3章 迷子の小鳥は兄奪還に挑む

[3-1]小鳥、吸血鬼貴族に会う

 東大陸の大部分を支配するイージス帝国の皇帝が戦好きだという噂を聞いたのは、ぼくの村が魔族ジェマの手によって焼け落ちたあとのことだった。


 特に近年、帝国は何度も戦争を起こしてる。

 小さな国を攻め滅ぼし領土を広げていくそのさまは、まるですべてを丸飲みにしていく獰猛な蛇のようだ。

 そう言っていたのは、酒場で話をしていたおじさんたちだったっけ。


 自分達以外の種族を迫害する魔族ジェマたちに対抗するため、シャラール国の国民達は帝国に立ち向かう姿勢を見せている。

 だけど、本当のところ、みんなが皇帝を怖がっていることをぼくは知っている。


 他種族狩りを推奨し、相手によっては強要までする冷たいひと。皇帝自身もたくさんの人間族フェルヴァー翼族ザナリールを殺して、とてつもない力を身につけているらしい。

 皇帝が魔族ジェマ優越派だとシャウラ様は言っているから、きっとぼくたち他種族のことが嫌いなんだろう。


 そしてその皇帝が、兄さんを安全な場所から連れ出してしまった。


 最悪なその報せを聞いた時、目の前が真っ暗になった。

 まるで底なし沼に落とされたような気分だった。


 ヴェルクのお父さんだって、衰弱するくらいひどくいじめられたんだ。

 兄さんの命に危険が迫っているのは間違いない。

 ううん。もしかしたら、もう手遅れなのかも……。


「……ト、……ミスト!」


 名前を呼ばれて、沈んでいた思考を一気に引き戻される。


 顔を上げると宝石みたいな紫水晶アメジストの左目がとびこんできた。

 じんわりと肩にあたたかい温もりを感じた。


「大丈夫か、ミスト」

「う、うん……」


 気がつくとぼくは知らない場所にいて、優しい力でヴェルクに肩をつかまれていた。

 ぼうっとしていたどころの話じゃない。思考をどこかに飛ばしてたみたい。


 背丈よりも高い塀に囲まれた、立派な石造りの洋館が見える。館というよりはお城に近いかも。見張り台みたいな塔がいくつもある。

 敷地内の植木はきちんと剪定されていて、まあるい形をしていた。庭園では色鮮やかな花を咲かせていて、とてもきれい。手入れが行き届いている素敵なお庭だ。

 門には警備の人がいるけど、あの人もやっぱり魔族ジェマなのかな。


「えっと、ここはどこなんだ?」


 だめだ、完全に記憶が飛んでしまってる。くわしく思い出せない。


「シャウラがテレポートで連れてきてくれたんだよ。ここがおまえの兄貴が住んでいたカーティスって貴族の屋敷なんだってさ」

「そっか」


 たしか魔族ジェマだけが使える、どんなに遠くても一瞬のうちに遠くへ移動できちゃう魔法、だったっけ。

 触れた人も一緒に連れてきちゃうことができるんだからすごいな。


 そうだった。だんだん思い出してきたぞ。

 一刻の猶予もないってシャウラ様が言って、手っ取り早くカーティスという人と合流すべく魔法を使ったんだった。

 ということは、もうぼくたちは帝都入りしたってことになる。あんまり実感はないけれど。


「兄さんはここにしばらく住んでたんだな」


 警備の人はぼくたちを見ても顔色ひとつ変えなかった。むしろ、ぼくやヴェルクを見ても、親しげに会釈までしてくれる。その姿勢はシャウラ様やフランとあまり変わらない。

 門を守っている人たちがこんなに友好的なら、兄さんは安心して暮らせていたのかな。植物がいっぱい植えられているなら、精霊も多いだろうし。

 きっと快適だっただろう。兄さんは精霊達と話すのが大好きだもん。


 でも今は——、ここにいない。


 色々あったけど、ようやくここにたどり着けたのに。


「兄さん……」


 視界が揺らぐ。

 おかしいな。泣かないって決めたのに、どうして今日はこんなに涙が出るのだろう。

 止めたいのに止まらない。


 ふいに軽く腕を引かれた。

 お日さまの匂いがする。力強い腕がぼくの身体を支える。とてもあったかい。


「大丈夫だ、ミスト。無責任だと思うかもしれねえけど、ミストの兄貴はまだ生きてる。と、思う。ただの勘だけどさ」


 喫茶店にいた時には近くにいるだけでドキドキしたのに、今は緊張なんてしなかった。すごく安心する。まるで凍えた心をあたたかい手のひらで包んでもらってるみたい。


「ほんとう?」

「ああ。俺の勘は外れたことがないんだぜ」


 おそるおそる聞くと、ヴェルクは強く頷いてくれた。

 その強い光を放つ眼差しが、ぼくの心に炎を灯してくれる。


「ありがと、ヴェルク」


 確信なんてないし、現状は変わってない。だけど諦めちゃいけない。


 危うく忘れるところだった。じっとしていても変わらないままでいるのが嫌だから、国を出てきたんじゃないか。

 兄さんの居場所はもう分かってる。前よりもずっと、兄さんに近づいてる。

 真っ先にぼくが諦めてどうするんだ。


「そういえば、シャウラ様とフランは?」


 ぼーっとしていたぼくに呆れてどこかに行っちゃったのかなと思ったけど、あの二人はそんな人達じゃない。

 門の前で立っている警備の人達も見知らぬぼくたちをあたたかい目で見てる。全然警戒していないし、問い詰めに来たりしない。


「一秒でも早く合流したかったらしくて、先に入って行ったぜ。あそこの警備についている魔族ジェマに俺達のことを頼んだから、あとでゆっくりついて来いだとさ」

「ええっ、そうだったのか!? ご、ごめん! ぼく、話全然入ってなかった」

「仕方ないさ。家族に危険が迫ってるって聞かされれば、誰だって不安になるって。さ、行こうぜ」


 ヴェルクは腕を緩めて少しぼくと距離を取り、手を差し出してくれた。

 にっと口角を上げて笑うその顔を見て、ぼくも笑顔になる。

 差し出された手のひらを握るとあたたかかった。




 ◇ ◆ ◇




「来たか。二人とも」


 白いエプロンドレスを着た女の人(うわさに聞くメイドさんなのかな?)に案内されて入ると、シャウラ様とフランはソファに座っていた。

 ここはいわゆるダイニングルームってやつなんだろうか。想像してたよりずっと広い。羊や牛が何匹も入りそう。


 急がなくちゃいけない局面なのに、シャウラ様は嫌な顔も文句も言わず笑顔を向けてくれた。

 フランだってぼくを見て、にこりと微笑んでくれる。

 そんな二人を見てると、ついさっきまで魔族ジェマだからって警戒していたことをいまでは申し訳なく思う。


「殿下、彼らは?」

「さっき話しただろ、カーティス。人間族フェルヴァーの方はヴェルク、そして翼族ザナリールの方はミスティア。ミスティアはローウェルの血の繋がった妹だ」

「なるほど。それならきちんと挨拶をしなくてはね」


 シャウラ様の向かいに座ってるのが、兄さんを引き取った貴族の人なのかな。


 予想していたよりずっと若かった。シャウラ様よりは大人な感じ。ヴェルクほどではないけど、結構背が高い。

 緩く波打っている長い髪は緑がかったブルー。切長の瞳は群青色で、やわらかい印象だ。なるほど、元翼族ザナリールっていうのも本当なのかもしれない。


「初めまして。私はカーティス=オルタンシア。君の話はローウェルからよく聞いていたよ」

「兄さんから?」


 穏やかで低い声。聞き返すと、柔らかく微笑んでうなずいてくれた。

 カーティスはゆっくりとした歩調で近づき、優しい眼差しをぼくに向け——、


 がばりと、突然抱きしめてきた。


「ああっ、娘よ!」

「——きゃう!?」


 ぎゅううと、かなりの力を込められて抱きしめられる。胸板を顔に押し付けられて、呼吸ができない。

 ちょっと、ちょっと待って。頭が追いつかない。

 誰か助けて!?


「いきなりミストに何しやがるっ」


 ヴェルクの怒鳴り声が飛ぶと同時に、ごすっと鈍い音が聞こえた。

 身体を締めつける力が緩んで思わず座り込みそうになったところを、力強いヴェルクの腕がぼくを支えてくれた。


 た、助かった。心の声がヴェルクに届いてよかった。


「ひどいな。これでも私はか弱いんだ。もっと優しく注意してくれないかな」

「ひどいのはどっちだ! フツー、初対面の女にいきなり抱きつくか!? 変態じゃねえかッ」


 困ったように笑うカーティスのこめかみあたりが、赤く腫れ上がっている。

 その足もとには鞘に入ったままのダガーが転がっていた。もしかして、ヴェルクが投げたんだろうか。

 でもヴェルクは謝るどころか、怒ってる。カーティスから守るようにぼくの肩を抱き寄せてくれた。ちょっとドキドキする。


「カーティス、今のはお前が悪い」


 ソファに座ったまま、シャウラ様はそう断言した。その端正な顔には眉間のシワができている。

 シャウラ様もあまり機嫌がよくなさそう。もしかして怒ってる?


「だって殿下、仕方ないよ。彼女はローウェルの妹なんだろう? それなら、我が娘も同然じゃないか」

「だっても何もあるか。お前はそのつもりなのかもしれないが、本人の了承を取るべきなのではないか? ミスティアは捕虜ではないのだ」

「それはもちろんだよ、殿下っ」


 うつむいていた顔を勢いよく上げて、さり気なくヴェルクが後ずさってたのに、カーティスは一気に距離を詰めてきた。

 素早い。さすが、元翼族。


「ミスティア、我が娘よ!」

「な、なんだ!?」


 両手を強い力で握られる。熱のこもった目をまっすぐに向けられて、ぼくは身体も頭の中も固まってしまった。


 顔がぶつかりそうな至近距離。

 カーティスの開いた口から牙がのぞく。どくんと心臓が警鐘を鳴らす。


「どうか、私のことを〝パパ〟と呼んでくれないだろうか?」

「ええええええっ!?」


 いやだ、なんて言えない雰囲気なんだけどっ。


 色々と飛躍しすぎじゃない!? ぼく、まだ親子関係になるって言ってないよ?

 コレ、どう答えたらいいのかな。


 最初の優しそうなカーティスの印象がガラガラと音をたてて崩れていく。

 悪い人じゃなさそうだけど、困った。本当に困った。


 ねえ、兄さん。

 ほんとに、兄さんはこの人と住んでたの?

 一体、ぼくはどうしたらいいのかな。

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