[4-4]小鳥、怪盗に会う

「——怪盗、リンクスアイズ?」


 誰かと思ったら、泥棒だったなんてびっくりだ。

 真っ黒な服を着ているけど、今は太陽が高く昇っている真っ昼間だ。明るいうちに出てくるなんて、やけに堂々としている泥棒だなあ。


「はい、以後お見知り置きください。さあお手をどうぞ、小鳥のお姫様」


 身をかがめたまま、怪盗は笑顔でぼくに手を差し出した。

 彼の手のひらに自分の手のひらを重ねると、怪盗はぼくの手を握って優しく立ち上がらせてくれた。

 強く引っ張ったりせず、さっきの狐みたいに乱暴に扱ったりしない。一人の女性に対する紳士的な振る舞いだった。


「えっと、リンクスアイズ、助けてくれてありがとう」


 絶対偽名だとわかるだけに、口にするのも恥ずかしい。


 相手は魔族ジェマだし、どういう意図があってぼくを助けたのかはわからない。警戒は解くべきじゃないと思う。けど、この人のおかげでぼくは食べられずに済んだのも事実だ。

 素直にお礼を言うと、リンクスアイズはうれしそうに顔を綻ばせた。

 さっきまで、狐の魔族ジェマに鋭い視線を向けていたのが嘘みたい。


「窮地を脱したとはいえ、ここは魔王様の居城です。色々と私に尋ねたいことがあるでしょうが、まずは邪魔が入らないよう安全を確保しましょう」


 形のいい唇に人差し指を添えて、リンクスアイズは片目を閉じ微笑む。

 仕草や言葉がキザっぽいのに、不思議とカッコよく見えるのはなぜだろう。悪い人ではなさそうなんだけど。


 リンクスアイズはぐるりと部屋を見回し、詠唱を始めた。魔法語ルーンだ。何をするつもりなんだろう。


 ふいに、部屋を囲むように闇色の壁が下りる。

 色は全く違うのに、既視感があった。叩いてみたらコンコンと音がして、固い。

 まるで皇帝が張った結界みたい。

 兄さんは何て言ってたっけ。たしか、魔法の名前は——、


「【聖域サンクチュアリ】……?」

「おや、よくご存じですね。この魔法は他人の目から隠れるのに非常に便利なんですよ。私以外の者は出入り不可能ですので邪魔者は入りません。まあ、魔王様が張った結界とは違って暗いですが、そこはご容赦ください。あの狐のような者が入り込んでくることはないので大丈夫ですよ」

「狐……」


 そういえば、さっきぼくを襲ってきた狐はどうなったんだっけ。


 視線をめぐらせると、青紫色の狐はぐったりと横たわったままだ。

 血の匂いはしないし、パッと見ても怪我してる様子はない。気絶、してるのかな。


「あの狐の魔族ジェマ、起きたりしないかな」


 組み敷かれた時の記憶が、頭の中で鮮明によみがえる。

 大きく開いた口からのぞく鋭い牙と赤い舌。思い出した途端、背中がぞくりとした。

 リンクスアイズに助けてもらえなかったら、きっとあのまま噛み砕かれて、ぼくは死んでいたに違いない。


「狐が怖いですか? それなら息の根を止めておきましょうか」

「ええっ!?」


 にこりと極上の笑みを浮かべて、リンクスアイズはさらりととんでもないことを言い始めた。

 怪盗だよね!? えっ、人を殺すのにためらいない感じなの? 怖すぎるんだけど!


「だめ、絶対だめっ! お願い、殺さないでっ」

「あなたがそう言うのなら殺しませんが。ふふっ、お人好しですね。あの狐はあなたの同胞を手にかけているのかもしれないというのに。心配はないですよ。しばらくは起き上がれないように殴りつけましたので」

「そっか」


 リンクスアイズは基本的に人当たりがいいお兄さんだ。言葉は時々物騒になるけど、丁寧な口調だし。笑顔も裏表がなさそう。不思議と安心する。

 けど、さっきから心の中で引っかかってることがある。


「ねえ、リンクスアイズ。どうしてぼくを助けたの?」


 イージス帝国で有名な怪盗と名乗ってここにいるってことは、城内に潜んでいたってことだ。当然、何か目的があって潜伏していたんだと思う。単に高価ななにかを盗もうとしてただけかもしれないけど。

 それなのに、ぼくみたいな翼族ザナリール一人を助けるために、わざわざ姿を現してくれた。その目的とやらを中断させてまで。


「あなたは賢い姫君ですね」


 腕を組み、リンクスアイズは薄い金色の目をそっと伏せた。

 微笑みを浮かべる表情のまま、彼はちゃんとぼくの問いかけに答えてくれた。


「それはあなたが、私の大切な娘の友人だからですよ」

「娘の、友人……?」


 オウム返しをするぼくに、怪盗は笑顔で頷く。

 リンクスアイズはどう見ても尖った耳をしているから魔族ジェマだ。しかも皇帝と肩を並べるほどの技量の高い魔法が使える、かなり強い実力を持っている。

 魔族ジェマの知り合いはそんなに多くない。最近知り合った魔族ジェマの子で「娘」というキーワードに結びつく同性の知り合いは、たった一人しか思い浮かばなかった。


「娘って……まさか、フラン!?」

「ええ、そうですよ。娘がいつもお世話になっています。改めて自己紹介しますね。城内では立場上、怪盗リンクスアイズと名乗っています。まあ残念なことに〝銀闇〟と呼ばれることの方が多いんですけど。本名はジェイス=オルザードと申します。お好きな方でお呼びください」


 本名明かしちゃうんだ!?

 怪盗なのに、大丈夫なのかな。——って、ぼくは何の心配してるんだか。


「順を追って説明しましょう。ひとまず座って私とお話しませんか、小鳥のお姫様」


 肩に流れる銀糸の髪も、透き通るような薄い色の瞳も作りものみたいで、きれいな人だった。

 フランのお父さんは満面の笑みを浮かべ、再びぼくに手を差し出す。手を引っ込める理由もなかったから彼の手を取ると、やっぱり彼は優しくぼくの手を握って、ソファまでエスコートしてくれた。







 向かい合わせで座ってよく観察してみると、たしかにリンクスアイズ——ううん、やっぱりジェイスって呼んだ方がいいのかな——は、フランによく似ていた。


 肌の色は全然違う。褐色の肌をしたフランとは違って、ジェイスの肌は日焼けを知らないくらいに白い。でも違うのはそれくらいだ。


 つり目がちな薄い金色の瞳。フランの瞳はヘーゼル色だし微妙に色合いが違っているのに、よく似ていると思った。

 あの子の髪型といえばふわふわのポニーテールだ。彼の緩やかな波打つ髪も、フランの髪質とすごく似ている。フランって、お父さん似だったんだなあ。


 怪盗の娘だったなんて、びっくりだ。家族の話は一度だけ喫茶店でしてくれたけど、お父さんの話題なんて出さなかったし。シャウラ様は知ってるのかな。


 別れる直前、シャウラ様の腕に庇われていたフランは、ぼくを見ていたような気がする。

 どんな顔をしていたか思い出せない。けど、ぼくが城に居残ってしまったことで、きっと傷つけてしまった。

 魔族ジェマの友達は初めてだった。思えば最初から翼族ザナリールであるぼくを気遣ってくれて、優しくしてくれた。


 今はどうしてるのかな。この城にいる以上、きっと二度とは会えないだろうけれど。


「実を言うと、昨夜の出来事は私も把握しています。というか、天井裏で実際にていましたし」


 足を組んでソファに身を沈ませたジェイスはそう切り出して、話してくれた。


「〝ていた〟って?」

「ふふっ、これでも私は魔族ジェマの中でも珍しい部族でしてね。妖眼猫リュンクスってご存じですか?」

「ううん、知らない。猫って言ってなかったっけ?」

 

 たしか泥棒猫って、自分で言ってた気がする。

 ジェイスは笑顔を崩さず、「ええ」と頷いた。


「私の本性トゥルースは猫ですよ。妖眼猫リュンクスは眼に魔力が宿っていましてね、透視の能力を持っているんです。物理的に壁で隔てられていたとしても中の様子を視ることができる便利な力なんですよ。昨夜は猫の姿で城内に潜み、貴方達の様子を見ていました」

「どうして?」


 尋ねたいことがたくさんあった。

 城の中にいた理由、フランの身が危なかったのに姿を見せなかったこと。

 もしかしてジェイスは皇帝が兄さんを使って罠を張っていたことを知っていたんだろうか。


 だったら教えてくれても良かったのに。

 ——なんて、それこそ虫のいい話かな。


「皇太子の行動には以前から引っ掛かりを感じていました。帝国臣民は騙せても怪盗の目は欺けません。なにせ娘をあずけている父親の立場としては心配でしょう? ですから、城内に潜伏して様子をうかがっていたんですよ。案の定、昨夜、事は起こったというわけです」

「そうだったんだ」

「さすがにまずい展開になれば助けようと思ったのですが、黒い竜の彼が介入しましたから手は出しませんでした。魔王様レベルの相手をするのは、さすがの私も骨が折れるので、ね。彼の得意とする土魔法は苦手なんですよ。助けるのが遅くなってしまい、申し訳ありませんでした」

「ううん。ありがとう、初対面なのに助けてくれて」


 ふるふると頭を横に振ってから、ぼくは頭を下げた。

 フランの友達という理由だけで、ジェイスはぼくを助けてくれた。完全に命の恩人だ。感謝してもしきれない。

 なのに、ジェイスが危険な魔族ジェマかもしれないと、いつまでも警戒していた自分を殴りたくなる。仕方のないことだと言われても、失礼な態度だったと思うし。


 きっと、彼は助ける機会をうかがっていたのだろう。

 【聖域サンクチュアリ】は術者以外は入ることのできない結界みたいだし、ぼくが眠っている間にはもう魔法を発動させていただろうから、ジェイスには手が出せなかったんだろう。

 彼が介入できたのは、ぼくが皇帝の結界を壊したからだ。そのせいで危険な目には遭ったけど、フランのお父さんと出会うことができて、ほんとうに良かった。


 ——ということは。あれ? ちょっと待って。もしかしたらぼく、余計なことに気づいちゃったかもしれない。


「ジェイスは昨日の夜、ずっとぼくたちの様子を見ていたんだよね。ということは、あの時のぼくの告白って——」

「一言一句、ちゃんと聞いていましたよ。気持ちのこもった熱い言葉でしたね」


 極上の笑顔でさらりと言われた。

 かあっと一気に顔が熱くなる。


「いやぁああああっ、恥ずかしいぃいいい!」


 ぼくの一世一代とも言える大告白を聞かれてたなんて!

 いや、別に聞いてたのはジェイスだけじゃない。皇帝も兄さんも聞いてたのは分かってる。だけど、こうして言葉にされるのはすっごく恥ずかしい。

 なんであの時、告白しちゃったの、ぼく! いや、これで最後だと思ったから、口走っちゃったんだけどさ……。


 慌てふためくぼくが面白く見えたんだろう。ジェイスはくすくすと笑い出した。


「恥ずかしがることはありませんよ。きっとあなたの気持ちは彼に伝わったはずです。さて、大方心はすでに決まっていると思いますが、改めてお尋ねしましょう。私の手によって魔王のもとから逃げ出すか、それともこのまま鳥籠にとどまるか。どちらにしますか、小鳥のお姫様」


 ついと瞳を細めて、イージスの怪盗はぼくに問いかける。

 結界を壊したのはぼくなのに、その言葉にぼくの心は大きく揺れた。


 逃げるって、ぼくはどこに逃げるつもりなんだろう。

 ヴェルクのところだろうか。

 でも彼はもう巻き込めない。次に巻き込んだら、皇帝はヴェルクの素性を知って、彼の命まで狙ってくるかもしれない。

 

 いたい。ヴェルクにもう一度逢いたい。これがぼくの本心だ。

 でも大切な彼を危険に巻き込みたくない。


 ぼくは、どうしたらいいんだろう。

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