[3-7]小鳥、とらわれる

「今すぐやめろ、ロー! 一体どういうことだ!?」

「皇太子殿下、どうしてミスティアを連れて来たりしたんですか」


 激しく布がはためく音が次第に小さくなっていく。

 シャウラ様の声がはっきりと聞こえきた。


 振り返ろうとしたら、大きなてのひらで後頭部をぐっと押さえ込まれる。


 顔を上げられない。

 今、あたりがどうなっているか全然わからない。

 ヴェルクやみんなは無事なのかな。


「おれは今、とても怒っている。貴方なら皇帝陛下がどういう人物か知っているはずだ。あの方は貴方が秘密にしていることをすべて把握しているんですよ」


 誰かが息を飲んだのがわかった。たぶんシャウラ様だ。


 少しだけ兄さんが力を緩めてくれた。

 抜け出すことはできなかったけど、頭は動かせる。顔を上げたと同時に、まぶしい光が目に入り込んできた。


 天井のシャンデリアがまばゆい光を放っている。


 誰かが照明を付けたんだ。でも一体誰が……?

 この部屋にはぼくたち以外に、兄さんしかいない。

 でも兄さんには明かりを付けることなんて無理だ。今も両腕でぼくを抱きしめているもん。


「そういうことだ、シャウラ」


 氷みたいにひどく冷たい声だった。

 なのにどうしてだろう。

 心が揺さぶられるほどに、甘く心地よく感じた。


 耳が、ふるえる。


 初めて聞く声じゃない。

 もうここにはいないはずの人だ。だって、その人はさっき——。


「……父、上」


 かすれた声で、シャウラ様はその人を父と呼んだ。


 皇帝と呼ばれるその人は肌が白く、見ているこっちがぞっとするくらいにひどく美しい顔をしていた。

 背は兄さんよりも高く、姿勢がいい。深緑の長い髪は左サイドで緩く結ばれている。

 鋭い目つきは似ているのかもしれない。長いまつ毛で縁取られた鋭い両目は黒く濁った紫色で、仄暗い光を宿していた。


 この人が大帝国の皇帝。

 ヴェルクのお父さんを監獄島に送り、ぼくの村を焼いて、ぼくと兄さんを引き離した人。


 皇帝は兄さんの隣までくると、ぼくを見た。


 ドクン、と心臓が大きく波打ち、頭から血の気がさあっと下がっていくのがわかった。

 指先がふるえて、兄さんの服を強くつかむ。

 早鐘を打つ心臓が、今すぐ逃げろと警告してる。

 目が合っただけなのに。


 皇帝は薄い唇を引き上げた。

 ぼくからシャウラ様へと視線を転じる。


「なぜ、がここにいるのかとでも言いたげな目をしているな、我が息子よ。なに簡単なことだ。先ほど部屋を出て行ったのはの影武者よ」

「影武者だと!? そんなもの、今までいたことは——」

「ただの一度もなかったな。しかし幸運にも最近、良い人材を手に入れたのだ。本物そっくりだったであろう?」


 艶然とした笑みを浮かべ、皇帝は腕を組んだ。

 片手になにか持っている。金属でできた縄みたいなものを巻き付けたなにか。銀色に光っている。


「くくっ、お前達には感謝するぞ。こうしてわざわざお前達の方から獲物を連れて来てきてくれたのだからな! おかげで探す手間が省けたわ」


 獲物ってどういうこと? もしかしてぼくのこと、なんだろうか。

 そうだとしたら、ぼくはなんてばかなことをしたんだろう。


「ふざけんな、てめえ! ミストを離しやがれ!!」

「おかしなことを言うな、人間族フェルヴァー。ミスティアは自ら兄の腕の中へ飛び込んだのだぞ。ローウェルが傀儡くぐつになっていることも知らずにな」


 一刻も早く離れなきゃ。ヴェルクのところに行かなきゃいけない。

 そう思ってるのに、腕を突っ張って引き剥がそうとしても、兄さんの腕はびくともしない。もともとそんなに力が強い方じゃないはずなのに!

 さっきから呼んでも返事しないし、そもそもぼくと目を合わしてくれない。


 兄さん、どうしちゃったの。ほんとうに皇帝の言葉通り、言うことを聞くだけの傀儡くぐつになってしまったの。


「……マグノリア卿を使ってミスティアを狙っていたのは、やはり父上だったか。しかし、なぜだ? なぜミスティアを狙うんだ!?」

 

 眉を寄せて鋭い目つきでシャウラ様が睨みつけてくる。

 近くで、くすりと笑う声が聞こえた。


「ローウェルからミスティアのことを聞いて興味を持ったのだ。今まで翼族ザナリールなど取るに足りない獲物だと思っていたが、我が糧にするよりも有効に活用してみたくなってな」

「どういうことだ?」

「まだ分からぬか。魔術師ウィザードでないのなら無理もない、か。この娘はな、まるで幸運の精霊に愛されているかのような体質の持ち主なのだ」


 まただ。この人まで、どうして兄さんと同じことを言うのだろう。

 幸運の精霊に愛されているってどういうこと?

 


「馬鹿馬鹿しい。幸運の精霊など聞いたことがない」

「なに、ただの比喩だ。魔術の研鑽けんさんが足りぬ証拠だな、シャウラ。くくっ、よく聞くがいい。この娘はな精霊の加護が強く、幸運を呼び込む体質なのだ。ローウェルと同じく、のそばに置いて役立ってもらう。近々、グラスリードへ侵攻するための道具として、な」

「グラスリードだと!?」


 その国の名前なら、ぼくでも聞いたことがある。

 遠い海の向こうにあると言われている小さな島国だ。一年雪と氷だけの永久凍土が支配する、人間族フェルヴァーの王様が治める国。


「おれは行きたくないです。海を渡らなくてはいけない上に、シャラール以上に寒い国だなんて」


 はあっと深いため息をつく兄さん。

 その一言でみんなが黙り込んだ。風の音だけが耳障りに聞こえてくる。


 いきなり何言い出してんの。ていうか、兄さん、どっちの味方!?

 前からマイペースなところはあったけど、空気を読まなさすぎなんだけど! ちょっとは状況考えてよ。

 もうっ、緊迫していた空気が溶けちゃったじゃん。


 シャウラ様なんて半眼でこっち見てるよ。あれ絶対に呆れてる顔だ。


「貴様は黙っていろ」

「……はい」


 皇帝にひと睨みされて兄さんは視線を落とした。背中越しに見える大きな翼がしゅんと縮んだのは、きっと見間違いじゃない。


「グラスリードは近年春を迎えるようになった。海方南西の最果てにあるあの国が極寒に支配されていたのは、古代の呪いによる怨嗟と、島の裏側に棲みついているといわれているいにしえののせいだ。おそらく何らかの原因で古代の呪いが解けたのだろう。氷竜を取り除いておらぬゆえ雪国であることには違いないが、少なくともあの島は季節がめぐるようになった。奪い甲斐のある資源も豊富にあることだろう」

「いにしえの氷竜だと? そんな情報、一体どこから……」

「お前達は何も知らなさすぎだ。世界の創世から歴史を学び直せ。調査も足りぬ、研鑽けんさんも足りぬ。皇太子ともあろう者が情けないぞ。まあ、以前のならば魔術の研究がさほど進んでいないあの国など放置しておくところだったのだが、事情が変わった。忌々しい人間族フェルヴァーの国を潰すことが、今の、最優先事項だ」


 腕を解いて、皇帝は進み出す。

 ぼくと兄さんの前に立ち、縄みたいな武器を持ったまま腕を大きく振り上げた。

 

 強く激しい音が部屋に響く。よく見れば、縄の先端に付けられた刃が床にめり込んでいた。


 記憶の中にある武器のリストと合致する。

 あれはウイップだ。売られているのはたいてい動物の皮で作ったものだったから気づかなかった。金属製なんて初めて見る。


「さて、お喋りは終わりだ。シャウラ、貴様が我々を騙し他種族を喰らっていないことを、が気付いていないとでも思っていたのか。出口はすでにセレスが塞いだ。もう貴様らに逃げ場はない。そこの人間族フェルヴァー共々、このみずから三人まとめて捕縛してやろう」


 もう一度腕を振り上げ、皇帝は鞭の先端を床から引き抜き、両手で構えた。かわいた音が耳を通り抜ける。

 背を向けた皇帝の顔は見えなかった。ヴェルクはこっちを睨みつけて黙ったまま。でも青ざめたフランや二人を庇うように立ちすくんでいるシャウラ様の顔を見ればいやでも分かる。


 作戦は明らかに失敗だ。兄さんまで皇帝の味方(?)についてしまった。

 魔法が使えないこの部屋ではテレポートで逃げられない。


 何が間違っていたのだろう。どうして絶対に成功するって思ってたのかな。


 ぼくはともかく、シャウラ様達は逃げなくちゃだめだ。

 ヴェルクが捕まったら、皇帝に、魔族ジェマ達に食べられちゃう。そんなの絶対にだめだ。


 どうしたらいい!?

 考えろ。わからないって言う前に考えろ、ぼく!

 ヴェルクを助けるために、ぼくには何ができるの!?

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