[1-4]小鳥、王子の過去を聞く

「おまえのことが気に入った。それに困った女を助けるのに、理由なんて必要ないだろ」


 ぼくの心臓が、ばっくんばっくんと暴れている。


 気に入ったってどういう意味? 全然意味がわかんない。

 その言葉をどう受け止めばいいんだ!?


 ヴェルクの言葉が頭の中でぐるぐる回っている。

 目眩までしてきた。

 ぼく、どうなっちゃうの!?


「とは言っても、どこの馬の骨とも知れねえ俺にいきなりついて行くって言われても、ミストは困るよな」

「えっ、いや、あの……」


 言われてみればたしかにそうだけど、何がなんでもついて行くというさっきの勢いは、一体どこへ……?

 ぽかんと見ていたら、ヴェルクはぼくの顔から手を離して少し距離を取った。

 少しホッとしたけど、正直、ちょっと名残惜しいと思うのはなんでかな。


 複雑なぼくの心境も知らず、ヴェルクは口の端をつり上げる。


「ミストも気付いてんだろ? 俺が他所者よそものってことに」


 うん。まあ、なんとなく気付いてたけどさ。

 でもそんなまじめモードになるなら、ちょっと期待させないで欲しかった。


 ん? 期待?

 ぼくはなにに期待してたんだ?


「全部話すから、とりあえず座れよ。茶を淹れてやる。飲みながら話そうぜ」


 ヴェルクはそう言うと、洞窟の奥へと消えてしまった。


 ぼくたちが火をたいている場所は洞窟の入り口なんだよね。

 もともと旅人だったのか、ヴェルクはこの洞窟を一時的な寝ぐらにしているみたいで、荷物もぜんぶ奥の方にしまいこんでいたらしい。


 お茶を淹れるって言ってたけど、どうするんだろ。


 ここは森の中だし、街と違って料理するのは簡単じゃない。手軽な調理はこうやって川で釣ってきた魚を焼くくらい。

 野営の経験がないわけじゃないけど、魔族ジェマたちに追われてる時に使えそうな道具や荷物は捨ててきてしまった。


 え、ちょっと待って。ということは、今、ぼくは一文無しなんじゃ……。


「もうちょっと待ってろよ」


 ヴェルクは両手にいろいろ道具を抱えて戻ってきた。

 手慣れた感じで金属製の機材を設置していって、ケトルにたっぷり水を注いでいく。最後に乾燥させたなにかの葉っぱを入れて蓋をしてから、焚き火の上に当たるよう機材を使ってケトルを吊る。

 取手のついたカップを二つ取り出してしばらく待っていると、ケトルの口から湯気が出始めた。

 ぼーっとして様子を眺めていたら、あたたかいお茶が入ったカップをヴェルクに差し出される。


 なんというか、すごく手慣れてる。ヴェルクはぼく以上に野営の経験があるんじゃないかな。


 自分の息で少し冷ましてから飲むと、すっきりした後味のお茶だった。

 じんわりとお腹があったまる。なんだかホッとした。


「もうすでに察してるだろうけど、俺はシャラール国の国民じゃない。そもそもこの大陸の生まれじゃねえんだ」

「うん、それはなんとなく気付いてた。シャラール国は雪国だし、そんなに日差しが強くない。ヴェルクみたいに日焼けした肌をしてる人は初めて見たから。どこか違う国から来たんだろう?」

「ま、他所よそから来たには違いねえけど、あそこを国と呼んでいいのか分からねえな。ミスト、バイファル島って知ってるか?」

「バイ、ファル島……?」


 初めて聞く言葉だ。

 そんな島、地図に載ってたっけ?


「ま、ミストが知らなくても無理はねえよ。基本的にその島の存在は王族にしか知らされねえからな。バイファル島はな、通称監獄島と呼ばれていて、第一級犯罪者を収容しておく島なんだ。どういう理屈かは分かんねえけど、島全体に強力な結界が敷かれていて、一度入ったら絶対に出られねえ場所なんだ」


 だから監獄島なんて、物騒な名前で呼ばれてるのか。

 ん!? ということは、もしかしてヴェルクは……。


「俺はその監獄島から逃げ出してきたんだよ、ミスト」

「ええっ!?」

「あ、だからって、悪事を働いて監獄島にいたわけじゃないんだぜ。実は俺の親父様は元王族でさ、争いにやぶれて政治犯としてその島に送られたんだ。そこで島の住人だったおふくろと出会って、俺が生まれた。だから俺はバイファル島で生まれて、そこで育ったんだ」


 なるほど、そういうことだったのか。

 犯罪者が送られる島だっていうから、てっきりヴェルクも何かの罪で捕まったのかと思った。さっき魔族ジェマたちを殺した時も一切の躊躇ためらいもなかったし……。


 あれ、ということは。


「じゃあ、ヴェルクって王子様なのか?」


 父親が元王族って言うくらいだし、その子どものヴェルクだって当然王族だ。

 本来は庶民なぼくなんかとは違う高貴な血筋なんじゃないのだろうか。


「ちょっ、王子様なんてやめろよ。大体俺はそんな柄じゃねえって!」


 ヴェルクはぎょっとして慌てて否定し始める。

 でも、たしかに嫌がるのはわかるかもしれない。ヴェルクが生まれた時はもう島の中で、王族としての教育も受けていたわけじゃないんだろうし。


「監獄島というくらいだし、そんな簡単に逃げられるものなのか? 実際、強い結界が敷かれていたんだろう?」

「そのことに関しては俺も不思議に思ってんだよなあ」


 無造作にガリガリと片手で頭をかいて、ヴェルクは眉を寄せた。

 故意に結界を破って逃げたというわけじゃないみたい。


「そもそも、どうして逃げることにしたんだ? 監獄島と呼ばれるような場所とはいえ、家族で暮らしていたんだろう?」

「ああ、それはちょっとした成り行きでな。俺がヘマしちまったからなんだけど——」


 そもそもバイファル島は、シャラール国のような一般的な国とは少し違う。

 王はいないし、規律を正す法律も軍もない。

 いわゆる無法領域で、治安がとても悪い。

 力の強い者が力の弱い者を従わせ、支配する。そのような社会が成り立つような場所だ。


 ヴェルクはそう説明してくれた。


「寝ぐらにしていた場所から遠出したところを、運悪く他の縄張りのやつらに見つかっちまってさ。複数相手に追いかけられたんだ。捕まったら最後、必ず殺される。結局、崖っぷちまで追い詰められて、覚悟を決めて海に飛び込んだわけ。そしたら——」

「なぜか、島の外に出られた、ということか?」

「そういうこと。ま、泳ぐのがいくら得意と言っても、さすがの俺も自力ではこの大陸まで泳ぎきるのは無理だぜ? 俺がこうして無事でいられるのは運よく助けてくれる人が近くにいてくれたおかげだ。人の縁に恵まれたんだろうなあ」

「そっか」


 なかなかに予想をはるかに超えた壮絶な過去だ。

 村を焼かれたぼくが言うのもあれだけど、ヴェルクが自分のことを強いと自信を持って言うのには、それなりの理由があったんだ。命を落としかねない修羅場をくぐってきた経験が、彼の自信に繋がっていたのかも。


「この大陸に来たのはたしか五年前だな。この身一つで来ちまったから、何も持ってなくてさ。仕方ねえからシャラールで傭兵の仕事をしながら生活してたんだ。情報もここ数年でかなり集めたから、世界情勢も大体つかめてるぜ」


 ヴェルクは一気にカップの中身をあおって、足元に置いた。

 強い光を宿す紫色の片目が、少しだけ和んだ。


「今の時代、一番脅威的な国は間違いなくイージス帝国だ。島育ちとはいえ俺だって人間族フェルヴァーの一人だし、捕まってるミストの兄貴は見過ごせない。だけどな、手を貸してやりたいって思ったのは、お前が理由なんだぜ。ミスト」

「ぼく……?」


 カップを抱えたまま思わず聞くと、ヴェルクは笑って頷いてくれた。


翼族ザナリールのお前はやっぱり魔族ジェマが怖いだろ。さっきだって死ぬような目にあったばかりなのに、それでも帝国に挑もうとしている。お前のその勇気を心の底からすげえと思うし、心を打たれたんだ」


 大きな手のひらを握って拳をつくり、ヴェルクはそれを軽く胸に打ちつける。

 口の端をつり上げ、不敵に笑う。


「大抵のヤツには負けねえ自信がある。一緒にあの悪名高い帝国に乗り込んで、ミストの兄貴を助けに行こうぜ」


 胸が熱くなる。

 ここまで言い切られちゃったら、ついて来ちゃだめだなんて、もう言えないよ。


「……ん。ありがとう、ヴェルク」


 おかしいな。もう泣かないって決めたのに。

 悲しくないのに涙が出るなんて。


 弱ったところを見られたくなくて笑顔をつくる。

 やっぱり涙はあふれちゃったけど、ヴェルクは気にせずに笑って、ぼくの頭をなでてくれた。

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