[4-7]小鳥、舞い戻る

 強い風を感じた。


 ぐんぐんと地面が迫ってくる。

 違う、ぼくたちの方が落ちているんだ。


「きゃあああああっ!! 落ちるぅうううううう!」


 翼を広げようにも、さすがのぼくでも男の人を持ち上げて飛ぶことなんて不可能だ。

 どうしよう! このままだと、二人一緒に落ちちゃう。

 ヴェルクに会う前に死んじゃうよー!


「そんなに慌てる必要はありませんよ」


 翼をひとつも持ってないのに、ジェイスは呑気にくすくす笑っている。


 思わず言い返そうとしたら、その前に彼は口早に魔法語ルーンを唱えた。

 翼族ザナリールのぼくでも、聞き慣れてしまった魔法。魔族ジェマが得意とする【瞬間移動テレポート】の詠唱だった。




 * * *




 瞬き一つで世界が変わった。


 地面へ真っ逆さまだったのが一変し、頭上は蒼天。

 ジェイスに抱き上げられたままだったけど、上から見る景色はもう王城の庭園じゃない。

 色とりどりの小さな花を咲かせる華やかな庭、鉄柵の向こうに見えるのは門番、なのかな。カーティスの屋敷の屋根の上だった。


「侵入者だ! 何なんだ、あいつは!?」


 門番の一人が大きく声をあげた。


 驚くのは無理もないよね。門番の仕事って、外敵からお屋敷を守ることだろうし。

 クーデターが失敗した今となっては、厳戒態勢になっていてもおかしくはない。


「ふふっ、怪盗リンクスアイズですよ。以後お見知り置きを。あなたたちの宝を届けに来たと館の主人あるじに伝えなさい」


 門番の兵士たちは大きく目を見開いてパニックになっているというのに、ジェイスはノリノリで答えた。満面の笑顔でとっても楽しそう。


「ジェイス、悪ノリしすぎ」

「こういう時こそ楽しんだ方がいいんですよ? ああ、ほら、見てください。どんどん観客が増えてきましたよ」


 騒ぎを聞きつけたのか、屋敷の中にいた使用人たちまで外に集まってきた。

 驚いてぽかんと口を開ける人もいれば、悲鳴をあげる人。色々だ。うう、なんか見せ物みたいで嫌になってきたんだけどっ。


「……ついに、真打ち登場ですね」


 ぽつりと言葉を落としたあと、ジェイスはぼくを下ろしてくれた。屋敷の屋根は傾斜が高くないからふらつきはしなかった。

 下に視線を落としたまま、ジェイスは唇を引き上げた。細めた金色の瞳は、まるで猫が獲物を見つけたような怪しげな光で揺らめいている。


 何が、来たんだろう。


 彼に倣うように、ぼくも視線を落とす。

 ぼくとジェイスを見上げる兵士や使用人たち。その中に混じる黒い頭を見たとたん、胸が強く高鳴る。


 ——ヴェルクだ。


 熱い。きっと今のぼくは耳まで真っ赤になっている。

 おかしいな。

 あんなに会いたいって願ってたのに、指が震えてきちゃった。


「てめえ、ミストを連れて来て何のつもりだ!」


 声高々に、ヴェルクがそう叫んだ。

 その相手はもちろん、ぼくのかたわらで楽しげに微笑む怪盗リンクスアイズだ。


 ジェイスはどう答えるんだろう。


 彼の顔色をうかがえば、ジェイスは目を細めて笑ったまま。

 形のいい唇が開き、大きな声でヴェルクに答える。


「そうですね。小鳥の姫君と引き換えに何をいただきましょうか」

「てめえ……!」


 完全に喧嘩を売っている!? それともヴェルクを煽っているんだろうか。


「ちょっ、ちょっとジェイス! 話が違うよ。ぼくを助けてくれるって、さっき言ってたじゃないか」

「そう言えばそうでしたね。ふふっ、ただの冗談ですよ。あまり気にしないでください」

「ヴェルクが気にするからっ」


 だんだんわかってきた気がする。

 この人、確信犯だ。人をからかって楽しむ系の人だ。


 まだまだ抗議し足りなくて勢いよく顔を上げたら、背中を軽く押された。


 猫みたいに鋭かった金色の目が、今度が柔らかくなっている。

 耳もとに顔を寄せたのか、ぬるい吐息がかかる。くすぐったくて耳が震えた。


「行ってあげなさい。私は中へ入って家主と話でもしていますから」

 

 振り返ってジェイスの顔を見上げる。

 彼は何も言わず、強く頷いていた。ぼくも応えて頷き返す。


「ジェイス、ありがとう!」


 短い魔法語を唱えたあと、ジェイスの姿が消える。


 ぼくは集中して両翼を広げた。

 飛ぶのは五年ぶりだけど、大丈夫。感覚は忘れてない。

 はやる気持ちを押さえつけながら足もとの屋根を蹴り、ぼくは再び空中に身を投げ出した。


「ミスト!?」


 風を切る羽音が聞こえる。調子は悪くない。

 ぐんぐんと大きくなるヴェルクの顔。前髪に隠されていない左目が大きく見開かれる。

 

 いつだって、どんな時だって、ヴェルクはぼくを拒んだりはしない。


 どうしてなのかな。

 一方的にしか告白していないのに、わかるんだ。むしろ、受け入れてくれるとわかっていて、ぼくは彼の元に戻ってきたんだ。


 動揺で大きく揺れた紫色の瞳が、細くなる。

 褐色の両腕を開き、ヴェルクはぼくから目を逸らさなかった。


 胸のあたりがあたたかくなる。うれしくて口もとが緩むのがわかった。


 ぼくも両腕を開く。


 迷うことなく、一直線に。

 翼を広げたまま、ぼくはヴェルクの腕の中へ飛び込んだ。


「ヴェルク、ただいま!」


 おかしいよね。ヴェルクに「ぼくの分までしあわせになって」とか言っておいて、「ただいま」だなんて。

 自分でもいい加減すぎるって思う。でも、それ以外の言葉が見つからなかった。


「ミスト、お前どうやって……! いや、今はいい。とにかく無事でよかった」


 重力に従って、ぼくの足はとんと地面に降りた。

 その直後、背中に回された腕が強くぼくを抱きしめる。身体が密着して、顔に彼の厚い胸板を押し付けられる。心臓がバクバク鳴っている。その音がヴェルクにも伝わっていそうで、余計に鼓動が早くなった。


「ヴェ、ヴェルク、苦しい……!」

「あ、悪い」


 このまま隙間なく密着していると、心臓が爆発しちゃう。

 陽だまりみたいにあたたかいヴェルクが離れていくのは名残惜しかったけど、彼は腕の力を緩めただけだった。まだ背中には力強い腕が回されたまま。

 心配そうに、紫水晶アメジストのような瞳がぼくを覗き込んでいる。


「ヴェルク、ごめんなさい。あんな言い逃げみたいな、ひどい別れ方をして……。皇帝に狙われてるのに、結局ぼくは戻ってきてしまった。どうしても、ヴェルクに会いたかったの」

「いや、ミストは悪くない。悪いのは俺だ。お前の気持ちを勝手に勘違いして、逃げていたんだ。ミストはあれだけの勇気を出して俺を助けてくれたのに」


 ヴェルクの左の瞳が大きく揺れる。今にも泣き出しそうに見えて、胸がきゅうっと締め付けられた。

 でもそれは一瞬だけだった。

 まっすぐ見つめる紫色の瞳が再び細くなる。いつもは隠れている右の瞳が、長い前髪の間から見えた。


「俺はミストのことが好きだ。お前はかけがえのない、この世界で一番大切な女だ」


 涙が決壊した。

 もう泣くことなんてないと思ってたのに。


「だから俺はお前の気持ちに応える。皇帝のことなんか、今は気にするな。俺の女くらい俺がこの手で守る。そのくらいの技量はある。もう誰にも渡さない」

「……ん」

「だからもう、〝しあわせになって〟だなんて言うな。一緒にしあわせになろうぜ」


 涙が止まらない。次から次にあふれていく。


 うれしい。すごくうれしいよ。

 ぼく、帰ってきてよかった。ヴェルクを信頼して、帰ってきてよかった。


 嗚咽が邪魔をして声がうまく出せない。代わりにこくこくと頷いて返すと、ヴェルクが笑った気がした。

 歪んだ視界の中では、本当は彼がどんな表情をしていたのかわからない。けど、ふいにあごを優しい力でつかまれたのがわかった。

 顔を上向かされる。

 ぬるい吐息を感じた。すぐそばまで、何かが近づく気配がした。

 唇にやわらかいものが当たって、指が震えた。考えなくてもわかる。それはヴェルクの唇で、今ぼくはキスされているんだ。悟った途端顔が一気に熱くなった。けど、ぼくもヴェルクの想いに応えたい。


 そっと目を閉じて視界を遮断する。


 まるで鳥のようについばむ優しいキスだった。何回か唇を重ねたあと、離れたと思ったらまた唇を重ねられる。

 ほんのりあたたかかった心の中が、熱くなっていく。

 心だけでなく全身が、この熱に浮かされそう。


 不意に。


 唇を割るように、隙間からヴェルクの舌が口の中へ侵入してきた。

 びくっと肩が震えた。自分でもわかるくらいだったから、きっとヴェルクにも伝わってる。けど、ためらう動きさえ見せず、ヴェルクの舌はぼくの歯列をなぞっていき、ぼくに舌を絡め取っていく。


 なにこれ。こんなキス、ぼく知らない。

 熱く激しいキスに翻弄されそうだった。頭の中がぐちゃぐちゃで。でも不思議とやめたいって思わなかった。


 声がもれそうになって、すごく恥ずかしい。

 夢中でヴェルクの服を掴む。

 背中に回された片腕が力を込めたのがわかった。


 ついに唇が離れていく。

 目を開けると、また涙がひとつこぼれていった。

 くすりと笑う声がした。

 まぶたに触れられる。やわらかなぬくもりのある指で、ヴェルクは涙を拭ってくれた。


 はっきりと世界が明瞭になる。

 口角を上げて笑うヴェルクの唇は艶やかで、また心臓が跳ね上がった。


 まるで狼が獲物を見つけた時のような。ぼくをまっすぐに向ける紫色の瞳は危険な輝きを閉じ込めていた。


「名残惜しいけど、続きはまた今度な」


 いつもと同じ声なのに、色っぽく聞こえた。ほっぺたが熱くなってく。

 早くなっていく鼓動を必死で押さえつけて見上げると、今度はヴェルクが目を丸くした。褐色の頬が朱に染まっている、気がする。ー


「……やべえ、可愛すぎる。これ以上はちょっと」

「ふえ!?」

「ミストが可愛いってことだって。ほら、早く行こうぜ。みんな待ってる」


 わざとらしく顔を逸らされて、ちょっと傷ついた。

 でもヴェルクはしっかり手を握ってくれた。指を絡めた握り方がいつもと違う。彼の気持ちがまっすぐに表れていて、すごく嬉しかった。


「うん!」


 握り返してヴェルクについて行く。

 手のひらはいつもより熱くて汗ばんでいた。ドキドキしていたのはぼくだけじゃない。ヴェルクも同じだったんだ。

 そう思うと胸が弾んで、いつもより足取りが軽くなった。

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