[4-8]小鳥、愛を知る
半日くらいしか離れてなかったのに、カーティスの屋敷に入るのはずいぶん久しぶりのような気がする。
中に入ると、使用人たちはパタパタと忙しそうに動いていて、表情が固くて忙しそう。
そういえば、外にいた兵士たちはいつの間にかいつもの配置に戻っていた。気を遣ってくれたのかな。
ちょっと待って。
会いたい一心で忘れてたけど、ぼくとヴェルクはあんな公衆の面前でキスを交わしたんだよな。しかも、あんな、激しい……。
うわー、うわあ! 今になって恥ずかしくなってきた!!
「ミスト、どうした?」
「う、ううん、なんでもないっ」
ぶんぶんと首を横に振ると、ヴェルクは不思議そうに首を傾げていた。
絶対、今、顔が真っ赤になってる。
突っ込まれたら困る思ってたけど、ヴェルクは深く考えなかったみたい。リビングルームへと続く両扉を開けて中へ促してくれた。
室内はいつもとは違った空気に包まれていた。
知っている人たちの顔ぶれがそろっている。初めて見る人もいるけれど。
けど、みんな笑ってないし、なんていうか深刻そうな重たい表情をしていた。
ただ、テーブルのそばで佇んでいるジェイスだけがにこやかに微笑んでいる。
「ミスティア!」
ヴェルクが扉を閉めた音で気づいたんだと思う。
フランのひと声で、一斉にみんながぼくに注目した
みんな泣き出しそうな、悲壮な顔でぼくを見ていた。たぶん、すごく心配してくれたんだと思う。
たくさん迷惑をかけた。シャウラ様だって、見たことがないくらい疲れた顔をしてる。
謝らなきゃ。
そう思って一歩踏み出そうとしたけど、その直前で阻まれてしまった。
つよく身体を抱きしめられる。
こわい、なんて思う暇さえなかった。拒絶する気力さえわいてこない。
肌を通して相手の感情が伝わってくる。ヴェルクほど逞しくはない腕から、震えが、伝わってくる。
「ああ、ミスティア! 本当によかったっ」
「カーティス……?」
今にも泣き出しそうな声だった。
カーティスはいつだって穏やかに笑っていて、表情を崩すことがないタイプだった。どっちかというとジェイスと同じで、余裕たっぷりな大人って感じで。
だけど、力を少し緩めてくれたあと、カーティスが見せてくれた
群青色の瞳を大きく揺らして、涙ぐんでいた。
「陛下や他の
「う、うん。何もされてない。兄さんやジェイスが助けてくれたから」
「そうか。よかった。ほんとうに、無事でよかった……!」
力なくカーティスが笑う。その目の下にはうっすらと隈ができていて、胸が切なくなった。
初対面の時はいきなり抱きついてきたり、びっくりさせられることが多かった。
吸血鬼の魔族だからかな。正直、少しこわいと感じてしまった時もあった。
けど、今は違う。
直に伝わってくるほど、身体を声を震わせるくらい心を砕いてくれた。隈ができるくらい、眠れない一夜を過ごさせてしまった。
たぶん……、ううん、きっと本当にぼくのことを気にかけて、心配してくれたんだ。
両親は、ぼくがうんと小さい時に流行病で亡くなったって兄さんが言っていた。だから顔は覚えてないし、どういう人だったのかも知らない。
もしもパパが生きていたら、こんな感じで強く抱きしめて、涙ぐんだ声で心配してくれたのかな。
「カーティスは」
気になったら、聞かずにはいられなかった。
わからないことは、もうそのままにはしておきたくない。
「血は繋がってないし、ぼくは兄さんと違ってカーティスの養子でもない。なのに、どうしてこんなに心配してくれるの?」
まっすぐに目を見て聞いたら、カーティスは腕を離してくれた。
ぽんぽんとぼくの頭を軽く叩いて、顔を綻ばせる。やわらくて、とても優しい。兄さんがいつもぼくに向ける微笑みのようだった。
「ミスティアのことは、初めて会った時から本当の娘のように思っているよ。ローの妹なら、おまえは私の娘だ。目に入れたって痛くない、大事な娘だよ」
王城で皇帝と話して、妖狐の
カーティスはは一度だってぼくを冷たい目で見たことはない。もちろん下心を感じたことはなかった。
どうして気付かなかったんだろう。
カーティスは最初から、ぼくのことを大事にしてくれていたのに。
「ぼく、カーティスのことをパパって呼んでもいい?」
「もちろんだよ、ミスティア。おまえは私の娘なのだから。本当に帰ってきてくれてよかった」
今まで見たことがないくらい、満面な笑みでカーティス、ううん、パパは答えてくれた。
取り繕っていた表情とはどこか違う、あたたかな微笑み。きっとこれがパパの素顔なんだと思う。
「本当によかったわ。ミスティア、あたし、なにもしてあげられなくてごめんね」
フランがそばにきてくれた。やっぱり声は震えているし、フランも目の下に隈ができてる。
「ううん、そんなことない。心配かけてごめんなさい」
「ミストは悪くないだろ」
ヴェルクが後ろから肩を抱き寄せてくれた。
あったかい体温を直で感じて心が弾みそうになる。ちょっと恥ずかしいけど、ずっと会いたいって思ってたからこのくらいの羞恥心は平気だ。
「そうだぞ、ミスティア! 悪いのは皇帝陛下だからな!!」
「きゃう!」
大股でぐいぐい近づいてくるから、びっくりした。
変な声が出ちゃって、恥ずかしい。みんな、笑ってないかな。
見たこともない男の人だった。
背丈はヴェルクより大きいかも。黒い髪をオールバックにした、体格のいいお兄さんだ。鋭い瑠璃紺の瞳は嬉々としていて、とっても楽しそう。
顔は初めて見るけど、この喋り方と声って、もしかして——。
「えっと、ヴァイオレット卿?」
昨日の夜、皇帝の部屋を破壊して、ヴェルクやシャウラ様たちを助けてくれた黒い鱗の竜。シャウラ様は「ジェラルド」って呼んでたっけ。
「ほう、よく知っているな。俺の名前はジェラルド=ヴァイオレット。よろしく頼むぜ、ミスティア」
「う、うん。よろしく……」
顔立ちは悪くないのに、距離を詰めてくるたびに逃げたくなってしまうのはどうしてだろう。シャウラ様とは別の意味で圧を感じる。
近づきがたいキツい印象なのがシャウラ様だけど、ヴァイオレット卿は違う気がする。なんていうか、目が爛々と輝いていて、狙いを定められているような威圧感っていうか……。まるで猛獣みたい。
猛獣といえば、ぼくの中でヴェルクは狼のようなイメージだ。
ジェイスも言ってたけど、仲間思いで優しくて、敵に手心は加えない。太陽みたいにあったかくて、世界で一番ぼくの大切なひと。
「ジェラルド、ミストから離れろ。怖がってんだろうが!」
不意にぼくから離れたかと思ったら、ヴェルクがぐいぐいとヴァイオレット卿の身体を押し始めた。
迫力のある顔が少し遠くなってホッとする。
どうしてヴェルクはぼくが怖がってるとわかったんだろう。ぼくってば、また無意識に翼を縮ませてたのかな。
「何を言う。なぜ俺を怖がる必要があるというのだ?」
「お前みてえな大男、ミストみたいな小柄なやつはそこに立ってるだけで怖いモンなんだよ!」
それにしてもヴェルクはヴァイオレット卿とは結構喋るようになったんだなあ。助けてもらったからかな。それにしては、あまり仲が良いというわけではなさそう。
どれだけヴェルクがぐいぐい押しても、ヴァイオレット卿の身体はびくともしない。
皇帝がヴァイオレット卿の名前を聞いただけで渋い顔をしていたし、やっぱりすごく強い人なんだな。
でも、うん。皇帝が渋い顔をするのもわかる、かも。ぼくもヴァイオレット卿は苦手かもしれない。
「うちの可愛い娘をあまり怖がらせないでくれないかな。ヴァイオレット卿」
「そうだよ、ジェラルド!
パパに続いて、赤髪の男の子が近づいてくる。
年頃はぼくとそう変わらないくらい。つり目がちな金茶色の瞳を鋭くさせ、両手を腰に当ててヴァイオレット卿を叱っている。
初めて見る人だ。
ヴェルクに何を言われても動じなかったのに、赤髪の子にバシッと言われた途端、「むぅ」とか言って黙り込んでしまった。
すごい。どういう魔法を使ったんだろう。
「ジェラルドがごめんなー。怖かっただろ。オレはアクイラ。よろしくな、ミスティア」
そう言って、一定の距離を保ったまま、その人は人懐っこく笑いかけてくれた。
耳が尖っているから
アクイラ、か。
あれれ、どこかで聞いたような名前だ。どこだったっけ……。
——噂で聞いたんだが、おまえ、庶出の弟がいるんだろ? そいつはどうしているんだ?
——よく情報を掴んでいるではないか、ヴェルク。お前の言う通り、俺様にはアクイラという名の弟がいる。
そうだ。すっかり忘れてた!
昨日の夜、城に侵入する前にシャウラ様とヴェルクが話してたっけ。シャウラ様の腹違いの弟だ。たしか他種族
ということは、皇子様じゃないか!
「よ、よろしくお願い、します。えっと、アクイラ皇子……殿下?」
だめだ。ぼく、兄さんと違って、敬語が苦手すぎる。
「いやいや、兄上はともかくオレに〝殿下〟はやめて!? 敬語もいいから!」
「えっ、でも失礼じゃないか? シャウラ様の弟なんだろ?」
「たしかにオレは皇子だけどさ。母親は庶民だし、貴族に育てられたって言っても当人がこのジェラルドだから、高貴な育ちってわけじゃないんだ。だから、フツーにオレのことは〝アーク〟って呼んでよ。その方がホッとする」
そう、なのか?
そんなものなのかな。生粋の皇子様なのに。
シャウラ様を見ると、強く頷いていた。構わないってことなのかな。
本人が望むなら、まあいいか。敬語で話すのは苦手だし。
それに、シャウラ様がどうしてタメ口で話しかけてもあまり気にしないのか、わかった気がする。
「うん、わかった。よろしく、アーク」
「ああ。助けてもらえてよかったな。銀闇に助けてもらえるなんて、すごい幸運じゃん。カーティスによれば、銀闇って女嫌いで有名らしいし」
「そうなの?」
それは初耳だ。女嫌いにしてはエスコートは完璧だったと思うけど。
涙拭ったり、お姫様抱っこして颯爽と皇帝の前から姿を消したり。まあ、怪盗としてのパフォーマンスだったのかもしれない。うーん、でもやっぱり納得いかない。
タイミングよくジェイスと目が合った。やわらかく金色の瞳を細めて、にっこり微笑む。
「女嫌いですよ?」
「ええー、嘘だあ」
思わず口に出して言ったら、フランがプッと吹き出して笑った。屈託なく笑う彼女を、ジェイスは優しい目で見つめている。
そういえば、さっき言ってたっけ。ぼくを助けたのは、ぼくがフランの友達だからって。
ジェイスだって父親だもん。フランのことを大切に思ってるんだよな。
「それにしても、まさかお前が人助けをするとはな」
ため息混じりにシャウラ様が言った。
背筋を伸ばして腕を組む仕草は堂々としている。
いつも通りだと思うのだけど、どうしてだろう。苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「何のことでしょうか。いつ私が、善意で人を助けたと?」
爽やかな笑顔で、ジェイスはそう言った。眉間に皺を寄せたままシャウラ様が凍りつく。
うそ。城で言ってたことと違うんだけどっ。
どういうことなの。フランの友達だから、ぼくを助けたんじゃないの!?
「私は怪盗ですよ? 頂くものは頂きます。そうですね。皇太子殿下、小鳥の姫君と引き換えにあなたから何を頂きましょうか」
イージスの泥棒猫は極上の笑みを浮かべ、顔を引きつらせたシャウラ様に向かってそう言ってのけたのだった。
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