[4-2]小鳥、皇帝と会食する
「診察って、なんで。皇帝は、
胸の前で両手を握りしめて思わず身構えていると、皇帝の手が再びぼくの顔に伸びてきた。
顎をつかまれ、上に向けさせられる。
間近に虚無の瞳が迫ってきた。
心臓がぎゅうぎゅう痛い。
「顔の造形は悪くない。むしろローウェルよりは可愛げはある」
「……えっと」
「くくっ、なにか勘違いをしているようだな。嫌ってはおらぬぞ?
黒く濁った紫色の瞳に、光が灯ったような気がした。
耳がふるえるほどの甘い誘惑。強く握っていた指先の力が自然と解けていく。
とらわれたら、きっともう後戻りはできない。
わかっているのに
頭の中が真っ白になる。
「ミスティア、お前はどうして欲しい?」
「ぼ、ぼくは——」
形のいい唇を歪め、皇帝はさらに顔を近づけてきた。
濃緑の前髪が整った顔に影を落とす。
鼻先がぶつかりそう。すごく近くて、指先ひとつさえ動かせない——。
「だめです」
後ろに控えていた兄さんが、皇帝の両肩をガシッと掴んで思いっきり手前に引き寄せた。掴まれていた顎が解放されると同時に、その身体は勢いよく仰け反ってしまった。
なす
その姿はとても冷血な魔王と呼ばれた皇帝と不釣り合いで、滑稽で、不覚にも吹き出しそうになってしまう。
ぼくの意思に反して、口もとが緩む。
笑っちゃだめだ。ぼくだけは笑っては……!
ああ、でもだめ。今にも口が緩んじゃいそう!
「貴様、殺されたいのか?」
「殺すのは非効率ですよ。それにおれと貴方で〝約束〟を交わしたじゃありませんか」
「同意の上ならいいだろう」
「だめです。陛下は無意識に相手を魅了してしまうので、相手は拒否できなくなります。さっきだって、結構危なかったんですから」
約束って何のことだろう。聞いたら教えてくれるのかな。
「さあ、食事にしましょう。せっかくの温かいスープが無駄になってしまいます」
きつく睨みつけられても、なんのその。兄さんはにこりと笑ってそう言った。
とてもご飯どころじゃないと思っていたんだけど、タイミングよくきゅううとお腹が鳴って恥ずかしくなる。
やっぱりぼくは繊細じゃない。こんな時でも、普通にお腹がすいちゃうんだもん。
◇ ◆ ◇
皇帝と兄さんが持ってきてくれたパンは白くてやわらかくて、すごくおいしかった。
手で裂いて、バターを塗って口に運ぶと、香ばしくて甘い味が口いっぱいに広がる。
野菜がいっぱい入った具沢山のスープはぼくが大好きな料理だけど、もともと小食な兄さんはともかく皇帝はどうなんだろう。
スプーンですくったら、肉団子がいくつか入っている。柔らかく似た野菜と肉の旨味がすごく合っていておいしい。
この味なら男の人でも好みそうかも。
そう思い、ぼくはちらっと向かいに座る皇帝を観察してみた。
診察のついでにぼくに触れた皇帝陛下に、兄さんは堂々と意を唱えた。
席替えを要求します、とかなんとか言って変な理屈をこねるから、ぼくが席を代わったんだよね。
で、肝心の兄さんはと言えば、皇帝の隣にちゃっかり座って幸せそうにスープを堪能している。
五年ぶりに会ったけど、ぼくはますます兄さんがわからなくなってきた。
自分のペースを崩さないところは相変わらず。
手のひらを返してシャウラ様達を裏切ったかと思えば神妙な顔で謝る。けど、皇帝には遠慮なくズケズケ好きなように言いまくっているし、無理やり従わされているわけでもなさそう。
何を考えているのか、ちっともわからない。むしろ王城ライフを楽しんでいるようにも見える。
あー、もう! いつまでもモヤモヤ考えているのはぼくらしくない。
ここは単刀直入に切り出してみよう。
「兄さん、そろそろ状況を説明して欲しいんだけどっ」
「うん?」
空になった器をテーブルに置いて、兄さんは首を傾げた。
なに、とぼけてるふりしてんの。絶対わざとやってる。
「ぼくはカーティスに、兄さんが無理やり城に連れて行かれたって聞いたんだ。どういうこと? どうしてぼくを捕まえたりしたの!?」
姿勢を正して、真剣な目で兄さんを見つめる。
ぼくの態度を見て、兄さんもなにか思い直したみたいだった。きょとんとした表情を消して、真顔でぼくを見た。
「そうだね。ミスティアにはちゃんと話しておかないとね」
兄さんのコバルトブルーの目が動く。視線に気づいた皇帝は兄さんを
「貴様の好きなように話せばいいだろう、ローウェル。すべてを把握したからといって、小娘一人の力ではどうにもならん。
「呪い?」
それって、どういうことなんだろう。もしかして、兄さんは皇帝の意のままに操られていたってこと?
うーん、それにしては堂々と皇帝に好き勝手に言い返したりしてるし、〝服従〟ってほど従ってはいない気もする。変な感じ。
呪いは魔法の一部だって聞いたことがある。こんなことだったら、もうちょっと勉強しておくんだった。
わからないことはそのままにしない。ちゃんと考えるって決めたつもりだった。
だけど、いつまでもぐるぐる考えたって、知らないことはわからない。ここは当事者に直接聞いた方が早いに決まってる。
「兄さんは呪い魔法をかけられてるの?」
誤魔化したりせず、兄さんは頷いた。
空になった器を重ねてテーブルの角に移動させたあと、ぼくの目を正面から見て答えてくれた。
「そうだよ、ミスティア。おれの身体の中にはね、〝種〟が植え込まれているんだ」
「——えっ」
一瞬、耳を疑った。でもたぶん、聞き間違いじゃない。
「土に属する魔法にね、【
それじゃあ兄さんはやっぱり、皇帝に操られていたってこと?
「だから、ミスティアを助けてあげられないし、逃してもあげられない。その代わり、陛下の言うことにはなるべく従ってくれないかな。そうすればおまえも無事でいられるはずだから」
兄さんがやわらかく微笑む。その顔からは辛さなんて微塵も感じない。
皇帝は目を閉じたまま何も言わなかった。
「そんな。じゃあ、兄さんの身体は——」
「そう。大体察してると思うけど、今おれの体内では種が成長し、芽吹き始めている。身体の主導権はほとんど陛下が握っている状態だよ」
「そ、そう、なんだ……」
そうとは知らず、兄さんに対して腹を立てたりしちゃった。一番辛いのは兄さんのはずなのに。
——いや、なんか違うぞ。
好き勝手に反論したり、さっきは皇帝の肩を思いっきり引っ張ってのけ反らせたりしてなかった?
結構、自由にマイペースにしてるよね!?
「その割には好き勝手してるみたいだけど。
ぼく自身は小さかったからあんまり覚えていないんだけど、ぼくの両親は代々
物心ついた時から、兄さんは
いつも難しい顔で本や書類と睨めっこしていたし、かわるがわる来る村の人達の悩み事も真剣な顔で聞いていた。
「いやあ、しがらみがないっていいよね。操られてるのに縛られている感覚があんまりしないんだよ、これが。別に発言権まで取られるわけじゃないし」
「えーっ、兄さん他人事にとらえすぎだよ。これでもぼく、心配してるんだから」
とても身体に種が植え込まれている人とは思えない発言だ。むしろ、今の方が自由のびのびとしている。
やっぱり、胃がムカムカしてきた。
ぼくがどんな思いでシャラールを出て、兄さんに会うためだけにどれほどの危険をおかしたのか。ほんとにわかってるのかな。
「ふん。貴様、
黙り込んでいた皇帝が目を開いて、ポツリとつぶやいた。
すると兄さんの大きな翼がふんわりとふくらんでいく。
「そうですよ。陛下、興味ありますか?」
「少し気になっただけだ。
「ええええっ、王女!?」
なんか違う! 言ってることめちゃくちゃだよー!!
こんなガサツで大雑把なぼくが王女なんて。うわあっ、くすぐったすぎる!
「ちょっ、やめてよ皇帝陛下! ぼくはそんな高貴な身分じゃない。そもそも柄じゃな——」
あれ、なんかこの台詞聞き覚えある。最近、どこかで聞いた。
あれは、そう数日前。ごくごく最近、森の中で————。
——ちょっ、王子様なんてやめろよ。大体俺はそんな柄じゃねえって!
記憶が逆流する。
森の中。毛布をかぶって、焚き火にあたりながら食べた焼き魚。
てらいなく自分の出自について明かしてくれたヴェルク。王子様ってぼくが口にした途端、焦ってそんなことを言ってたっけ。
今なら、あの時の彼の気持ちがわかるかもしれない。
初対面なのに、ぼくがどんなやつなのかわからないのに。
ヴェルクはリスクをおかしてぼくに全部話してくれたんだ。
——
願ってはいけないのに、そう思ってしまう。
ヴェルクが幸せならそれでいいのに。好きだってわかると、ぼくはどんどん欲張りになる。
これ以上、彼を危険に巻き込んだらいけないのに——!
「……ティア。ミスティア?」
「へ!?」
「どうしたの、ぼーっとして」
またぼくったら、思考がトリップしてたみたい。
皇帝が目の前にいるっていうのに、ずいぶん余裕だなと自分でも思う。
兄さんが一緒にいるからかな。
「ご、ごめんなさい」
どこまで話聞いてたっけ。わかんない、覚えてない。
「とにかく貴様自身のためにも、ローウェルの言う通り
「結界……?」
そうだったんだ。全然気づかなかった。
そもそも結界ってどういう風に気づくものなんだろ。
「この部屋には【
「だから、ミスティアに会うために陛下にも一緒に来てもらったんだよ」
そうだったんだ。てっきり兄さんが皇帝を嬉々として連れて来たんだと思ってた。だって、皇帝と一緒にいる時の兄さんって、めちゃくちゃ嬉しそうなんだもん。
腕を取る兄さんの手を冷たく払いながら、皇帝は突然立ち上がる。たぶん部屋を退出するつもりなんだと思う。
兄さんも察したのか使い終わった食器をワゴンテーブルにのせて、後に続く。
「ミスティア、ローウェルの呪いを解こうなどとは考えないことだ。
形のいい唇を引き上げて、皇帝は不敵に微笑んだ。
ぼくはなにも言い返せなかった。
超レアな属性と言われている無属どころか、風属性の魔法しか扱えないぼくでは、たしかに皇帝には勝ち目なんてない。
くるりときびすを返して皇帝が出て行く。
追いかけるように続いた兄さんが出て行ったあとも、なにも言えなかったのがくやしくて、唇を噛んだ。
このままではダメだ。ぼく一人の力では、どうしたって兄さんを助けることはできない。
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