[3-6]小鳥、城に侵入する
太陽が沈んだら行動を起こす、とシャウラ様は言った。
陽動でお城の中の守りが手薄になった頃合いを見計らって忍び込み、まずは兄さんを助け出してから皇帝のもとへ襲撃をかけるんだとか。
ぼくができることはそんなに多くない。お城の兵士に見つかったら、前に立って戦ってくれるヴェルクやシャウラ様を魔法で支援することくらい。
狭いところで弓矢による援護は危険だもんな。
意外にもカーティスは色んな職業の友達や知り合い多いらしくて、すでに兄さんの居場所を突き止めていた。
城内は当然皇太子であるシャウラ様は熟知している。侵入方法は魔法で転移して城内に入り込む。とてもシンプルだ。
戦いのことはよくわからないけど、よく考えられているんじゃないかな。
作戦内容は完璧だし、ちゃんとごはんを食べたから身体も元気。なにも問題がないように思っていた。
屋敷の外に出るまでは。
「み、見えない……」
真っ暗な空に、まるで宝石を砕いて撒いたような無数の星が広がっている。細い三日月は鋭利な刃物みたい。ほのかな光をまとっている。
見えるのはそれだけ。
一緒に外に出たはずなのに。そばにいるはずなのに。
シャウラ様も、フランもそしてヴェルクも、全然見えない!
「あー、すっかり忘れてた」
何人かの声が重なった。あきれたような感じ。
意気揚々とついて行くって言ったのはぼくなのに、ガッカリさせちゃったかな……。
「そういえば、
シャウラ様の声が聞こえて、ギクリと肩が震えた。
言われるまで、ぼくも完全に忘れてた。
夜は見えなくて危ないから、外に出たら危ないって兄さんに再三言われていたのに。
足もともみんなの顔も、全然見えない。
どうしよう。置いて行かれちゃうかも。
「ミスト、じっとしてろよ」
今度は耳もとでヴェルクの声を感じた。
息がかかって、ちょっとくすぐったい。
別の意味でどきどきしていたら、ふいに手を握られる。
やんわりと力を込めてくれるのがわかった。
すごく、気遣ってくれてる。太陽みたいなぬくもり。
「ヴェルク?」
「ミスト、鳥になれるか?
置いて行くなんて、ヴェルクは言わなかった。
彼の優しさが不安でふるえていたぼくの心を、そっとなだめてくれる。
「でもぼく、小鳥になっても、ヴェルクの肩にうまくとまれないかも」
「大丈夫だ、そのまま地面にとまってろ。俺が拾ってやるから」
「うん」
素直にうなずいて、ヴェルクの言う通りにした。
目を閉じて念じると、頭がぼんやりとしてくる。
次に目を開けても視界は変わらない。あたりは真っ暗だった。
だけど、感覚はさっきと違う。手を動かすとバサバサと羽音が聞こえた。
うん、成功したみたい。
「よし、いいぜ。ミスト、そのままにしてろよ」
大きなかたまりが迫ってきて思わず目を閉じたら、からだがふわりと浮く感覚がした。
あしもとがほんのりとあたたかい。
ヴェルクがてのひらに乗せてくれたんだ。
地面がぐらりと突然傾く。すべり台を降りるみたいに、ぼくのからだもするすると滑っていく。
目を開けると、ぼくのからだはやわらかい布に包まれてた。前後左右、布に囲まれてる。袋の中、なのかな。
ちょっと狭いけどやわらかいし、なぜかほんのりあたたかい。
上を見上げれば星空が見えた。袋の紐は完全にしめられたわけじゃないらしい。よじ登って顔を出してみる。
すると、上からヴェルクの笑い声が聞こえてきた。
「とりあえず胸ポケットに入れたから、心配すんな。何があろうとお前をちゃんと守ってやるさ」
『そっか、ポケットか……』
さっき、ポケットにでも入れてやるって言ってたもんな。
あたたかいと思ったのはのは、布越しにヴェルクの体温を感じたせい?
え、今ぼくとヴェルクは衣服に隔てられてるとはいえ、布越しに密着してるってこと!?
ちょ、ちょっと……、いや、かなり、恥ずかしくなってきたんだけどっ。
「さて、行くか」
月も星も出てるのに、やっぱりシャウラ様の顔は見えないままだ。
もうちょっと強い明かりがあれば、少しは見えるのかな。
「行く前に一つ聞いてもいいか。シャウラ」
「何だ?」
「噂で聞いたんだが、おまえ、庶出の弟がいるんだろ? そいつはどうしているんだ?」
シャウラ様って弟がいるんだ。ぼくにとっては初耳だ。
声を立ててシャウラ様は笑った。
「よく情報を掴んでいるではないか、ヴェルク。お前の言う通り、俺様にはアクイラという名の弟がいる。なに、心配はいらん。アークも他種族
「そうか。なら、いいんだ」
ほっと息をつく声が聞こえた。
ヴェルクがなにを考えていたのかはよくわからないけど、シャウラ様のことを心配していたのかな。
「さて、今度こそゆくぞ。そろそろ陽動部隊も行動を起こす頃だ。遅れを取ってはならん」
シャウラ様の声が近くなる。
テレポートを使うには、相手に直接触れなきゃいけないらしい。
ということは、ついに城に侵入するんだ。
足の力を緩めて、ぼくはポケットの底にすべり落ちた。
丸くなって目を閉じる。
間を置かずに、シャウラ様の
◇ ◆ ◇
一瞬でにおいが変わった。
さっきまで感じていた草や花のかおりがしない。
足を使ってよじ登ってみると、ちゃんと見えるようになっていた。
暖色のランプが等間隔に置かれている。
照明があるおかげで、ぼくの鳥目でも見えるみたい。やった!
『ここがお城の中?』
こそっと声を出すと、シャウラ様が口角を上げた。
瑠璃色の髪がオレンジ色の光を弾いてキラキラ輝いてる。
「そうだ。この先を少しまっすぐ進んだところにある部屋にお前の兄が囚われている」
もう、すぐそこまでじゃないか。
思わず固唾を飲むと、シャウラ様の影からフランが姿を現した。
「そこがまた問題なのよね。皇帝陛下、うまく部屋から出てくれればいいんだけど」
『どういうこと?』
そういえば詳しい作戦内容を聞いていなかった。
ヴェルクはなにか聞いてるのかな。ポケットの中からじゃ、顔を上げてもちっとも顔が見えない。
「あのね、ミスティア。ローウェルさんは皇帝陛下の寝室に閉じ込められているのよ」
『えっ』
ええええええっ!?
危なかった。もうちょっとで大きな声を出すところだった。
でもでも、いきなりの新情報に頭が追いつかない。
なんで寝室!? 地下牢とかじゃないの? 兄さん、一体皇帝の寝室でなにされてるの!?
「ああ、言い忘れるところだった。王族の寝室は魔力を封じる仕掛けが施されているから魔法は使えない。ヴェルクにはあまり関係ないだろうが、気を付けろよ」
「なんだよ、その言い方。まあ、その通りだけどな」
「まあ焦ることはない。作戦がうまくいけば、皇帝はじきに部屋から出るさ」
くるりとシャウラ様はきびすを返して廊下を進んでいく。
いつの間にか姿を見せたフランも、ゆっくりとした足取りで後に続いた。シャウラ様はともかく、フランは足音ひとつたてていない。すごい。
「……だと、いいけどな」
ポツリと、ヴェルクの声が聞こえた。
上を見上げてもやっぱり彼の表情は見えない。でもなんとなく、ヴェルクが今回の作戦にあまり乗り気でないような気がした。
『ヴェルク、なにか心配なことでもあるのか?』
「いや、別に問題はないんだ。ただ……、なんだろうな。まあいい。俺達も急ごうぜ、ミスト」
歯切れの悪い言い方だった。ヴェルク自身も、なんて言ったらいいのかわからないのかもしれない。
兄さんはすぐそこなのに。もうすぐ会えるのに。
どうして胸の中がざわつくのだろう。
ゆっくりと景色が流れ始める。
ヴェルクが歩き始めた。
遠くで騒ぎ声が聞こえる。
あれは外から、かな。誰かが叫んでるみたいだ。
「……始まったようだな」
ぼくにしか聞こえないような声で、ヴェルクがつぶやいた。
外にいる陽動部隊が動き始めたらしい。
正面攻撃するって話だったっけ。お城にはたくさん兵士がいて守りは固いと思うんだけど、どうするつもりなんだろう。
「静かに。来るぜ」
照明の光が当たらない物陰に隠れる。
シャウラ様はヴェルクと一緒に隠れてるけど、フランはどこに行ったんだろう。
うまく身を隠せているといいんだけど。
——って、人の心配している場合じゃなかった。
ぼくも息を潜めなくちゃ。
「陛下! 皇帝陛下!!」
慌ただしい足音の後に、ドアを叩く音が聞こえる。
少しあとにガチャリと開ける音がした。
「こんな夜更けに何事だ。騒々しい」
「申し訳ございません。ですが、事態は火急なのです。ヴァイオレット卿が、騎士団員を連れて謀反を……!」
「何!?」
初めて聞く皇帝の声は低くて固い感じだった。
だけど、ヴァイオレット卿の名前を出した途端、皇帝は声を荒げた。
「あの脳筋ドラゴンめ、一体何を考えている。分かった、余も出向こう。ジェラルド相手ではお前達など歯が立たぬ」
「ありがとうございます!」
一体、ヴァイオレット卿って何者?
あの皇帝がバタバタと足音を立てて出て行ったぞ。
「やはりジェラルドを陽動部隊に組み込んで正解だったな。今のうちに行くぞ」
シャウラ様には色々と聞きたいことはあるけど、そんな時間はない。
皇帝が寝室から出て行ったということは、今、部屋には兄さん一人。奪還するにはまたとないチャンスだ。
再びヴェルクが動き出す。布をつかむ足に力を込めて、ぼくはもう一度、ごくりと固唾を飲んだ。
もうすぐだ。
立ち塞がるこの大きな扉を開けば、兄さんが——。
小さく音を立てて扉が開く。最後に入ったヴェルクが扉を閉めたようだった。
皇帝の寝室と言うだけあって、部屋はとても広かった。天蓋付きの大きなベッドなんて初めて見た。他にも本棚やテーブルセット、他の調度品もいっぱい。
だけど、真っ先に目にとまったのは。
窓から差し込む月明かりに照らされたシルエット。
薄い光の照明も手伝って、ぼくの目にも見える。
「ミスト!?」
気がつくと、ぼくは飛び出して変身を解いていた。
一歩、また一歩と足を動かして、ぼくはそのひとに近づく。
姿勢のいい立ち姿。
くせのない藍色の長い髪を流して、目を丸くしてぼくを見ている。その目は真夏の空みたいな濃い青。
背中の薄青の大きな翼がとても懐かしい。
落ち込んだ時はあの翼でぼくのからだを包んで、よく話を聞いてくれた。
「ミス、ティア?」
形のいい唇がぼくの名前を呼んだ。
いてもたってもいられなくなって、走り出す。
「兄さんっ」
抱きついても兄さんは消えなかった。
あったかい。
良かった、ちゃんとホンモノだ。本物の兄さんだ……!
「……ミスティア」
五年ぶりに聞く兄さんの声。
うれしくてうれしくて、目の前が歪んだ。どうしよう。涙がとまらない。
ずっと、ずっと会いたかった。兄さんに会うためにがんばってここまで来たんだもん。
無我夢中で、ぼくは兄さんにしがみついた。
だから気付かなかった。すでに異変が起きていたことに。
「兄さん、兄さん……っ! ぼく、ぼくは兄さんに会いたくてっ」
伝えたいことがいっぱいある。
この五年間ずっと、この日だけを夢見てきた。
上からため息をもらす声が聞こえた。
あれ、おかしいな。せっかく会えたのに、なんで兄さんはため息なんかつくんだろう。
「ミスティア。どうしておまえはここに来てしまったんだ。おまえさえ来なければ、おれはまだ、心穏やかでいられたというのに」
「にい、さん……?」
涙で視界が歪んで、兄さんの顔がよく見えない。
その代わり、精霊の気配がした。
いつも兄さんのまわりにいる風の下位精霊だ。耳もとでさわがしいくらいに声をたてている。
精霊は大抵の場合、兄さんが魔法を使う時に集まってくる。けど、どうしてここに——。
ふいに兄さんがぼくの背中に腕を回して、力を込めた。
そして一言。
「下がれ」
命令を下すと同時に、吹き飛びそうなくらいの一陣の風が吹いた。
ヴェルクやフラン達の悲鳴が聞こえたけど、すぐに風の音にかき消される。
テーブルが大きな音を立てて倒れ、つり下げられたカーテンが激しくはためいている。兄さんから手を離したらからだが飛ばされそうなくらい、強い風だ。
これは一時的な突風じゃない。
暴風だ。
部屋の中で、どうしてこんな強い風が起こるんだ!?
「おい、シャウラ! 王族の寝室では魔法が使えねえんじゃなかったのかよ!!」
「使えないはずだ。だが、ローは違う! あいつは感情ひとつで精霊に直接影響を与えることができるのだ。だから詠唱など必要ない。それが〝精霊に愛される魂〟を持った者の素質なのだ!!」
激しい物音に混じって、ヴェルクとシャウラ様の叫び声が聞こえた。
そうだ、これはただの風じゃない。魔法による風だったんだ。
ということは、この魔法は兄さんが——!?
「兄さん、今すぐやめて! どうしてヴェルク達に魔法を使うんだっ」
荒々しい風は今もぼくの髪をあおっている。もちろん兄さんの長い髪も。
家具やカーテンだって吹き飛んでいるんだ。
ぼくと兄さんには当たってないからいいけど、みんなに当たったら怪我だけではすまない!
「ミスティア」
ぐっと力を込められて、薄い胸板に顔を押し付けられる。
久しぶりの兄さんのにおい。
でもこの状況じゃ素直に喜べない。頭がついていかない。
「ごめんね、ミスティア。もうおれの力では、おまえを逃してあげられないんだ」
兄さんはぼくにそう告げた。
その声はわずかにふるえていた。
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