[3-5 reverse side]脱獄王子は葛藤する

翼族の騎士ザナリールズ・ナイト……?」


 あれはお袋が朝から狩りに出かけ、珍しく家を留守にしていた日だった。

 自室のベッドで休んでいる親父様に食事を持って行ったら、予想していたよりずっと元気で拍子抜けしたっけ。くわしいことは忘れたが、なぜか久しぶりに親子二人で話をしようって流れになったんだ。


「なんだソレ」

「我々人間族フェルヴァーに伝わる種族魔法だよ。翼族ザナリールを守るために、翼族ザナリールにだけかけることができるんだ。熟練した大人になれば使えるようになるんだよ」

「へー、そんな便利なモンがあるのか。どういう魔法なんだ?」

翼族ザナリールの子にかけておけば、その子とどんなに離れていようと接触することができるのさ。テレパシーみたいなことができるわけじゃなくて、相手がいる位置とか生死を知ることができる程度のことしか分からないんだけどね」


 なんだ、言葉を交わせるワケじゃねえのか。相手の位置が特定できるのは利点かもしれねえけど。


「便利なのか不便なのか分かんねえ魔法だな。あんま興味ねえや」


 魔法は大の苦手だし、正直、親父様の話には興味を持てなかった。

 そもそも翼族ザナリールなんて会ったことがない。一生俺には縁がなさそうだと思ってたんだよな。


「まあ話は最後まで聞きなよ。ここからがいいところなんだ」


 親父様は顔の前に人差し指を立てて、笑みを深くした。


 今日は調子がいいのか、ずいぶんと上機嫌だ。

 動けるんだったら家のこと手伝ってくれたらいいのに、——なんて言おうものなら、お袋の鉄拳制裁が待っている。やっぱり余計なことは言わないでおこう。


「なんだよ」

「魔法をかけた翼族ザナリールの子が危機に陥って助けを求めれば、一度だけ召喚に応じてその子のもとに転移することができるんだ。まあ、召喚されてしまったら魔法の効果は消えちゃうんだけどね。これが【翼族の騎士ザナリールズ・ナイト】のすごいところなんだよ」


 へえ、そりゃすごい。転移って言えば、魔族ジェマ達が使うテレポートみたいなもんじゃねえか。一瞬で移動できるのはたしかに一番の強みかもしれない。


「んー、でも島には翼族ザナリールなんていねえじゃん。やっぱり俺には無縁なんじゃねえかな。これから先、この監獄島から絶対に出ることはねえんだし」

「それはどうかな。〝絶対〟なんて言葉ほど不確かなものはないと、私は思うよ」


 口もとを片手で隠し、くすくすと親父様は笑う。

 親父様はウチの家族の中で誰よりも、仕草や言動がお上品だ。常に俺達家族の中心で、誰よりも博識で、世界のことをよく理解している。

 俺なんかとは違う、別世界の人間だ。


「実際、とっくに死んでいるはずだった私だって、今もこうして生きている。それどころかヴェルク、君という宝にだって恵まれたんだ。もしかすると、なんらかのが重なって翼族ザナリールの子と出会う機会が訪れるかもしれないだろう?」


 親父様が笑うと、夕焼け色の瞳がやわらかくなる。

 窓から差し込む太陽の光が、薄紅うすくれないの髪を反射して輝いていたのを覚えている。


 そして、最後に告げたあの言葉も。


「ヴェルク、【翼族の騎士ザナリールズ・ナイト】は誰にでもかけていい魔法じゃない。人間族フェルヴァーの王が最愛の女性ひとを見出したように。自分のすべてをかけて守ると誓えるような、世界で一番大切だと思える子だけを選びなさい」




 ◇ ◆ ◇




 バルコニーに出ると、ひんやりとした風が頬を撫でた。

 きんいろだった空が紫色に染まっていく。じきに空は暗くなり、星も出てくるだろう。

 

 屋敷の中からは賑やかな話し声が聞こえてくる。


 食事はもう済ませた。

 さすが大帝国のお貴族様が出す料理だ、えらく豪勢なメニューだった。舌がとろけるくらいにうまいんだろうが、あまり味を感じなかった。


 理由はなんとなく分かっている。


「ミスト一人だけの騎士になれ、か」


 食えない狸のようなあの魔族ジェマが言わんとしていることを、おそらくミスト本人はよく分かっていないだろう。

 さすがは元・翼族ザナリールとでも言うべきか。他種族の魔法まで把握してるとは。あの野郎、なかなか侮れない。


 日が完全に沈めば、すぐに作戦は開始する。だからそれまでに決めなくてはならない。


 【翼族の騎士ザナリールズ・ナイト】は、ミストを守るにはこれ以上ない魔法だ。なんでも人間族フェルヴァーだけが扱えるこの魔法は、人間族フェルヴァーの王ザレンシオが翼族ザナリールの女王と関係を持っていることからきているらしい。


 親父様がむやみやたらに使用するべきじゃないと言ってたのには、理由がある。


 翼族ザナリールにこの魔法をかけるということは、俺の命そのものをあずけることと同義だ。

 つまり、ミストと一種のつながりを持ってしまうということなんだ。


 ミストのことは、大事に思ってる。


 いや、正直に認めよう。

 初めて会った時からミストに惹かれていたし、今となってはどんな手段を使ってでも守ってやりたいと思えるくらい、かけがえのない存在だ。


 ただ、彼女と会えたのは単なる偶然で、縁があったからだと思う。一緒にいる期間はたった数日。関係を深めるには短すぎる。

 一大決心して魔法をかけるには、まだ浅い関係だ。さすがにためらわれる。


 もし、俺の一方的な気持ちで魔法をかけて無理につながりを持ち、結果ミストを傷つけることになってしまったら——。


 その時きっと俺は、自分が許せなくなるだろう。


 カーティスのあの口振りから考えると、すぐにでも魔法をかけろと言いたいんだろうが、急すぎる。少しはこっちの事情を考えろってんだ。


 王城に入ると危険度は増す。

 魔法をかけるには、まずミストの気持ちを確かめければならない。

 直接、面と向かって、あいつの気持ちを聞かなくてはいけないの、だ、が……。


「ヴェルク、風邪引くぞ?」


 思わず飛び上がりそうになった。

 脳内で噂中だっただけに、びっくりした。


「み、ミストどうした?」

「だから薄着で外に出ると風邪引くって」


 振り返ると、ミストはショールを肩にかけていた。たぶんカーティスの野郎に貸してもらったんだろう。

 ラベンダー色の髪が、夕焼けの日差しをはじいて薄い紫色になっている。なにかの言動のたびによく広がる翼は、呼吸するたびに小さく動いているようだった。つり目がちな大きな瞳はいつだって曇りがない。


「大丈夫だ。俺は風邪なんか引いたことはないんだぜ」

「うそっ、すごい! ぼくなんか、シャラールに引っ越したばっかりの時は月に一度は風邪引いてたのにっ」

「あそこは雪降るし、寒い国だからなあ。翼族ザナリールは寒さに弱いって聞くし、特にキツかっただろ」

「うん、冬は暖炉の前にかじりついてた」


 さて、どうやって切り出そうか。

 適当に他愛のない会話をしつつ探ってみる。


「かじりついてたって……、危ねえだろ。近づきすぎると羽根焼けるから、今度から気をつけろよ」

「大丈夫っ、熱くなったらちゃんと距離を取るから」

「それ大丈夫だって言わねえだろ」


 ため息混じりに返したら、ミストは「えへへ」と言って、屈託のない笑みを浮かべた。

 兄貴がいるせいか、ミストは誰にでも甘える傾向がある気がする。危なっかしくて目を離せない。


 ほんとうに、ミストは俺のことをどう思っているんだろうな。

 頼りになる人間族フェルヴァーの一人としてしか、見ていない可能性だってある。いや、その可能性が一番高いか。


 確かめるのは正直怖い。

 けど、ここで面と向かって聞かなきゃ男じゃねえだろ。


「ミスト、俺、おまえに——」

「ヴェルク、ありがとな」


 なんつータイミングだ。見事に被っちまった。

 仕方ねえ、ここは発言の権利をミストに譲ることにするか。


「急にどうしたんだよ。改まって」


 バルコニーの手すりにもたれかかって、ミストは外に目をやる。

 紫色に染まりつつある空を見、視線をそのままにして、続きを話していく。


「さっき、シャウラ様にぼくの意志を尊重しろって言ってくれて、すごくうれしかったんだ」

「俺は思ったことをそのまま言っただけだぜ。それに約束しただろ。お前のことは守ってやるって。ちゃんと安全に兄貴のところまで連れて行ってやるよ」

「うん! 兄さんを取り戻して、また家族二人で暮らしたいんだ。ささやかだけど、それだけがぼくの願いなの」


 深青の瞳をそっと伏せ、ミストはそう告げた。

 同時にチクリと、刺すような痛みが胸に走る。


 ミストが抱いている望み。こいつが思い描いている未来図には、兄貴のローウェルしかいない。俺なんか入る隙間もない。

 そりゃそうだよな。

 人相が悪くて口も悪い。必要とあらば平気な顔で人を殺す。純粋で繊細な心を持ったミストが、こんな粗暴な俺に好意を抱くはずなんか、なかったんだ。

 

「……そっ、か。ミストの願いが叶うことを俺も祈ってるぜ」

「うん、ありがと! あっ、そういえばさっき、なにか言いかけなかったか?」

「そうか? 気のせいだろ」


 用意していた言葉は心の奥に仕舞っておこう。


 直接聞かなくても、ミストの気持ちは分かったような気がした。身勝手な気持ちでミストを傷付けたくないし、俺もまだ傷付きたくない。結局、覚悟が決まってなかったんだ。

 魔法はかけないことにしておこう。


 これでいい。守るのに効率的だからって、ミストの気持ちを無視してまで強行するようなことじゃない。


 俺は自分の決定が正しいと固く信じていたし、疑ったりはしていなかった。

 この先、待ち受けていた結末に激しく後悔するようになるまでは。

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