[2-11 reverse side]脱獄王子は迷子の小鳥と買い物する(後編)

「ぼくからも、ヴェルクにお礼をしなくちゃいけないな」


 紙袋を抱え直して、ミストは上目遣いでそう言った。


 薄紫色の翼がわずかに持ち上がる。

 口端を引き上げたまま、彼女は自分の手を差し出した。


「手、握って?」


 首を傾げ、大きな瞳で見上げてくる。


 やばい、めちゃくちゃ可愛い。


 ミストの手はやわらかくて小さかった。

 俺の手を包むように、ミストはもう片方の手をそっと重ねてくれた。そのままやんわりと握られる。


「今までちゃんとお礼を言えなくてごめんな。助けてくれてありがとう。ヴェルクがいなかったら、ぼく、ここまで来れなかったと思うんだ」

「礼なんていいって。言っただろ。手を貸したいと思ったから、俺はミストの力になるって」

「うん。だから、ぼくもヴェルクの力になるから。ただの狩人ハンターでしかないぼくがやって、どれだけ効果があるのかわからないけど」


 ミストは何をするつもりなんだろうか。


 細い指に力がこもる。

 そっと瞼を閉じると、ラベンダー色の髪がひるがえった。


「精霊たちよ、前に立ち戦ってくれるヴェルクに、どうかたくさんの幸運を授けてください」


 白い光の粒がミストの手からあふれてくる。

 これはいわゆる、精霊達への祈りというやつか。


 魔法の才能があまりない俺でも肉眼で見えた。

 初めての経験だ。

 想いを込めて祈ると、精霊達が祝福を贈る。魔法の素質を持っているやつがすると効果が高いって聞いたことがあるな。


 あふれ出た光の粒子は身体にまといつき、静かに消えていった。

 痛くも痒くもないし、無音だった。


「ありがとな、ミスト」


 再び目を開けるのを待ってから礼を言うと、ミストは口を尖らせて「うーん」とうなる。不満そうな顔だ。


「ううん、やっぱりいまいち効果がないかも。兄さんが祈る時はもっと精霊達が大勢出てくるし、すごい騒ぎになるんだ。気休め程度に思っててくれ」

「大丈夫だぜ、ミスト。ちゃんと祈りは届いたさ」

「そうかなあ。だと、いいけど」


 集中するために目を閉じていたのがあだになったのかもな。さっきの不思議な現象はミストには見えなかったらしい。

 だけど、たとえ失敗していたとしても、その心遣いが嬉しかった。


 さり気なく手を伸ばして、ラベンダー色の頭に触れる。

 触れたのは初めてじゃないのに、意識するとムダに心臓がうるさい。

 手触りがいい。思わず勝手に撫でちまったけど、ミストは嫌がらなかった。年の離れた兄貴がいるから慣れているのかもしれない。

 ただ、はにかんだような笑顔を浮かべた時には、別の意味で死にそうになった。


 やべえ今、絶対に顔赤い。ミスト、ソレは反則だろ。

 今日の俺はどこかおかしいのかもしれない。


「どうだ、買い物は済んだか?」


 やけに弾んだ低い声が、俺の頭を現実に引き戻した。

 振り返ると、シャウラが機嫌良さそうに笑っていた。そばに控えるフランはなぜか苦笑している。


「……何つータイミングで声かけるんだよ」


 絶対見られてた。一部始終を観察されていたに違いない。やけに気まずそうに目を逸らしているフランが、その証拠だ。


「それとも邪魔したか?」

「全っ然、そんなことないぜ?」


 無理に笑うと、顔が引きつるのが分かった。そもそも、ちゃんと笑えてない気がする。

 今すぐこいつをはっ倒してやりたい。


「ミスティア、何を買ってもらったんだ?」

「魔法製のナイフ。とても使い勝手が良さそうだし、刃が透き通っていてとてもきれいなんだ!」

「なるほどな。良かったではないか」

「うん!」


 うきうきと満面の笑顔で嬉しそうにしてくれると、贈った甲斐があるというものだ。ミストが喜んでくれてるなら、まあいいか。


「しかし、よりにもよって女性に武器を贈るとはな。プレゼントとして買うのは、普通アクセサリーか宝石だろう」


 皇太子として、なにか思うところがあったらしい。

 わざとらしくため息をつく態度が、カチンときた。


「あのな、俺はお貴族様じゃねえんだ。それに今は、他種族おれたちにとってはいつ危険が迫ってくるか分からないご時世だ。実際、ミストは帝国の貴族に襲われてた。翼族ザナリール狩りにご執心だってのは聞くし、そもそもシャラール付近にまで狩りに行かせてんのは皇帝なんだろう? だったら、少しでも自分の身を守れる役立つもんを贈る方がミストにとっていいに決まってんじゃねえか」

「帝国の、貴族だと……?」


 ムキになってるのは分かってたが黙ってはいられず、一気にまくしたてると予想以上の反応が返ってきた。

 つったあま色の両目が大きく見開かれる。


「どういうことだ、ヴェルク」


 この驚きようはただごとじゃない。


 もしかして、俺はとんでもないミスをしでかしていたんだろうか。

 よくよく思い返してみれば、ミストに初めて会った時、彼女が帝国の貴族、しかも城関係者だと思われる魔族に襲われていたことを、シャウラに話していなかった。話す必要なんてないと思っていた。いや、俺が一人でそう思い込んでいたんだ。


「……フォーレイの森でミストは魔族に数人囲まれて、捕まりそうになっていたんだよ。リーダー格らしき男は帝国の紋章の刺繍が入った白いローブを着ていた。だから帝国の貴族だと思ったんだよ」

「白いローブ!?」


 今度はフランが驚きで瞠目どうもくする。


「ヴェルク、その人はもしかして青い髪の男の人だったんじゃないの?」

「そうだけど……」


 今さら、何を驚くのかと思っていた。ムカつくことだが、魔族ジェマ翼族ザナリールを追いかけ捕まえようとするのは珍しいことじゃない。

 だが、もしあいつがミストを狙った理由が、単なる狩りでないとしたら——。


「なぜ、そんな大事なことを早く言わなかったんだ!?」

「……悪い。帝国の嫌な噂ばっかり聞いてたから、逆に怪しいなんて思わなかったんだよ。魔族ジェマが狩りを行うのは日常茶飯事だったし。シャウラ、お前、ミストを襲ってきたやつが誰か知っているんだな?」


 妙に胸のあたりがざわついてやがる。

 経験から知っている。こういう時はろくな事が起こらない。悪い予感ってやつだ。


「帝国の紋章が入ったローブを着た青い髪の男なら、間違いない。そいつは宮廷魔術師のおさだ。皇帝の息がかかった、魔族ジェマ優越派の男だ」

「殿下、それって皇帝が指示を出してミスティアを捕まえさせようとしたってこと? でもどうして?」

「分からん。皇帝もマグノリア卿もミスティアとは何の面識もないはずだ。一体、なぜ……」


 張り詰めた糸のような緊張が走る。

 みるみるうちにミストの顔色は蒼白になっていく。もしかしたら襲われた時のことを思い出したのかもしれない。

 

 何か声をかけてやらねえと。


「……あっ、鳥」


 ミストの声で上空を見上げると、たしかに青い鳥が羽ばたいていた。こちらに向かってきているようだ。


 鳥はシャウラの目の前までくると、ぽんと音を立てて封筒に変化した。

 手紙だ。【風便りウインドメール】と呼ばれる、手紙を相手のもとに届ける魔法だ。


 普段なら、手紙ひとつでどうということはない。だが、今はまさに最悪のタイミングのように思えた。


 シャウラも同じことを感じ取っているのか、眉を寄せて険しい表情をしていた。

 封筒の端を破り、丁寧な手つきで便箋を開く。すぐに目を通さなければならないと思ったらしい。


「手紙、誰から……?」


 おそるおそるフランが聞いた。シャウラは答えない。


 こうなったら待つしかない。

 固唾飲んで見守る中、シャウラの顔が険しくなっていく。まさに鬼のような形相だ。そうしてついには、ぐしゃりと手紙を握りつぶしてしまった。


「殿下!?」

「くそっ、やられた! 何の気まぐれか知らんが、皇帝がカーティスからローを奪い、城に連れて行ったらしい」

「何だと!?」


 カーティスってやつのもとにいれば安全って言ってたじゃねえか!?


 そう言い出しかけて、すぐに飲み込んだ。

 今すべきことは誰かを責めることじゃねえ。現状を把握し、少しでも多く情報を集め、対処策を練らなくては。

 俺達が冷静にならねえと、助けられるもんも助けられなくなる。


 今すぐに取るべき行動は、たったひとつだ。


「すぐにカーティスと合流するぞ! 急がねばローの命が危ない」


 考えていたことと同じことを、シャウラは俺達に言った。

 強く頷いて答える。


 どうやらミストの兄貴を助けるには、どうあっても帝国そのものを相手にする必要がありそうだ。

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