[3-9 reverse side]逃れた脱獄王子は激しく後悔する(下)

「魔法って何のことだ?」


 すぐに答えられずにいると、ジェラルドが疑問を投げかけた。

 針のように刺さっていたカーティスの視線が少しだけそれる。


人間族フェルヴァーが扱う種族魔法にはね、【翼族の騎士ザナリールズ・ナイト】という特殊なものがあるんだ。翼族ザナリールを守るためにとても有効な魔法だから、私はヴェルクに使って欲しかったんだよね」

「へえ、なるほどな! だが、なぜカーティスは人間族フェルヴァーでもないのに種族魔法まで知っているんだ?」

「私もそれなりに腕の立つ精霊使いだからね。元翼族ザナリールだから知っていたというのもあるのだけど」


 再び、群青色ウルトラマリンの瞳が俺に向く。

 カーティスはテーブルの上で手を組み合わせたまま、笑みを深くした。


「もしかして、ミスティアのためだけの騎士ナイトになるようにっていう言葉では伝わらなかったのかな」

「いや、違う。十分伝わった。けど……」


 言い訳とか弁解とかしたくなかった。

 傷つけたくなかった、だなんて、自分の失敗をミストのせいにしてるようなもんだ。


「魔法をかけるだけの度胸が、俺になかっただけだ。ミストの気持ちを聞くのが怖かったんだ」


 結局のところ、二の足を踏んじまった理由はそれだった。


「あの子の気持ちを聞かなくても、無理にでも、魔法をかければ良かったじゃないか」


 ため息まじりにカーティスはそう言った。


 返す言葉もねえ。

 作戦は順調だったし、俺もミストもうまくいくと思い込んでいたんだ。

 たしかに違和感は多少感じていた。その正体は掴めずにいたが。


「あまり責めてやるな、カーティス。魔法をかけていたにしても、ヴェルク一人召喚されたって皇帝やロー相手に切り抜けるのは無理な話だろう」

「そうかもしれない。でもね殿下、生死や居場所が分かるだけでも違ってくるんだよ。我々に奪還されるのを恐れて、陛下はミスティアをどこかに連れ去ってしまうかもしれない。グラスリードとの戦争のために利用するつもりなら殺しはしないだろうけれど、陛下は夢魔ナイトメアなんだ。側室は数えきれないくらい抱えているし、手が早いことで有名だろう。あの方の持つ魅了の魔力は強い。本気になれば誰だって、男女問わず手籠めにしてしまう。言いたいことは分かるだろう?」


 マジかよ。薄々感じてはいたが、やっぱり夢魔ナイトメアが正気じゃなくなるとロクなもんじゃない。

 親父様のこともあるし、やっぱり聞きたくなかった。

 気分が悪くなってくる。


「ミスティアは女の子なんだ。たとえ命が無事でも、陛下によって心の傷を負ってしまうかもしれない。ヴェルクにどんな事情があったにせよ、安全には変えられない。だから、無理やりにでも魔法をかけるべきだったと、私は言っているんだ」


 言っていることは間違っていない。正論だ。

 初めて会った時に明言していたが、こいつはミストの〝父親〟のつもりなんだ。父親として俺に怒りを向けている。


 ミストが俺のことをどう思っているのか、俺は自分で決めつけていた。だから魔法でつながりを持つのをためらってしまった。

 うだうだ悩んだ挙句、尻尾を巻いて逃げて。

 その結果がこれだ。


 ミストはただの人間族フェルヴァーとしてではなく、俺のことを一人の男として見てくれていた。最後に、勇気を出し、堂々と俺に気持ちをぶつけてくれた。

 それに引き換え、俺は最低だ。

 ひとり置いて行かれるのは不安だっただろうに、あんなに泣かせて、見送らせた。

 

「俺が、悪かったんだ」


 うつむくと目頭が熱くなってきた。

 泣くな。俺に涙を流す資格なんてねえんだから。


「……私も厳しい言い方をして悪かったよ。今夜はもう休みなさい。もう部屋は用意させてあるから」


 カーティスは一度も俺を睨まなかったし、怒りをぶつけてこなかった。最後まで笑って見送った。


 なんで笑っていられるんだ。

 いっそのことなら、激しく罵って殴ってくれた方がまだ楽だった。

 そうすれば、自分のことをもっと嫌いになれたのに。




 ◇ ◆ ◇




 使用人に案内された部屋は、思っていたよりも立派だった。


 ベッドは二つあって、俺みたいな男でも広々と横になれるサイズだ。テーブルセットに、壁には洒落た絵画が飾られている。

 奥に通じる扉があったから開けてみれば、シャワールームまであった。

 風呂付きの客間って初めて見たぜ。お貴族様の屋敷ってこれが通常なのか。庶民な俺には分かんねえ。


 愛用の剣を壁に立てかけて、ベッドに寝転がってみた。


 だめだ。全く眠気がこない。完全に目が冴えている。

 目を閉じると、別れる間際に見たあの泣き顔が鮮明によみがえってきた。息が止まるような苦しさを覚え、服の上から胸のあたりを握りしめる。


「……ミスト」


 あいつは本当に無事なんだろうか。

 どういうカラクリにしろ、ローウェルが皇帝の命令に従っていたのは事実だ。

 ローウェルだって兄貴なんだ。ちゃんと妹を守ろうとはするだろうけど、あの最低暴君から守れるのかは分からない。


 ふいにドアを叩く音がした。何も言わず起き上がると、かちゃりと開けられる。


「シャウラ?」

「眠れないのではないかと思ってな。様子を見に来た」


 昼間とは違い、シャウラは柔らかそうな素材のシャツとスラックスに着替えていた。たぶん、カーティスにでも借りたんだろう。

 部屋の照明に照らされたその顔は血色が悪く、疲労の色が濃い。


 疲れてんのならさっさと寝ればいいのに、なんでこいつは俺なんかの顔を見に来てんだか。


 シャウラは向かいにあるベッドに腰掛け、しばらく喋ろうとはしなかった。

 俺も同じようにベッドに座り、口を閉ざし続ける。


 永遠に続きそうな沈黙の後、ポツリとシャウラが言った。


「……悪かったな、ヴェルク」


 顔を上げると、シャウラの視線は下に向いたままだった。沈鬱な表情で眉を寄せている。


「父上の……皇帝の言う通り、俺様には調査が足りていなかった。グラスリードに渡った同志からの情報だけを聞き、それを鵜呑みにしたのだ。ローのことだってそうだ。あいつがどんな状態なのか、皇帝が何を企んでいたのか、情報が足りなかった。戦に他種族の者を使うなど絶対に有り得ないと断じていたのだ。世界はどこまでも気まぐれで、〝絶対〟という言葉ほど不確かなものなどないのにな」


 なんとなく聴き覚えのある言葉だな。どこで聴いたんだっけ。

 記憶の引き出しを片っ端から開けてみると、俺はソレをすぐに引き当てた。

 

 陽の光に照らされた薄紅色の長い髪。やわらかく笑う親父様の顔。

 今よりずっとガキだった俺と親父様が親子として過ごした、穏やかな時間。

 そうだ、親父様も似たようなことを言っていた。


「ソレ、親父様の口癖だろ。よく言われたぜ。己を過信せず、警戒を怠るなってな」

「はははっ、たしかにティトゥスなら言いそうだな。最近、ことに順調だったからすっかり油断していたのかもしれん」


 そうだ、俺も油断していたのかもしれない。

 城に入った時から違和感は感じていた。思えばあれは、俺自身の経験からくる警鐘だったんだ。


「……シャウラは悪くねえだろ。悪いのは俺だ。守らなきゃなんねえのは俺の方だったのに、ミストに守られちまったんだ」

「そうだな。それに関しては俺様も申し訳なく思っている。だがな、ヴェルク。カーティスは無理にでもミスティアに魔法をかければいいと言っていたが、その点に関しては同意できない。お前がためらったのは、ミスティアの心を配慮してのことだろう。結果として後手に回ってしまったが、お前が躊躇ちゅうちょし思い悩む気持ちを、俺様は分からんわけでもないのだ」

「どういうことだ?」


 何が言いたいのかさっぱり分からない。やけに遠回しな言い方だな。


 不審に思ってシャウラの顔を覗き込めば、あま色の目を泳がせていた。

 やけに今夜はしおらしいと言うか、らしくない感じだ。宿場街のカフェではふんぞり返っていたくせに。


「実はな、俺様にも愛する者がいるのだ」

「——は?」


 どういう状況なんだ。なんだこれ。

 なんで俺は、この人生最悪とも言える日に、皇太子サマの恋バナなんて聞かせられてるわけ?


「一応聞くけど、フラン……ではないよな?」


 シャウラの一番近くにいる異性といえば、フランしか思い当たらない。

 けど、あの子はどこをどう見ても未成年な見た目だ。魔族ジェマは長い寿命を持ってるから本当は俺より長く生きてるかもしれねえけど、魔族ジェマのやつらは外見で子供か大人か判断すると聞いたことがある。姿勢がいいししっかりしてるから勘違いしそうになるけど、まだ子どもなんだよな。

 対して、シャウラはどこをどう見ても成人した大人だ。年の差がありすぎる。


「なぜ、そこでフランが出てくるのだ? 本人の希望で雇っているが、彼女はまだ子どもだろう」


 違ったか。そりゃそうだよな、うん。


「フランはああ見えて、魔族ジェマの中でも稀少な部族でな。さらに親が裏界隈の者なのだが、本人は足を洗いたがっているのだ。だから、俺様が従者として雇っているというわけだ」

「そう、なのか」


 たしかに皇太子の従者って立場なら、裏とあまり関わり合いにならなくて済むもんな。給金もそれなりにいいだろうし。

 魔族ジェマでも稀少な部族のやつらは狙われることが多いと聞く。そばに置いておくことで、シャウラはフランを守ってやっているのかもしれない。


「えーっと、シャウラの好きな人って魔族ジェマなのか?」

「……いや、魔族ジェマではない」


 歯に物が挟まったような、ハッキリしねえ言い方だった。

 どの種族の民か言えねえってことか。


「明日になれば、お前も顔を合わせることになる。次に移る拠点に彼女がいるのだ。あまり巻き込みたくはなかったが、ローにかけられている呪いの正体が分からぬ以上、彼女に頼ることになるかもしれない」

「てことは、その人は呪いに詳しい魔術師ウィザード精霊使いエレメンタルマスターってことか?」

「まあ、似たようなものかもしれないな」


 勿体ぶっているようには見えない。

 詳しくは話せないのかもしれねえな。


「いずれにせよ、お前たちを巻き込んだのは俺様だ。必ずミスティアは取り戻す。ヴェルク、お前だってこのまま引き下がる気はないのだろう?」


 顔を上げたシャウラは挑むように俺を見た。


 不思議だ。鉛のようだった身体がいつのまにか軽くなっている。

 自然と唇を引き上げ、俺は不敵に笑ってみせた。


「当たり前だ。ここで引き下がったら男じゃねえだろ。ミストを取り戻し、親父様の仇も討ってやる。絶対に諦めるもんか」


 深夜の時間。ひそかに行われた厳粛には程遠い、大雑把な誓言。

 唯一の見届け人である皇太子は強く頷いて応えてくれた。

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