[1-2]小鳥、洗濯する

 どうして、こんなことになっちゃったんだろう。


 炎の中でパチパチと爆ぜる枝の音を聞きながら、ぼくは何度も心の中でつぶやいた。


 森で何人もの魔族ジェマに捕まって、もう食べられちゃうって思った時に人間族フェルヴァーの男の人が助けてくれた。

 ヴェルクと名乗った彼はあっという間に悪い魔族ジェマをやっつけてしまって、まるで兄さんが何度も読み聞かせてくれた英雄の物語みたいだった。


 お互いに自己紹介し合ったぼくたちだったけど、二人とも服とか身体にひどい返り血を浴びてたから、とりあえず近くの川で洗おうってことになったんだよね。


 ぼくに気をつかってくれたのか、ヴェルクはタオルだけ置いて身体を洗っている間にどこかに行っちゃったみたい。

 野暮用があるって言っていたけど……。


 すぐに洗ったから服はきれいになってよかったかな。

 今、ぜんぶ干しているから着る物はないけど、とりあえずヴェルクが用意してくれた毛布にくるまってみた。

 焚き火のそばにいれば身体も冷えないだろうし、そのうち彼も戻ってくるだろう。

 それはそれで落ち着かないけど。今、毛布の下はなにも着てないし……。


「なるべく早く戻ってきたけど大丈夫だったみたいだな、ミスト」


 ほら、戻ってきた。


 ロングコートは赤黒く染まったまま。それどころか、袖や肘の部分が土でひどく汚れてドロドロになってる。

 こうして見てるとひどい有様なのに本人は気にしてないのか、ヴェルクはぼくを見ると気さくに笑ってくれた。


 それにしても。


「ミスト、って……?」

「ミスティアだからミスト。呼びやすいだろ? まあ、おまえが嫌なら呼び方変えるけど」

「ううん、嫌じゃない」


 いわゆる愛称というやつだな。

 あの人間族フェルヴァーと仲良くなったみたいで、嬉しいかも。


「ヴェルクは今までどこに行ってたんだ?」

「さっきの場所まで戻って、あの魔族ジェマ達の遺体を埋めてきたんだよ。あのまま放置しておくのもちょっとどうかと思うしな」

「そう、だったんだ……」


 知らなかった。言ってくれれば手伝いに行ったのに。

 うーん、でも一緒に言ったって非力なぼくじゃあまり役に立てなかったのかもしれない。


 そういえば、兄さんがよく言ってたっけ。


 人は死ぬとその魂は土の精霊王ミッドガルドのもとで眠ったあとに転生するんだって。

 逆に言うなら、身体が残っているうちはいつまで経っても魂は眠りにつくことができなくて、アンデッドになっちゃう可能性もある。


 死んだあとも安らかに眠れないなんて、なんだかかわいそうだ。

 ヴェルクもそう思ったから、あいつらを埋めてあげたのかな。


「じゃあ、俺も洗ってくるな。ついでに魚も釣ってきてやるから、一緒に飯にしようぜ」


 ぼくの背後に置いてあった荷物がヴェルクのものだったらしい。

 その中からタオルとか釣り竿とか色々なものを抱えて、彼は行ってしまった。


 冷えてきた足の先を毛布から出してみる。

 炎の温度が頬に、指先に伝わってくる。


「……あたたかい」


 助けてくれた上に、彼はとても気にかけてくれている。たぶん、この調子なら食事も用意してくれるんだろう。

 なにか手伝いたいけど、魚を獲るのは苦手だし、水はもっと苦手だ。ここはヴェルクに甘えておくことにする。


 人間族フェルヴァー翼族ザナリールに親切にしてくれる種族だって聞いてたけど、正直ここまで思いやり深いとは思っていなかった。


 何の面識もないのに、どうしてヴェルクはぼくに優しくしてくれるんだろう。







 思い悩むことは色々あるけれど、食欲には勝てなかった。

 こんがりと焼かれた川魚のいい匂いがぼくのお腹を刺激する。きゅうぅと鳴ったのを知らないふりして、一気にかぶりついた。


 パリッとした皮の感触のあと、口いっぱいに魚の肉汁が広がっていく。

 すっごくおいしい!

 ただ焼いただけなのに、どうして外で食べる焼き魚ってこんなにおいしいんだろう。


 自分で思っていたよりも、ぼくはお腹がすいてたみたい。

 二匹目に手を出してはぐはぐ食べてたら、ヴェルクに声をあげて笑われた。


「それだけ食べれば、もう大丈夫そうだな」

「だって、安心したら、お腹が空いちゃって」

「いいんじゃね? 腹いっぱい食べたら身体も心も元気になるっていうしさ」


 気分が落ち着いてきたせいか、顔が熱くなってきた。

 ヴェルクは全然食べてないし、ぼく一人でばくばく食べてて、恥ずかしいよ。


 そっと目を上げて見たら、紫色の目と合って、どきりとする。


 ヴェルクは簡素な服に着替えていた。

 コートはさすがに一着しか持ってなかったみたいで、ぼくの服の隣に干してある。


 濡れた長い黒髪を肩に流して、今は穏やかに微笑んでる姿はどこか色っぽい。魔族ジェマ相手に向けていた殺気は、もう一欠片も感じない。


 よく見てみると整った顔立ちをしてるし、美人な魔族ジェマたちと並んでも遜色ないんじゃないかな。

 この辺りでは見ない日に焼けた肌はとても珍しいような気がする。もしかしてどこか違う国から来たのかもしれない。


「ひとつ聞いてもいいか?」

「ん、何だ?」


 ふいに、紫色の瞳が鋭くなる。

 

「ミスト、お前なんで帝国の魔族ジェマに狙われてたんだ?」

「てい、こく……?」


 この辺りで「帝国」という言葉が指すのは、森を抜けた先にある魔族が治める国、イージス帝国しかない。

 皇帝は数えきれないくらいの翼族ザナリール人間族フェルヴァーを食べてきたとても強い魔族ジェマで、国民にも他種族狩りを推奨するほど、冷酷で無慈悲な王様なんだとか。だから、国民のほとんどは食べて強くなった魔族ジェマらしい、けど。


「どうしてあいつらが帝国の魔族ジェマだってわかるんだ?」

「顔を見りゃすぐ分かるさ。あいつら全員、人喰いの呪いにかかっていた。指揮官らしき、あの青いヤツも含めてな。それに」

「それに?」


 首を傾げると、ヴェルクは細い枝を取って、地面にガリガリと描き始める。

 三日月の中に薔薇の花が入っているような図形。どこかで見たような……。


「その青いヤツの着てるローブにはこの紋章の刺繍が入っていた。これは帝国の紋章だ。だからヤツらは帝国の魔族ジェマに間違いねえんだよ。たぶん、城の関係者だろうな」

「ええっ!?」


 帝国の魔族ジェマがわざわざ、田舎者のぼくを!?

 思い返してみればムダに偉そうだったし、あの上から目線の態度は貴族っぽかったかも。


 どうして、なんて、ぼくが聞きたいくらいだ。


 だけど、心当たりがないわけじゃない。

 ほんの少しの勇気を振り絞って、ぼくはそっと打ち明けることにした。


「帝国の魔族ジェマがなんでぼくを狙うのかは、よくわからないけど、もしかしたら兄さんと関係があるのかもしれない」

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