[2-2]小鳥、怒りをしずめる

「なんでここに翼族ザナリールが!?」

「知るかよ。だが、こいつは極上の獲物だぜ」


 熱に浮かされたような会話が右から左に通り抜けていく。


 振り払おうとしたけど、相手の力が強くてびくともしない。

 心臓がバクバクと音をたてる。指先が震え、背中を冷たいものがすべり落ちていった。

 こわい。このままじゃ、食べられる。


「ミストを離しやがれっ」


 鈍い衝撃が腕に伝わってきた。けど、痛みはない。

 それもそのはずでヴェルクが手刀を叩き込んだのは、ぼくを捕らえていた魔族ジェマの腕だった。

 あんなに振り払えなかった彼の腕が一瞬で離れていって、ホッとする。


 ヴェルクは力強くぼくの肩を抱いて、庇ってくれた。


 同じ力でも彼の腕や手のひらはあたたかい。

 ふんわりとお日さまの匂いが鼻をくすぐった。

 今度は別の意味でドキリとした。背中の翼が広がっていく。


「いきなり何するんだ!」

「それはこっちの台詞だぜ! どいつもこいつも、ミストを物扱いしやがって」

「妙なヤツだな、なに熱くなってんだ。もしかして、この翼族ザナリールはお前の連れか? だめだろ。自分の持ち物にはちゃんと所有者が分かるように、するのが常識だろ」


 ぼくの肩を抱く長い指が、ピクリと動いたのがわかった。


 こうして隣にいるといやでもわかる。

 鋭利な刃物のような濃密な殺気。ひと睨みするだけで殺せるんじゃないかっていうくらいの、鋭い視線。

 音がしたわけじゃないのに、ぼくの耳にはぶちんとなにかが切れる音が聞こえた。


 たぶん。

 ううん。絶対、ヴェルクは怒っている。


「さすがの俺も、そこまで腐ってるとは思ってなかったわ。まとめて来いよ! てめえら全員ほふってやるっ」


 力任せに自分の外套を剥ぎ取り、ヴェルクは酷薄こくはくな笑みを浮かべた。

 もう種族を隠しておく意味はないということらしい。


 だめだ、ぼくじゃ止められない。


 思わず胸のあたりで両手を握っていたら、ヴェルクの腕がぼくから離れていった。

 彼はコートの懐に手を突っ込んでなにかを握る。ぎらりと鈍い光を放つソレは、ぼくも狩りの時に愛用しているダガーだ。


 どうしよう!?

 なんとかしなくちゃ。ここで止めないと、またヴェルクは魔族ジェマを殺しちゃう。


 彼に会った時から、ずっと感じてた。

 生きるために獣を狩るのと同じように、ヴェルクは誰かを守るためなら躊躇ためらいなくひとを殺す。


 ぼくだって魔族ジェマはそんなに好きじゃないし村を焼いた仇だけど、ヴェルクにはそんな真似して欲しくない!


「貴様ら、何を騒いでいる?」

 

 たった一言だった。

 だけど、広場のざわめきにかき消されそうなその声は、ぼくの耳にはよく通った。

 

 瞬時に静まり返り、あふれていた人のかたまりがふたつに分かれる。

 その間を縫うように、二人の魔族ジェマがぼくたちに近づいてきた。


 一人は背が高く、もう一人は背が低い。


 背が高い方の魔族ジェマは海色の髪をしていた。

 ふと森で襲ってきた青い髪の魔族ジェマが頭によぎったけど、違う人だ。ローブを着ていない。

 同じ白でも、彼が着ているのは立ち襟のシワひとつない宮廷服だ。手に持っているものは長柄の武器。魔族ジェマだけあって、鼻筋が通ったすごくきれいな顔をしてる。ただ、目つきが鋭い。


 背の低い方は女の子だった。

 クセのある赤茶色の長い髪を高い位置でひとつに結んだ、褐色の肌の女の子。

 ヘーゼル色の大きな瞳が印象的だった。

 身体は細身で、この子もシワひとつない軍のような制服を身にまとっている。


 二人とも、きっちりとした服装だ。明らかにぼくみたいな庶民じゃない。


「皇太子殿下!?」


 さっきぼくに絡んできた魔族ジェマの男が言った。


 ちょっと待って。皇太子って、もしかしなくても皇帝の息子か!?


 シャラールに数年身を寄せていたぼくだって知ってる。

 イージス帝国には二人の皇子がいて、次期皇帝と言われているのがシャウラという名前の皇太子だ。

 彼も他種族を多く手にかけていて、皇太子は皇帝に次ぐ実力を持った夢魔ナイトメア魔族ジェマだとか。


 あの青い髪の男の人が、皇太子なのかな。


 さあっと頭から血の気が下がっていくのがわかる。

 今度こそピンチかもしれない。

 

 魔族ジェマたちからは逃げなきゃいけないし、ヴェルクにはもう人殺しはさせたくない。

 どうしたらいいかわからなくて、頭がショートしそうだよ……。


「あの、首輪をしていない翼族ザナリール人間族フェルヴァーを見つけたので、つい」

「ん?」


 隣に立つヴェルクの殺気がさらに増していくのがわかった。肌に突き刺さるようで、ぼくに向けられたものじゃないのに、すごくこわい。

 だから首輪って何だよ!?

 ぼくだって文句言いたいけど、今のヴェルクにとって禁句みたい。不用意に口にしたらダメな気がする。


「ああ、そうか。悪いが、そいつらは俺様のものだ」


 口角を上げ、皇太子はにやりと笑った。

 聞き捨てならない台詞が聞こえたんだけど!?


「父上にもらったものだったんだが、首輪をつけるのをすっかり忘れていてな。まさかここまでの騒ぎになるとは思わなかった。二人とも滅多にお目にかかれないほどの上玉だろ?」


 だから、首輪って言わないでー! ヴェルクをこれ以上煽らないでよー!!


「そうですか。俺たち知らずに殿下の持ち物に手を出すところでした。申し訳ございません」

「未遂だから大目に見てやる。お前たちも戻るがいい」


 周りの見物人たちをぐるりと見回してそう告げると、魔族ジェマたちは蜘蛛の子を散らすように広場から立ち去っていく。

 さすがというべきか、なんというか。

 「なんだー」とか「せっかく久々のご馳走にありつけると思ったのに」とか言ってたのは、もう聞かなかったことにする。こわすぎるもん。


 そうして街の広場にはぼくとヴェルク、そして皇太子と女の子の四人だけになった。


「せっかく助けてやったんだ。物騒なもんは仕舞っておくんだな、人間族フェルヴァー


 え、どういうこと?

 ぼくたちは助けられたの?


「うっせえ! お前どういうつもりだ!?」


 まだヴェルクの機嫌は直ってないみたい。


「おーおー、熱いねえ。さすがは炎の民だ。ちょっとそこの翼族ザナリール、こいつをなだめてやってくれないか? この調子じゃ話もできん」

「殿下、そういう言い方が彼を煽るんだよ?」


 小さな肩をすくめて、女の子がため息をついた。

 間近でよく見たらこの子、あどけない顔をしてる。案外、ぼくより年下なのかも。


「ヴェルク、ぼくは大丈夫だから」

「……大丈夫じゃねえだろ。どいつもこいつも翼族ザナリールを……、ミストを、人以下の扱いしやがって」


 ぼくが理不尽に扱われそうになったから、怒ってくれたのかな。


 兄さんはよく言っていた。

 人間族フェルヴァーは思いやり深くて、ぼくたち翼族ザナリールを大切にしてくれるって。

 

 弱きを助け、強気をくじく。

 ヴェルクにもその精神が根付いてるのかな。翼族ザナリールだから、ぼくを助けてくれるのかな。


 それはとても嬉しいことのはずなのに、なぜかチクリと胸の奥が痛んだ。


「鳥扱いも首輪も、そりゃぼくだって腹は立つよ? でもそれ以上に、ヴェルクにひとを殺して欲しくないんだ。助けてくれた時はうれしかった。だけど、もうぼくのために、誰かのいのちを背負わせたくはないから」


 ヴェルクは自分が殺した魔族ジェマたちを真っ先に埋葬していた。

 彼がそうしたのは生命いのちは尊いものだと理解し、敬意を払っているからだ。

 昨日からずっとヴェルクは平然としているように見えるけど、心は平気なはずがない。きっと傷ついている。


「……ミストの気持ちは分かったよ」


 ヴェルクの声が穏やかになった。ほっと胸を撫で下ろす。


「それで、あの。皇太子、殿下……えっと」


 危ない、思わず皇太子って言うところだった。

 身分のとうといお方に対する言葉遣いって、どうすればいいんだっけ? 兄さんにもっと勉強を教わるんだったな。


「普段通りの言葉遣いで構わないし、シャウラ様でいいぜ。俺様の名前はシャウラ=ランズベリー=ダリア。で、こっちは従者のフランだ」


 シャウラ様が言うと、女の子——フランはにこりと笑って会釈をした。


「ぼくの名前はミスティア。彼はヴェルク=ザレイアという名前で——」

「ちょっ、ミスト!」

「え?」


 どうしてヴェルク、焦っているんだろう。名前、言っちゃまずかったかな。


 けれど、ヴェルクはそれ以上なにも言わなかったし、ぼくを叱らなかった。片手で前髪をくしゃりとかき上げて、深いため息をついている。

 だけどシャウラ様は気にしてないみたい。


「ヴェルクにミストだな。よし、覚えた。早速だが場所を移すぞ」

「本当にどういうつもりなんだ、お前」


 不機嫌オーラも殺気もなくなったけど、ヴェルクはまだシャウラ様を警戒してるみたい。

 そりゃそうだ。だって助けるメリットはなにもない上に、知り合いでもない。かといって、ぼくたちに危害を加える様子もない。


「せっかく庇ってやったのに口の利き方がなってないな。まあ、いい。言っておくが俺様と一緒にいた方がいいぞ? 少なくとも、他の魔族ジェマに襲われることはないからな」


 腕を組んで、シャウラ様は不敵に微笑んだ。

 鋭い印象の目はで、……って、あれ?


「どこに連れて行くつもりだ」

「そうだな、食事にでも行くか。そこでゆっくり話そうぜ」


 くるりと大きな背中を向けて、シャウラ様はスタスタと歩いて行ってしまった。強引にぼくたちを連れて行くつもりはないみたい。フランも後を追うようについて行く。


「……ぼく、ついて行ってみようかな」

「ミスト、本気か!?」


 目を剥いてヴェルクが声をあげた。

 うん、無理もないと思う。ぼくだって最初はどうしようか迷ってた。でも。


「なんとなくだけど、シャウラ様って、そんなに悪いひとじゃないような気がするんだ」


 人喰いの魔族ジェマは精神を狂気に侵されて、濁った虚ろな目をしてるってヴェルクは言っていた。

 だけどシャウラ様のあま色の瞳は青空みたいに澄んでいて、濁っていなかった。


 心のどこかで確信している。


 あの皇太子殿下は、他種族を食べたことのない魔族ジェマだ。

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