2章 迷子の小鳥と宿場町での出会い
[2-1]小鳥、変装する
「まずは買い出しに行こうぜ」
次の日の朝。朝ごはんに出されたパンをかじっていると、ヴェルクはそう提案してきた。
朝ごはんのメニューは、小麦粉とミルクで練ったものを枝に巻きつけて焚き火で焼いた、シンプルな焼きパンだ。
もぐもぐとよく噛んで飲み込む。
ジャムがないから味がついてないけど、甘ったるくなくていい。川から汲んだ新鮮な水と一緒に流し込む。
「買い出し?」
昨日、
先立つものがないのに、買い物なんて無理に決まってる。
「ヴェルク、昨日も寝る前に言ったけど、ぼく、お金持ってないんだ」
隠していてもいいことはないと思って、昨夜食事のあとにちゃんと自分から自己申告した。
もちろん怒ったりはしなくて、ヴェルクは「なんとかしてやるから気にすんな」って言ってくれたけど、なんか申し訳ない。
あっ、もちろん別々の場所で寝たんだからな。
「だから気にすんなって言っただろ? お前の分くらい俺が買ってやるって」
「で、でも」
「ミスト、知ってるか? シャラールは小さな国だけど、討伐依頼には高い報酬を支払ってくれるんだぜ。まあ、ほとんどは国境付近で魔物や人喰いの
「そうなんだ」
って、なに納得してるんだ。
そんなの、ヴェルクにお金を出させていい理由にはならないだろ。
でもだからって、現状を打破できる方法はない。
愛用の弓矢も貴重品も、手元にはもうない。
昨夜、眠る前にようやく乾いたこの服一着だけが、ぼくの持ち物。
「わかった。兄さんを取り戻したら、必ずまとめて返すから!」
「お前も真面目だなあ。もういいよ、それで」
両手を握りしめて宣言したら、ヴェルクはなぜかプッと吹き出して、わしゃわしゃとぼくの頭を撫でた。
小さい頃から兄さんに頭を撫でられてるし、別にどうってことない。
それなのに、どうしてこんなに照れくさいんだろ。胸のあたりがくすぐったい。
「そ、そういえばっ!」
「ん?」
頭を撫でていたヴェルクの手が止まった。丸くなった紫色の目がぼくを不思議そうに見ている。
「聞きたいと思ってたんだけど、ヴェルクはどうやって食べてる
噂によると、帝国によって一度滅びたシャラールを
つまり世界には、種族に関わりなくどこにでも心の優しいひとがいるってことだな。
そういうわけで、ぼくが一番警戒するべきなのは人喰いの
「そんなの簡単だ。大抵のヤツは目を見れば分かるんだぜ」
「目……?」
「ああ。ミストは人喰いの
「うん、一応」
他種族を喰らって自分の魔力に変える、という天性の能力を
人を喰らった瞬間、寿命を半分に断たれる呪いをその身に受けると言われてるんだ。
「人を喰う代償として呪いを受けたヤツらの精神は、少しずつ狂気に侵されていくもんなんだ。人を喰えば喰うほど心がイカれていく。だから喰ってるヤツらの目は焦点が定まってねえし濁ってて、虚ろなんだぜ。ミストも覚えておくといいかもな」
「そう、なんだ」
考えてみれば、いくら種族が違うからって人が人を食べるだなんておかしなことだもんな。
心や寿命を犠牲にしてまで、どうして
「ま、どっちにしても、帝国の
ふと、頭の中で昨日の出来事がよみがえる。
ぼくを襲っていた
同じことがあれば、また彼は
そう思ったら、チクリと胸が痛んだ。
そうしたらヴェルクだって、誰かを手にかけなくて済むのに。
「そうだ。ミスト、これ被っとけよ。森を抜けた先はもうイージス帝国なんだ。お前の翼は目立ちすぎるから隠しておかねえとな」
放り投げてきたものを思わず受け取って、ぼくはそれをしげしげと見つめた。
気になったことをそのままヴェルクに聞いてみる。
「これを被るのか? なんで?」
「変装だよ、変装。帝国国民には
そう言って、ヴェルクは白い歯を見せ、にぃっと笑ったのだった。
◇ ◆ ◇
東にはシーセス国、北にはイージス帝国とシャラール国は二つの国に挟まれている。この三つの国をまたがるように広がっている森が、ぼくとヴェルクが出会った場所だ。
通称、フォーレイの森と呼ばれるその森を北に通り抜ければ、国境線に直接超えなくてもイージス帝国内に入ることができる。
シャラール国でしばらく傭兵をやっていたというだけあって、ヴェルクは当然この抜け道のことを知っていたし、地図も持っていた。
ぼくは逃げるのに夢中だったし、地図もなくしていて現在地さえつかめなかったから、すごく助かった。
「これくらいの変装じゃすぐバレると思ったけど、案外バレないものだな」
顔があまり出ないように、被っているフードを引っ張る。
ヴェルクに変装しようと言って
森を抜けて最初に入った町は宿場町だったらしくて、同じようなマントを身につけた旅人がとっても多い。もちろん、ぼくとヴェルクみたいにフードをかぶったままの人もいる。
なるほど、これなら他の人に紛れて、案外バレないかも。宿場町って、旅人の中継地だもんね。
ヴェルクの判断は正しかったというわけだ。
でも同時に、胸の中がもやもやする。
国境付近にある町が宿場町だって、どうして彼は知ってたんだろうか。
「けど、困ったな」
「なにが?」
声量をおさえてヴェルクはつぶやいたから、ぼくも彼に倣って小声で尋ねる。
いくら旅人が多いといっても、目立たないようにしなくちゃいけない。ここはもうシャラール国じゃないんだし。
「生活必需品とか基本的なものを揃えるのはワケねえけど、問題はお前の服だ。マントくらいならサイズはあってねえようなもんだからいいが、服はさすがに試着しねえと。けど、このマントを脱ぐわけにもいかねえしな」
「……う、それは」
たしかにヴェルクの言うことはもっともだ。
マントを脱いじゃったら、間違いなく
「なあ、なんか甘い匂いしないか?」
近くでそう尋ねる声が聞こえた。ヴェルクじゃない。
少し前で買い物をしていた焦茶色の外套を着た二人組のようだった。フードは被っていなくて、もちろん種族は耳の尖った
「え、そうか? ちょっと待て」
すんすん、と鼻を動かす音が聞こえる。
ふいに腕をヴェルクにつかまれた。
「ミスト、ここから離れるぞ」
ぼくにしか聞こえない小声だったけど、ヴェルクの声音はどこか固かった。
よくわからないけど、彼が離れた方がいいと判断したなら、すぐに従った方がいいのかも。
だけど——、
「おい、お前」
反対側の腕を引っ張られた。相手はヴェルクじゃない。さっきの旅人風の男だ。
「な、何?」
「やっぱり。お前から妙に甘い匂いがするんだよな。……本当に
どくんと、心臓が大きく波打つ。
これはマズいかも。
何とかしなくちゃ。ここでぼくの正体を知られてしまったら、全部おしまいだ。
「なんだお前たちは。離してくれっ」
手を振り払おうとしたのがいけなかったのかもしれない。
ぶんと腕を大きく振り上げようとした、その時。
風を感じた。フードを被っていたら感じるはずにない、髪をあおり頬を撫でる心地いい風が。
「
ポツリとつぶやいた旅人の顔を見てハッとする。
しまった、頭にかぶってたフードが取れちゃった!
旅人はふらり、またふらりと足を進ませてくる。そのたびに鳥肌が立ち、背中の翼が縮こまっていく感覚がした。
焦点が定まらず、ぼんやりとぼくの顔を映す緑色の目。
まるで曇ったガラスのように暗く淀んでいる。その中にギラつく鈍い光は、まるで獲物を狙う猛獣のようで。
森を抜ける前にヴェルクに教えてもらったことが頭の中でよみがえる。
彼らは間違いなく人喰いの
そしてたった今、
一難去って、また一難。再び命の危機だ。
逃げ道のない今の状況で、一体どうすればいいの!?
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