[1-3]小鳥、打ち明ける

 二本目の串を地面に突き立てて、ぼくは両手で毛布を身体の中心にかき寄せる。


 思わず目をそらしちゃったけど、ヴェルクのまっすぐな視線は感じていた。

 声を荒げずに、彼は穏やかに尋ねてくれた。


「どういうことだ?」

「ぼくには年の離れた兄さんがいたんだけど、今は行方不明なんだ。五年前、ぼくの村は帝国軍に焼かれてしまって、たぶん兄さんは捕虜として捕まったんだと思う。ぼくはその日たまたま狩りをしに森に出かけていて、無事だったんだ」

「そうだったのか。くそっ、あいつらやることが相変わらず悪どいぜ」


 目を上げたら、ヴェルクは眉を寄せて拳を地面に打ち付けていた。

 痛そう、と思ったけど、ぼくの身に降りかかった不幸を自分のことのように怒ってくれる彼を見て嬉しくなる。


 人間族フェルヴァーが弱き者の味方だっていうのは、やっぱり本当だったんだなあ。


「言いにくいんだけどさ、ミスト。帝国の連中に捕まったら魔族ジェマでないヤツは、大抵の場合喰われるか吸血鬼の魔族ジェマに変えられるかのどちらかだぜ? もしかしたら、お前の兄さんは……」

「ううん、違うんだヴェルク。兄さんはたしかに生きてる! 【風便りウインドメール】がちゃんと相手に届いたもん!」


 いてもたってもいられなくなって、ぼくは立ち上がって主張する。ヴェルクは目をぱちくりとさせていた。


 風の魔法のひとつである【風便りウインドメール】 は、書いた手紙が鳥になって相手のもとに飛んでいく魔法だ。もしも送った相手が生きていなかったら、その鳥は目的を果たせず術者であるぼくのもとに戻ってくる。

 もちろん手紙は戻ってこなかった。だから兄さんは、死んでなんかいない。


「ミスト、おまえ魔法が使えるのか」

「うん、兄さんが教えてくれたんだ」


 言葉を切って、深呼吸する。


 ヴェルクは翼族ザナリールにとって憧れの英雄ヒーロー

 優しくて思いやりのある彼はきっと、これからぼくがしようとしていることに決して賛同しないだろう。


 兄さんのことを明かしてしまったら、もう引き返せない。引き止められたら彼の前からも逃げるしかない。

 別れるのは寂しいけど、一人でもやり遂げるって決めたから。


「兄さんの名前はローウェル。村一番の物知りで、天才的な精霊魔法の使い手だった。どういう目的でぼくを捕まえようとしているのかはわからないけど、関係があるとすれば兄さんのことしか思い浮かばないんだ」


 帝国の魔族ジェマなんて、会ったのが今日が初めてなんだし。


 ヴェルクは腕を組んで考えにふけっているみたい。

 前髪で隠れた右目が少しだけ見える。両目とも濃い紫色だった。


「ということは、お前の兄さんは精霊使いか。それだけの情報じゃ、アイツらがお前を捕まえて何しようとしてるのかまでは分からねえな。よし」


 立ち上がり、ヴェルクはぼくを見た。腰に両手を当てて、彼はこう提案した。


「ひとまず、シャラール国へ送ってやる。あの国はこの大陸で唯一の人間族フェルヴァーの国家だ。帝国の連中に狙われてんなら、なおさら保護してくれると思うぜ」


 予想通りの反応だった。

 ぼくはじっとヴェルクの顔を見る。口を引き結んだまま、首を横に振った。


「行かない」

「えっ、なんで——」

「ヴェルク、ぼくは村を焼かれて住処を失ってから、シャラール国に保護してもらったんだ。そもそもたった今、そのシャラール国から出てきたんだよ」


 川のせせらぎの音や葉がこすれ合う音だけが、あたりを包み込む。

 黙り込んだあと、ヴェルクは腕を組み、尋ねてきた。


「理由を聞いてもいいか?」


 こくりと頷く。


「ぼくはこの森を抜けた先にあるイージス帝国に乗り込んで、兄さんを助けに行くつもりなんだ」


 紫色の右目が丸くなる。

 そりゃそうだろう。自分だって無茶なことだって思うもん。


「ミスト、それは……」

「無茶なことだっていうのはわかってる。さっきだって大勢の魔族ジェマに襲われてたんだし。だけど、シャラール国はすぐに動いてくれないんだもん」


 視界がぐにゃりと揺れる。

 眉間にきゅっと力を込めて、ぼくは毛布を強く握りしめた。


「シャラール国は十年前に帝国から独立したばかりの国だから、無理もない。まだまだ小さな国だし、いくら人間族フェルヴァーの国といっても、帝国軍に敵うわけない。そのくらいぼくもわかってる。だけど、」


 大人の事情を察して聞き分けのいい子どもでいられるほど、ぼくは大人じゃない。


「待ってるだけじゃなにも変わらない。兄さんはぼくと同じ翼族ザナリールだ。今は生きていても、この先どうなるかわからない。だから助けに行くんだ。兄さんが帰ってこないのを、ただ一人で泣いて時間を過ごすくらいなら、ぼくは無謀でも無茶でも、帝国に潜入して兄さんを助けに行く。そう決めたんだ!」


 泣いてなんかいられない。それに、もう泣かないって決めたんだ。


「誰がなんと言おうと、僕は帝国に行く。だから、ヴェルクが止めたって——」

「わかった、俺も協力する」

「——へ?」


 あれ、今、なんて言った?

 協力するって聞こえたような気がするんだけど。


 ぽかんと口を開けたまま呆然としていたら、ヴェルクはぼくの頭でも理解できるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「俺もおまえと一緒に行ってやるよ。おまえの家族、取り戻しにいこうぜ」


 えっ、いや……、ええ!?

 待て待て待て! ちょっと待って!!

 ぼく、そういうつもりで言ったんじゃない!


「だめ、絶対だめ! 危険すぎるよ!! だって帝国の魔族ジェマ人間族フェルヴァーも標的にするんだぞ!?」

「そうだぜ? 条件的にはミストとそんな変わらねえよ。だけどさ、さっきお前も直で見ただろ。自分で言うのもなんだが、俺、結構強いんだぜ?」

「いや、そうだけど! でも……っ」


 なんで!?

 どうして、そんな危険な真似までして、ぼくに優しくしてくれるの。


「わざわざ帝国みたいな危険な国について来ることない。ヴェルクとぼくは初めて会ったばかりじゃないか。どうしてそこまで親切にしてくれるんだ!?」


 彼のつった紫色の目を見てると、どうしようもなく胸がざわつく。

 冗談じゃない、本気で口にした言葉だってわかるから。


 ヴェルクの手が、そっとぼくの頬に触れる。


 湿ってるのに、あたたかいてのひら。

 とくんと心臓が波打った。


 形のいい唇を開いて、彼は予想だにしなかった答えを返した。


「おまえのことが気に入った。それに困った女を助けるのに、理由なんて必要ないだろ」

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