[4-6]小鳥、導きの手を取る
「私の手によって魔王のもとから逃げ出すか、それともこのまま鳥籠にとどまるか。どちらにしますか、小鳥のお姫様」
そう問いかけられて、すぐに答えを出すことができなかった。
ぼくはこのまま逃げてもいいんだろうか。
ヴェルクのもとに行ったら、また巻き込んでしまうかも。ぼくのせいで、彼が死ぬようなことになったりしたら——。
きっと、一生後悔すると思う。
「……わからない」
結局、中途半端な答えしか出せなかった。
おそるおそるジェイスの顔を見てみる。もしかすると、あきれられてしまったかも。
「おや、そうなのですか? 私はもうあなたの心は決まっていると思ったんですけどね」
不思議そうに首を傾げただけで、ジェイスは嫌な顔ひとつしなかった。少し心が軽くなったけど、もしかしたら気を使わせている可能性もある。
「では、どうしてあなたは魔王の結界を壊したのですか?」
「それはたぶん、逃げたかった、から……」
あんまり自信ない。どうしてぼくは結界を怖そうと思ったんだろう。ヴェルクに会いたいっていう気持ちが沸き上がったせいなのかな。
思い返せば、後のことをあまり考えてなかったかも。
「そうですね。きっと逃げたかったのでしょう。でもそれ以上に、あなたはあの
すごい。ジェイスにはぼくの考えていることが分かっているみたいだ。
その透き通る金色の瞳は、人の心まで見えてしまうんだろうか。
「ちゃんとお別れしたから、もういいの。最後にぼくの気持ちはちゃんと伝えたし。後悔なんてないよ」
キリキリと胸が痛む。
嘘。
ウソをつくなんて苦手なのに、ぼくはそう言って自分を納得させた。これ以上求めたら、きっと戻れなくなる。
あれ。戻るってどこだろう。ぼくはなにを怖がっているんだろうか。
「本当に未練はないのですか? とてもそうは見えませんけどね」
闇色の衣服に身を包んだそのひとは、くすりと笑みをこぼした。
つり目がちなその瞳を和ませ、頼りなく心を
「とても辛そうな顔をしていますよ。何を望んだっていいんです。本当は何がしたいのか、あなたの心のままに言ってごらんなさい」
「ぼくは……」
そんなの、最初から答えは出ている。
「ヴェルクに、会いたい」
口にした途端、目の前にいるジェイスの顔が揺れた。目頭が熱くなる。涙が頬を伝っていくのがわかった。
視界が歪んで表情なんかわからないのに、ジェイスが笑った気配がした。
「それなら会いにいきましょう?」
「だめだよ。危険には巻き込めないもん。ぼくに関わったことで、今度こそ傷つけちゃうかもしれない。なのに、すごく会いたいの。会いたくて会いたくて、気がついたら夢中で結界を壊してた。こんなこと許されるわけないのに……っ」
後先考えないのは、ぼくの悪い癖だ。
でも止まらない。どうやったら止まるの。わからないよ。
「会うだけじゃ全然足りない。ずっと一緒にいたい。皇帝に狙われてるのに、こんなぼくがヴェルクのそばにいて、いいのかな……」
誰でもいいから「いいよ」と言って欲しかった。ううん、もしかしたら否定して欲しかったのかもしれない。
そうすれば、今度こそきれいさっぱりヴェルクのことを忘れられる。
けれど、ジェイスはぼくが予想していた反応をしなかった。
くすりと笑みをこぼす。足を組み替えたのか、衣擦れの小さな音が聞こえた。
「あなたの心がどこへ向いているか、ちゃんと分かっているじゃありませんか」
また布が滑る音がする。かすかな音と共に人の気配を近づいてくる。さっき初めて会った時は部屋に入ってきてもわからないくらいだったのに。もしかすると、ぼくがこわがらないようにわざと音を殺していないのかもしれない。
瞬きすると、また涙がこぼれていった。
ふいにやわらかくてあたたかいものが、ぼくのまぶたに触れる。それが、ジェイスの指先だとわかったのはだいぶ後になってから。
まるで、村にいた頃、ぼくの涙を拭ってくれた兄さんみたい。父さんが生きていたら、同じように慰めてくれたのかな。
少しクリアになった視界の中、ジェイスはにこりと極上の笑みを浮かべる。
「大丈夫、あの
目の前になにか差し出される。
ハンカチだった。
シワひとつない紺色の生地。受け取って目に押し当てる。
さっき涙を拭ってくれた動作といい、さりげなくハンカチを差し出す気遣いといい、怪盗ってスマートな紳士なんだな。すごくカッコいい。
顔を上げて初めて、ジェイスは片膝をついてぼくと目線を合わせてくれていたことに気付いた。
金色の瞳の中に、陽だまりみたいな優しい光が灯る。
「ですから、ここは彼を信じてみてはどうですか?」
「ヴェルクを?」
ジェイスが「ええ」と頷く。
考えてもみなかった。
言われてみれば、ぼくは最初からヴェルクを信じてなかったのかもしれない。絶対皇帝に勝てないと思い込んで、これから先、彼の身に迫る危険のことばかり考えて。
初めて会った時、ぼくを取り囲む
誰よりも最初に出会って好きになったのは、このぼくなのに。どうして忘れていたんだろう。
「うん、わかった。ヴェルクを信じる。だからお願い、ジェイス」
もう塞ぎ込んだりしない。前を向いて姿勢を正す。
ハンカチを持ったまま、膝の上でぎゅっと力を込めた。
覚悟は決まった。
「ぼくをヴェルクのところに連れて行って」
「仰せのままに。怪盗リンクスアイズ、あなたの望みを叶えてみせますよ。小鳥のお姫様」
……うん、真面目な場面だとはわかってはいるんだけどね。
さすがに、そろそろ突っ込もうかな。ずっと気になっていたし。
ソファから立ち上がると、ジェイスも立ち上がって結界を取り除いていた。目の前にあった薄闇の結界が音もなくすっと消える。
顔を合わせた時からそうだったけど、ジェイスはいつだって楽しそうだ。その彼に、話しかけてみる。
「ジェイス、さっきから気になってたんだけど、〝小鳥のお姫様〟って、ナニ……?」
「あなたは籠に閉じ込められた魔王様の宝物ですから。それに、」
バン、と勢いよく開いた扉の音が、ジェイスの言葉を遮る。
でも怪盗の表情は崩れない。余裕の笑みを讃えながら、彼はくるりときびすを返した。
「その魔王様の目の前で堂々と、大切な宝を奪う——、それが怪盗としてのセオリーだと思いませんか?」
一瞬で心臓が止まりそうになる。
部屋に入り込んできたのは、まさに鬼気迫る表情をした皇帝だったからだ。
「銀闇、貴様——」
「ふふっ。いささか来るのが遅かったですね、魔王様。ああ、大丈夫ですよ。そこの狐は気絶しているだけです、死んではいません。まあたんこぶくらいはできているかもしれませんが」
くすくすと笑いながら、ジェイスはぼくの肩に腕を回した。抱き寄せられているような体勢にどきりとしたけど、文句を言っている場合じゃない。きっとこのまま逃げる気だ。でもどうやって。
「ミスティアに何をするつもりだ。貴様のことだ、まさか助けに来たわけではあるまい?」
皇帝の手には、鈍く光る銀色の
ひとたび皇帝があの武器を振るえば、その切先はぼくとジェイスに届いてしまうだろう。どうしよう。
生まれた動揺がぼくの心をかき乱す。捕まった後のことを考えるとこわくて不安で、思わずジェイスの服をつかんでしまった。
「大丈夫ですよ」
注意してないと聞こえないような小さな声で、優しい怪盗はそう言った。とろけそうなくらいに甘い微笑みを浮かべ——。
「その通りですよ、魔王様。人助けじゃありません。この怪盗リンクスアイズ、本日はあなたの大切にしている宝をいただきに参りました。幸運をもたらす小鳥の姫君は頂いていきますね」
ばっちりウインクを決めた後、芝居がかったセリフに思わず固まってしまう。
やっぱりお姫様扱いはまだまだ慣れそうにない。恥ずかしすぎる。
でもこれが不自然じゃなくカッコよく決まってるのが、やっぱりすごい。
——とか、考えていたら、ふいにふわりと身体が浮いた。
「えっ」
目を上げると、ジェイスの顔がいつになく近い。
翼を広げてもいないのに、地面に足が着いていない。だけど背中と膝裏からはひとの体温を感じる。見下ろせば、やっぱり身体は浮いている。まさか、ぼく、抱え上げられてる?
これって、俗に言うお姫様抱っこなのでは!?
「それでは」
「待て!」
慌てたり恥じらう時間なんか少しも残されていなかった。
狭い室内で(と言っても、ぼくの家の中よりも広い部屋だけど)軽やかに跳び、ジェイスはさっきぼくがしたように窓枠に足をかけた。
えっ、何する気!?
さっきぼくが窓から飛び出そうとしたのは、自分の翼で飛ぼうと思ったからだ。
でもジェイスには当然翼がない。
まさか翼もないのに、庭園や人が豆粒みたいに小さく見えるこの高い場所から飛び降りるわけないよね!?
おそるおそる見たジェイスの横顔は、不安の色なんか微塵も感じさせなかった。
くすりと笑い、自信たっぷりに形のいい唇を引き上げて。
勢いよく窓枠を蹴り、イージスの怪盗はぼくを抱えたまま窓の外へ身を躍らせたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます