[2-8]小鳥、法治国家について考える
「さて。無事に誤解も解けたことだし、店を出るとするか。早く行かねば日が暮れる」
席についてシャウラ様はカップの中身を飲み干すと、そう切り出した。
お店を出るの? 他に行くところがあるのかな。
「シャウラ様、まだどこかに用事があるのか?」
「何を寝ぼけたことを言っている。ヴェルクとミスティア、お前たち二人を今からシャラール国へ送りに行くのだぞ」
「ええええっ!?」
そうだった、すっかり忘れてた。
シャウラ様は帝国内で活動する他種族
たぶん今の状況はシャウラ様からしたら、町でたまたま
だけど、ここは素直に頷くことなんてできない。
シャラールに帰ってしまったら、今までの努力は水の泡だ。せっかく帝国内に入り込めたんだもん。
「やだ、帰らない。そもそもぼくは自分から望んでシャラール国を出て、この帝国までやって来たんだ」
首を横に振って、完全に拒否する。
初めは目を丸くしていたシャウラ様とフランが、なぜかヴェルクに視線を転じた。
「うそ。正気なの!?」
「どういうことだ、ヴェルク。説明しろ」
だから、どうしてぼくじゃなくヴェルクに聞くの!?
ぼくはただ、兄さんを取り戻すために帝国に行くだけじゃないか。多少は危険かもしれないけど、そんなに驚くようなことなのかな。
「帝国軍に村を滅ぼされた時に、ミストの兄貴は捕虜として捕まったんだってさ。で、その兄貴を取り戻すために帝国に潜り込もうとしてたんだ」
ヴェルクの言葉を聞いて、おもむろにシャウラ様は深いため息をついた。
腕を組み、眉を寄せたまま難しい顔をしてぼくたちを見る。というよりも、ヴェルクをまっすぐ見たような気がした。
「フランの言う通り、正気の沙汰とは思えぬ行動だな。なぜ止めなかった? 帝国臣民のほとんどは人喰いを経験した
……うん、やっぱり驚くようなことだったみたい。
だけど、シャラールにいたって兄さんは取り戻せない。変化のない日常が待っているだけだ。
それに今、ぼくのそばにはヴェルクがいる。
ヴェルクは言ってくれたもん。
兄さんを一緒に取り戻そうって。
「そんなこと、島育ちの俺が一番よく分かってるっての! だからミストの手伝いをして一緒に帝国に潜り込んでたんだよ。守りながらでも、その辺の
そうだ、そうだよ。
ヴェルクはそんじょそこらの
だけど、シャウラ様は全然納得してくれなかったみたい。
難しい顔をしたまま、重々しく口を開いた。
「たしかにヴェルクはそう簡単には負けないだろう。ただ、大陸では力に訴えたって切り抜けられない多くの問題がある。俺様だって槍の使い手としてそれなりの腕を持っているという自負がある。愛用している武器は違えど、ヴェルクがかなり熟練度の高い剣士ということくらい、目を見ればすぐに分かるさ」
「目?」
えっと……。目を見ればその人が強いかどうかって分かるもの、なのか?
そんなことってあり得るのか?
シャウラ様はぼくの疑問には答えてくれなかった。その天色の両目はまっすぐヴェルクだけに向けられている。
「たしかにお前は監獄島で多くの修羅場を潜ってきたのだろう。顔を合わせた時、すぐに感じた。ヴェルク、自分と自分の家族が生き延びるため、お前はどれだけの者を殺してきた?」
「…………」
ヴェルクは何も答えなかった。
どうして、今まで考えようとしなかったのだろう。
森の中で姿を現した時、彼は大きな剣を振るっていた。その動作には一切の迷いなんかなかった。
朽ち果てた骸を見ても平然とした顔をする冷たさもあって。
でもその一方で、命に対する敬意を持っていた。自分が殺した相手全員、わざわざ埋葬しに行ってたくらいだもん。
ぼくは、ヴェルクのことを一人の人としてちゃんと見れていなかったのかもしれない。
誰かのために自分の手を汚すことさえ
ああ、なんてぼくはバカだったんだろう。
種族でしか相手のことを見ていなかったのは、ぼくの方じゃないか。
ヴェルクは強いから、
やっぱり
彼のことを思うなら、殺して欲しくないとただ願うだけでは、何の解決にもならないじゃないか。
「勘違いしないでもらいたいが、ヴェルクを責めているわけじゃない。監獄島は法のない島だ。命を守るために必要なことだったと理解している。だが、同じことが
難しい言葉がまた出てきた。兄さんならわかるのかな。
「法治国家?」
首を傾げて考えていると、フランが指を立てて説明してくれる。
「シャラールにいたからミスティアも分かると思うけど、普通国に国民として滞在してると守るべき法律があるでしょ。当然盗みとか悪いことをすれば、その法によって裁かれるわ」
「うん。それは知ってる、けど」
ぼくより見た目は幼いのに、フランは物知りだな。
だんだん恥ずかしくなってきた。兄さんに勉強は教わってたのに、あんまり覚えてない。
なんとなく意味は掴めるものの、シャウラ様の意図はさっぱりだ。どうして今、法治国家のことを持ち出してるんだろう。
「ヴェルク、ミスティアが
ぎくり、と胸がきしむ。ヴェルクが答えるまでもなく、ぼくにとってもその言葉は図星だった。
殺して欲しくないとは思う一方で、ヴェルクならなんとかしてくれるかもしれないと思っていたのも事実だ。
「それは……」
「大きな騒ぎにもなるし、下手をすれば指名手配をかけられる。何よりお前の行動を目の当たりにして、ミスティアがどう感じるのか考えないのも悪い。
ごめん、シャウラ様。実はぼく、そんなに繊細じゃないのかも。
目の前で
兄さんなら、十中八九心を痛めていたに違いないけど。
「じゃあどうしろって言うんだよ!?」
「一番はミスティアと共にシャラールへ逃れることだが……」
ちら、とシャウラ様がぼくの顔を見る。
全力でぼくは顔を横に振った。
たしかに浅はかな考えだったし、現実的にものを考えられてない。だけどシャラールに戻ることだけは嫌だ。自分にできることを精一杯やって、兄さんに近づきたい。
「あの調子じゃ、素直に言うことは聞かないだろうな」
「当たり前だろ。シャラールに無理やり戻すより一緒に行動した方が安全だぜ? それにミストに力になってやると約束したんだ」
「しょうがないヤツらだな、お前たちは」
シャウラ様は深いため息をついた。
何回目のため息なのかな。もう数えられなくなってきた。
話してみて、わかってきたことがある。
シャウラ様は予想していたよりも、ずっと優しい心を持った
ぼくはヴェルクは強い
「あの、シャウラ様」
「何だ? ミスティア」
心の中で思うだけじゃ、実際に動かなきゃなにも変わらない。
それなら、今から行動したって遅くはないはずだ。
姿勢を正し、息を吸う。
心を奮い立たせ、ぼくは覚悟を決めてシャウラ様に切り出した。
「お願いがあるんだ。兄さんを取り戻すために、力を貸してもらえないだろうか?」
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