った時に、まず俺をばなくちゃ駆けつけることはできない。ミストのことは大事に思っているし、生涯守り抜きたいと思っている。けど、今回、俺は自分の手でお前を助け出すことができなかった。すごく悔しかった。次こそはどんな手を使ってでも、必ずお前のことを守るから。だから俺に守らせてくれないか?」


 深い青色の瞳が揺れる。

 もしかして、迷ってんだろうか。


「ヴェルクのことをぼくは信じたいと思ってる。けど、無茶なことはしないで欲しいんだ」


 半端な行動が、ミストを悩ませてしまったのかもしれない。俺のことを気遣ってくれる気持ちが正直嬉しかった。

 彼女を傷付けないために、そして信頼したいというミストの気持ちに応えるために、俺はもう一度ありのままの気持ちを言葉にする。


「多少無理はするかもしれないけど、無茶なことや無謀なことはしない。何が起こっても、二人一緒に生き延びられる道を探す。絶対にミストを一人にはしない。だから、一人の男としてお前を守らせてくれないか」


 ミストの大きな瞳が見開いていく。

 小さな唇が少し開き、彼女はこくんと頷いてくれた。


「うん。ヴェルクを信じる」

「ありがとな」 


 ぽんぽんと頭を撫でてやると、ミストは肩をすくめて恥ずかしそうにしていた。

 やばい、可愛い。

 さっきからこればっかり言ってる気がするけど、可愛いんだから仕方ない。


 そっと空になったミストのカップと自分のカップをベッドサイドの上に置き、立ち上がる。

 不思議そうな顔で見上げてくるミストを横目で見つつ、俺が片膝を立ててしゃがみ、彼女と視線を合わせた。

 まるで騎士が姫にかしずくような格好だ。これを教えてくれたのは親父様だったけど、思ってたより悪くないかもしれない。


人間族フェルヴァーの王ザレンシオの名のもとに、ヴェルク=ザレイアの名をかけて我は誓わん。どんな障害や敵が立ち塞がろうとも、我を必要とし呼び求める時、必ず翼族かのじょのもとに馳せ参じる、と」


 独特な魔法語ルーンを唱えながら、俺はミストの小さな手を取る。そのまま手の甲にキスをした。


 指先が少し震えていた気がする。

 けど、魔法は無事に発動したらしい。

 まばゆい赤い光が俺とミストを包み込んでいく。


 俺たち人間族フェルヴァーは炎の民と呼ばれている。だから魔法が発動する時、その魔力は赤い光に変化するのかもしれない。


 顔を上げると、ミストの頬が真っ赤に染まっていた。そう見えるのは、きっと魔法ばかりのせいではないだろう。

 背中にある薄紫色の翼がみるみるふくらんでいく。


 俺たち赤く照らす光は身体に溶け込むように、すうっと消えていった。

 まだ夢心地で現実に帰ってきていないような気がしたが、変化を感じた。

 なんていうか、うまくは言えねえんだけど。ミストとつながっているっていうか。

 やべ、こっちまで恥ずかしくなってきた。 


 顔が熱くなっていくのを知られたくなくて、俺は立ち上がってミストの隣に座り直す。


「ヴェルク、成功した?」

「あ、ああ。成功した、みたいだな」


 自分から魔法かけるとか言っておきながら、なに恥ずかしがってんだ俺。

 そっと隣を見ると、頬を真っ赤に染めたミストが見上げていた。熱に浮かされたような潤んだ目で見つめられると、心臓が破裂しそうなくらいうるさく鳴り始める。


 ミストの細い肩に手を置いて、そっとキスをした。

 俺の首にひんやりとした彼女の腕が回される。腰を引き寄せると、ミストの気持ちを反映するかのように柔らかそうな両翼が次第に広がっていった。


 ミストは俺の気持ちに応えたばかりか、信じると言ってくれた。

 それなら俺は、何があっても絶対に守り抜くことを誓おう。


 たとえ相手が皇帝であったとしても逃げるつもりはない。

 まだミストを狙い、手中におさめようと画策し、再び俺の目の前に立ちはだかる時がくれば。


 その時は遠慮なく、叩き斬ってやる。

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