[3-8]小鳥、さよならする

 ごうごうと風が荒れ狂っている。

 逸る気持ちを抑えつつ、ぼくの頭で考えることができたのは、やっぱり兄さんの腕の中から抜け出すことだった。


「ミスティア、暴れないで」

「あうっ」


 兄さんのお腹のあたりに手を突いて引き剥がそうとすると、頭を押し付けられてしまった。

 普段はのほほんと日向ぼっこしながら本を読んでるだけのに、なんて力が強いんだろう。狩りは下手だし、武器だって扱えないくらい非力だったのに。


「兄さん、離して! ヴェルクのところに行かせてよっ」

「ダメだよ、ミスティア。もう遅い。じきに陛下があの三人を捕まえるからね。もうどうにもならないよ」


 なんで皇帝なんかの肩入れをするんだ。

 兄さんだって分かってるくせに。

 捕まったらシャウラ様は今度こそ他種族の誰かを強制的に食べさせられちゃうし、フランだって無事には済まないんだぞ。ヴェルクだって、魔族ジェマに捕まったら殺されちゃう。


「……ローウェル、貴様、今何と言った?」


 低く甘やかな声が、さらに一段階低くなった。

 んん? どうしたんだろう。さっきまで上機嫌だったのに、怒っているような。


「はい。陛下が、一人で、彼らを捕まえると言いました」


 兄さんはにっこりと笑って、臆面もなく皇帝にそう言い切った。

 あああっ、こわいもの知らず! 皇帝の目が据わっていってるじゃないか。でも兄さんの笑顔は崩れない。ある意味すごい。


「何のために貴様がここにいると思っている。の援護をするためだろう!! 魔法を使え!」

「なぜです? 先ほど陛下が言ったんじゃないですか。陛下が、一人で、彼らを捕まえると。おれは必要ないですよね?」


 兄さんの薄藍の翼がふくらんでいく。

 え、何。もしかして非常識にも、今の状況を楽しんでるの。まさか。


 誰もが呆気に取られる中、ついに皇帝が鬼の形相をして近づいてきた。

 ひいっ! こ、こわい!!

 兄さんのばかばか! なんでわざわざ大帝国の皇帝を怒らせるようなこと言うんだよぅ!!


「貴様も魔法で援護しろ! いいな、え、ん、ご、だ!! スリープ、クラウドを、か、け、ろ!!!」

「そこまでおっしゃられるのなら、仕方ありません。貴方の言う通りに致しましょう」


 兄さんがヴェルクたちに目を向けたまま、青い目を細める。

 すると、あんなにうるさかった風の音がやんだ。


「てめえらの好きにさせるかっ」


 突然、ヴェルクが床を蹴り、大振りの剣を振り上げてきた。

 もしかすると、機をうかがっていたのかもしれない。今までは兄さんが繰り出した魔法のせいで近づくこともできなかっただろうから。


「危ないっ」


 向かってくるヴェルクに、皇帝の鞭が伸びる。ウイップは遠距離の武器だ。うかつに懐に入り込むのは命取りになる。

 だけどヴェルクは、ウイップの射程距離を把握していたようだった。

 力任せに叩き込んで相手の勢いを殺す。


 ふらっと、皇帝が身体を傾けながら後退する。


 何かを察したのか、ヴェルクの動きが止まった。大剣を構えたまま立ち尽くしている。

 二人とも、一体どうしたのだろう。


 その疑問の答えはすぐに明らかになった。


 ヴェルクの、シャウラ様やフランの頭上に黒い雲が現れる。

 初めて見るものの、ぼくはもう確信していた。

 眠りを誘う闇に属する魔法。【眠り雲スリープクラウド】だ。


「まずい! 下がれ、ヴェルク!!」


 詠唱なんてちっとも聞こえなかった。

 やっぱり兄さんはすごい。無言で魔法を使うことができるだなんて。


 どうしよう、雲が広がればみんな眠ってしまう。ヴェルク達が捕まっちゃう!


 こういう時はどうすればいいんだろう。

 一体、どうすれば——。



 ——ミスティア、精霊達はおれたちのことが大好きなんだ。だから心を込めて祈れば、その願いは聞き届けられるんだよ。



 他の誰でもない兄さんのコトバ。

 身動きが取れないぼくができるたった一つのこと。それは精霊に祈ることだ。

 皇帝や兄さんの言う通り、ぼくが精霊の加護を受けやすい体質なら、心を込めて祈れば聞いてくれるかも。

 うまくいくかは分からないけど、やるしかない!


「……おねがい、精霊たち」

「ミスティア?」


 声に願いをのせて。


「ヴェルクや他のみんなを助けて!!」


 刹那。

 ぼくと兄さん、皇帝の間を、一陣の風が通り抜けた。

 そしてその風はヴェルクの前に立ちはだかり、大きく円を描いて、頭上の黒雲を霧散させる。


 兄さんの魔法が、無効になってしまった。


「う、そ……」


 夢みたい。ほんとに成功しちゃった。


「……【つむじ風ワールウィンド】か。さすがおれの妹だね。精霊に直接語りかけて魔法を発動させてしまうとは。でも」


 兄さんの瞳が鋭くなった。大きな翼が弓形ゆみなりに持ち上がる。

 まずい、また魔法を使う気だ。


「兄さん、やめ——」

「何をする、貴様! ……ぐはっ」


 ぼくの声をさえぎったのは、扉の向こうから聞こえた声だった。

 パニックする間もなく、続いて声がかかる。


『殿下、扉から下がってろよ! じゃねえと怪我するぜ!!』


 すごく元気のいい声だった。

 シャウラ様は無言でフランを抱えて飛び退く。

 着地したと同時に、大きな爆発音。

 なんと扉が砕けてしまった。


 金の装飾を施された扉が、ガラガラと音を立てて崩れていく。

 壁にまでヒビが入って欠片が落ちた。

 立ち昇っていた煙が小さくなってくると、人影が見えてくる。


 ううん、違う。あれは人影なんかじゃない。


 天井にまで頭が届きそうなほどに、巨大な体躯。

 広がる皮膜の翼、厚い絨毯に食い込む大きな爪。

 漆黒の鱗をもつ大きな竜。ドラゴンだった。


『はっはっは! 風向きが怪しくなってきたからな。助けに来たぜ、殿下!』

「ジェラルド!」


 竜がしゃべった。って、この人もしかして、陽動を担当してたっていうヴァイオレット卿?


「いいところに来てくれた上に、出口を広げてくれるとはな。これで魔法が使えるぞ。よくやった! 一時撤退だ。逃げるぞ、ジェラルド!!」

『む、そうか。ならば逃げるぞ!』 


 よかった。こんないいタイミングで助けが入ってくれるなんて、すごいだ。

 これできっと、シャウラ様達は逃げることができる。

 できることならぼくも行きたいけれど……。


 兄さんの腕から抜け出せない以上、みんなとは一緒に行けそうにない。


「ヴェルク、何をやっている!? ここで全滅はまずい。逃げるぞっ」

「馬鹿言うんじゃねえ! ミストを置いていけるかよ!!」


 シャウラ様がヴェルクの腕を引っ張っている。

 迷いなく言い切った彼の言葉に、心が大きく揺れた。


「気持ちは分かるが諦めろ。父上はミスティアを利用するために捕まえたんだ、殺しはしない。ローだってそばにいるんだ」

「てめえ、自分が何を言ってんのか分かってんのか! ミストは女の子なんだぞ!? あんな魔族ジェマの、夢魔ナイトメアなんかにみすみす渡せるかよ! あの皇帝は親父様を——」

『面倒だ。まとめて連れて行くぞ』


 シャウラ様に激しく掴みかかるヴェルクの胴体を竜(ヴァイオレット卿?)が大きな口で加えた。

 身体が宙に浮いて暴れるヴェルクを無視して、魔法語ルーンを唱える。


「やめろっ! 俺は残る!! 俺だけはミストのそばに——!」

「ヴェルクっ」


 これが最後だ。今を逃すと絶対に後悔する。


 なにか話さなきゃ。時間はあまり残ってない。

 できるなら、最後くらいは笑って別れたい。 


「今まで、ちゃんとしたお礼を言えなくてごめん。ヴェルクのおかげで兄さんに会えたよ。ずっとそばで守ってくれてありがとう」


 目の前がぐにゃりと揺れる。


 泣いちゃだめだ。

 笑え。笑えよ、ぼく! この瞬間、笑って見送らなきゃ。


 ヴェルクを逃してあげなきゃいけないんだから。


「初めて会った時から、ずっと大好きだったよ! ヴェルクは無事に逃げて、ぼくの分までしあわせになって」


 ああ、そうか。そうだったんだ。

 言葉にして、ようやくわかった。

 敵をなぎ払い、ぼくの手を握ってくれたあの瞬間から、ぼくは——。


 ぼくは、ヴェルクに恋をしていたんだ。


 涙があふれるのを無視して、笑ってみせる。

 どんな顔してたのかな。ちゃんと笑えたのかな。

 わからないけど、きっと笑えたと思う。


 ヴェルクの顔は見えなかった。


 涙を拭った時には、すでにヴェルクの姿はおろかシャウラ様達や巨大なドラゴンの姿もみんな消えてしまっていた。


 返事はなかったけど、言葉はちゃんと届いただろうか。

 ぼくの気持ちは伝わったかな。


 おかしいな。

 胸がすごく痛い。もうヴェルクの気持ちなんて確かめようがないのはわかってることなのに、どうしてこんなに悲しいのだろう。

 もう会えないのが、こんなにも辛いだなんて。


「……ミスティア、ごめん」


 兄さんの謝罪が右から左に通り抜けていく。


 また泣けてきちゃった。止めようと思っても、涙が全然止まらない。

 兄さんの服を乱暴に握りしめ、ぼくは子どもみたいに大きな声をあげて泣いた。


 ぼくも一緒に行きたかった。

 ヴェルクと逃げたかった。

 だけど、それは叶わないから。仕方ない。


 それにわかってしまったんだ。

 どんなに強い人が束になったって、皇帝には敵わない。


 だからもう、ヴェルクは帝国に関わらないで、しあわせになって。


 ぼくは一人でも、うまくやってみせるから。

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