[3-9 reverse side]逃れた脱獄王子は激しく後悔する(上)
宙に浮いたままじゃ思うように動けない。今じゃ聴き慣れた詠唱の言葉さえ鬱陶しかった。
無理やりに連れていかれるなんて納得いかねえ。
こんなドラゴン、すぐに切り捨ててでも、俺だけは城に居残ってやる。そう決めていたのに——、
「初めて会った時から、ずっと大好きだったよ! ヴェルクは無事に逃げて、ぼくの分までしあわせになって」
そう言われて、俺の決意は根っこから音を立てて折れてしまった。
兄に抱きすくめられ身体の自由がきかなくても、ミストは俺に顔を向け、笑ってくれた。
頬を伝う涙が照明の光を弾いて輝いていた。
まるで宝石みたいに、きれいで。
どうしようもなく、自分に腹が立った。
なんて俺は馬鹿だったんだ。
失敗して当然だ。俺の選択は間違っていた。どうしてあの時、二の足を踏んじまったんだ。
なによりも大事なのはミストの安全だったはずなのに!
肝心な時になにも守れないなんて、最悪すぎるだろ。
強い後悔が大きな波となり、俺に襲いかかる。
歯を噛み締めたら、鉄の味が口の中に広がった。
憎たらしく嘲笑う
今この瞬間、身を斬られたようなこの悔しさを絶対に忘れるものか。頭に焼き付けてやる。
もう二度と、同じ失敗を繰り返したりはしない。
己に誓ったその時、黒竜の紡いだ魔法は無事に発動し、ぐるりと世界が反転した。
◇ ◆ ◇
風が頬を撫でる。気がつくと、俺は野外にいた。
暗闇の中でも分かる、手入れの行き届いた花壇。昼間は色とりどりの花を咲かせていたっけ。
丸く剪定された木の枝が小さく揺れていた。
見慣れた庭園だった。
それもそのはず。そこは出発前に俺達が滞在していた、カーティスの屋敷だったからだ。
『どうやら無事に全員逃げてこれたみたいだな』
一応気を遣ったか、黒竜はゆっくりと俺の身体を地面に下ろしてくれた。
けど俺は、こいつに礼を言う気にはなれなかった。
「よくもぬけぬけと言えたもんだな! 全員じゃねえだろ!! 俺達はミストを置いてきちまったんだぞ!?」
首をもたげたまま、黒竜の深い青の目が丸くなる。事態を飲み込めてねえって感じだ。
こいつに怒っても仕方ねえって解ってる。
別グループで動いていたんだ。俺の事情なんか知らないだろう。
黒竜は悪くねえ。
悪いのは、俺自身だ。
「ちくしょう!!」
座り込んだまま、力任せに石畳をぶん殴る。
体内でくすぶる悔しさをそのままぶつけ、殴り続ける。
痛みなんか感じない。いや、今の俺には痛がる権利なんてない。
再び振り上げた手を、不意に掴まれた。
怒りに任せて振り返れば、知らない男が俺の手首を掴んでいた。
「……お前、誰だ?」
そいつは、短い漆黒の髪をオールバックにした大男だった。
銀色の鎧を身につけている。暗い中でもそのシルエットから、十分に身体を鍛えているのが分かる。ガタイがいいし、腕が結構太い。美人系が多い
そもそも、こんなヤツいたっけ。目は黒竜と同じ青色だし、もしかして——。
「自己紹介が遅れたな。ジェラルド=ヴァイオレットだ。さっきの通り、
「ヴェルク、だけど……」
やべ。怒り、どっかいっちまった。
「そうか! ではヴェルク、俺はさっぱり今の状況は掴めんが、悔やむ気持ちは分からんでもない。しかしな、あの場でああするのが最善だった。それは間違いないぞ! だが、作戦は失敗した。俺達は負けたのだ。ならば、次に取るべき行動は一つ!! 分かるか、ヴェルク!?」
「お、お、おう? 何だよ?」
思わず迫力に飲まれていたら、ぐん、と腕を引っ張られて無理やり立たせられた。つか、腕が結構痛いんだけど。
こいつ、相当な馬鹿力だ。
俺は結構身長がある方だしそれなりに鍛えているというのに、片腕一つで立たせやがった。
「それは次に勝つため、己の肉体を鍛え抜くことだ! まだあの娘は死んでおらん。姫の奪還を目指し、魔王を倒すべく勝利を目指せ!! 行くぞ、ヴェルク! あの月に向かって——」
「行くな、馬鹿者!!」
間髪入れずにツッコミが入った。
振り返ると、シャウラは腕を組んで仁王立ちしている。そばにはフランもいて、半眼でこっちを見ていた。
いや、そんな呆れた目で見るなよ。俺は巻き込まれただけだぜ?
「何だよー、殿下。俺はただ、こいつが落ち込んでたから元気づけようと思ってだな」
「ローの魔法を受け、疲れきっている者を筋トレに連れ出すんじゃない。そんなだからお前は脳まで筋肉に侵されている、などと言われるのだ。まったく、相変わらず無茶苦茶なヤツだ」
納得がいってねえのか、ジェラルドは不満げな顔をして俺を見ている。
そんな目をされたって困るんだが……。
「今のはジェラルドが悪い!
よく見れば、シャウラの隣には見慣れないヤツが立っていた。
薄明かりの中だからなんとも言えねえけど、髪は赤っぽい。丁寧に短く切り揃えている。
背丈はシャウラほど高くはないな。ややつり目で金茶系の色だ。耳が尖ってるからこいつも
「お前まで殿下の味方か、アーク」
「オレは最初っから兄上の味方だからね!? 戦いで心身共に疲れ切ってんのに特訓とか、ジェラルドじゃなかったら死ぬから!」
そうか。こいつがシャウラの弟、アクイラ皇子か。
皇帝と使用人との間にできた庶出の皇子。その皇子がある貴族から庇護を受けている、という噂は、以前からシャラールの酒場でも持ちきりだった。
つーことは、後ろ盾になっている貴族がこのジェラルドとかいう脳筋野郎だったということだ。マジかよ。こいつ、そんな権力ある貴族には見えねえんだけど。
「こらこら。人の家で騒ぐものじゃないよ」
子どもをたしなめるような声で、それぞれの動きが止まった。
くそ、思わず肩が震えちまった。ついに家主のお出ましだ。
さしこんできた白い光がまぶしくて、思わず目を閉じる。
慣れてきた頃合いをみて、再び目を開くと、そこには。
カンテラを手に持つカーティスが立っていた。
「うちに逃げてきたということは、良くない報告のようだね。ここで話すのも場所が悪いし、君たちも疲れているだろう。とりあえず中へ入ろうか」
口角を上げて、カーティスはにこりと笑った。カンテラの光を下から受けたその微笑みが不気味に映って、正直居心地が悪かった。
◇ ◆ ◇
夜の遅い時間ということで、カーティスはまだ起きていた使用人に言いつけて温かいココアを淹れてくれた。
白地に金の装飾が施されたティーカップセットだ。昼間に使ってたのと同じカップだった。
「フラン以外は甘いものをあまり好まないだろうけど、飲むといいよ。疲れた時には一番さ」
なにしろお貴族様が出すものだ。色も匂いも知ってるもんだけど、絶対に俺が普段飲んでいるような安物ではないという確信があった。
試しに口につけて飲んでみる。
とろりとした液体が舌の上を滑っていったが、あいにく味は感じなかった。
「それで何があったのかな。ミスティアが一緒じゃないのも気にかかるし、詳しく話してくれないかい?」
「ああ。実は——」
代表して話し始めたのは、やはりシャウラだった。
暗い表情で滔々と語るのをカーティスは黙って聞いていた。
すでに経験してきたことを言葉にされるのは、胃が痛くなる。なぜなのか、理由は解っている。
「そうか。これは魔術に携わる者としての目線になるのだけど、もしかしたらローは呪いをかけられているのかもしれないね」
一通り聞き終えたカーティスはそう結論付けると、大人しくしていたジェラルドが片眉を上げる。
「呪いだと?」
「そうだよ。陛下は高位の魔法を扱うことができる
おいおい、物騒な会話だな。
つか、【
ちなみに【
監獄島でもシャラールでも、
なんでも大抵のヤツは「自分に逆らうな」という命令を与えるらしい。
ま、その方が後で細かい命令を付け加えて操りやすいもんな。
「いや、【
「そうか。だとすると、呪いの正体は陛下の得意な土に属する魔法のどれかかもしれないね。土属性の魔法は私の専門外だから、あまり分からないな。朝までに調べておくよ」
「悪い、助かる」
「ふふ、素直に謝るなんていつもの殿下らしくないね。どちらにしろ、次の拠点を探さなくては。殿下、例のところを掛け合ってはくれないかい? 隠れ蓑にするなら、あそこが一番いいんじゃないかな」
「むぅ、あまり厄介ごとに巻き込みたくはなかったのだが、やむを得ん、か……」
「私は一緒に行っていないから陛下に
そうか。シャウラはもちろん、カーティスもジェラルドも場所を移さねえといけないのか。
そりゃそうだよな。
特にジェラルドなんかは陽動や逃げる時にかなり目立っちまってるし。
「ところで、ヴェルク。君に聞きたいことがあるんだけど」
突然、カーティスは俺に視線を向けた。
表情は穏やかだが、表面を見ただけでこいつを分かった気になっていると、たぶん痛い目をみる。
それにこいつが何を物申したいのか、俺は分かっていた。
「どうして、ミスティアに魔法をかけなかったんだい?」
やわらかなその言葉が、いまだ痛み続ける心の傷を見事に抉った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます