御子屋千央 Ⅲ

 

     四



 玄関で斑目まだらめと別れたわたしは、まゆみくんの機嫌を取り戻すべく、夕暮れの中、帰り道にある仲見世なかみせ通りを、ぶらぶらと歩くことにしました。

 外灯に照らされた、遠く、奥の奥まで続いている、煉瓦造れんがづくりの通りでは、老若男女ろうにゃくなんにょ、いろいろの人々が、あちらへと、こちらへと、それぞれが連れだって歩いています。着物姿のもの、自転車を押して歩くもの、親に玩具おもちゃをねだるもの、カンカン帽をかぶったもの。………そんな穏やかな雑踏ざっとうのなかを、わたしとまゆみくんは歩いてゆきます。


「ずるいです、ずるいです」


 と、まゆみくんはむすっとして、ずうっとふくれていましたが、わたしがお団子を買ってあげると、途端に機嫌を取り戻しました。一本のつもりが三本も四本も、もちもちもちと頬張るので、


もちをもってもちせいすか」


 などという言葉が浮かびました。

 が、きっとこれを彼女に云えば、というか当たり前のことですが、彼女はまた、ぷくりとふくれて、もちになってしまうでしょう。だから言葉にしませんでした。浮かんだことにすら詫びました。こうしてもちでなくなった彼女は、いまではもう、すっかりいつものちんまりとした、可愛らしい妹に戻っていました。怒っているのも可愛いですが、怒らせたいわけではありません。………


「ふふ、ふふふ」


 従妹はわたしのすこし先を歩きながら、しばらく歩いては振り返り、振り返りをし。すこし後ろをゆくわたしを、ふふ、ふふと。その愛らしい、大きな両のひとみで見つけて、とことことこと歩いてゆきます。己が隠れ家へ案内する、人懐っこい猫のように、ちょこちょこ前へと歩いてゆきます。たのしい動作を繰り返します。

 そうしてぶらぶらと、穏やかに雑踏ざっとうをゆくわたしたちは―――わたしは。夕暮れに染まった仲見世なかみせの景色と、人々の賑やかな往来と、店の者どものかけ声と、わたしの前をゆく妹のほほえましさと、周囲を照らす外灯がいとうの、いろいろの事柄に包まれて、満たされて―――日常の中の至福というものを、とてもじっくりと味わっていました。

 そして、思いました。


 ―――こんなにも穏やかな日々があるのに。

 ―――今日もどこかで、あのような。

 ―――不気味ぶきみな、悲惨ひさんな。

 ―――ばらばらが。


 連続れんぞくバラバラ分解事件ぶんかいじけん

 人というものを人ならずの、生きた球体関節人形とする邪法。その身体から、犯人―――傀儡師くぐつし比玖間ひくま凛恩りおんを名乗りしものが、己が「よい」と思った一部分を、きれいさっぱり奪いとる怪奇。―――のこりの、彼にとっては必要のない、どうしようもない我楽多ども―――とされる肉体の、不気味ぶきみに蠢く、悲しき光景。調べれば調べるほど、嫌気の差してくるものども。………

 いったいどうして、このような事柄が、我々の世界にあるのでしょう。いったいどうしてこのような、穏やかで、どうしようもなく微笑ほほえましい、どこまでもってほしい日常の出来事のそばで、奇怪で、奇妙で、そして不気味ぶきみな―――この世に起こりうるはずのない悪夢、猟奇めいた事柄が、現実にありえ続けるのでしょう。

 ―――と。

 わたしがうだうだと、思考の迷路をめぐっていたとき。

 ―――それは生じました。


「あ、雨―――」


 急に雨が降りました。

 従妹いもうとの声でわかりました。

 途端。

 雑踏ざっとうの人々が、おのおの有する、いろいろの傘を、一斉にバサッと差しました。赤、黄、紫、緑、灰、藍―――蛇の目の、縞帯の、渦巻きの、いろいろの。………いろいろの、さまざまの模様が、仲見世なかみせのなかで重なって、混ざり合って、


「オニイサマ」


 と声ばかりで。

 従妹いもうとの姿がみえません。

 お兄様、お兄様と、わたしの姿を探す声が、ざあざあと降る雨の中で、混ざりの中にしいんと響いて、わたしの心を騒がすのに―――傘の中に埋もれている、いろいろの人の、いろいろの顔が、傘や雨のいろいろに阻まれて、まったく判別がつかぬのです。どこに彼女がまぎれているのか、まったくもって、判らぬのです。………


「オニイサマ」


 はやく、はやく探し出して。

 探し出してやらないと―――

 ―――なにか。

 なにかが。

 彼女の、彼女の身に。………………


「キャア」


 ―――声。

 声でした。

 急に静かになりました。

 ざあ、ざあ。

 雨が降って。

 ざわざわざわ。

 傘がゆきます。

 ある、一つ所を避けて、前へ後ろへ行き過ぎます。

 ―――その。

 その中心に。

 まゆみくんは居たのです。


「―――ああ」


 ばらばらに、ばらばらになって。

 酷く、蠢く、肉塊と化して―――


「ああ、ああ」


 彼女の上で、わたしが呻くと、


「あ、ああ、ああ、ああ」


 わたしの下でそれが呻いて、酷くバラバラになった身体を、球体の人形になった身体を、ほうぼうへ、あっちこっちへ、芋虫のように動かして、うねうねと、うごうごと、ただ、ただ、蠕動をしました。崩れ崩れて、崩れたものども―――崩れたその手を蠢かして。その足を、胴体を。彼女の頭を、髪を胸を―――ああ。ああ。


 ああ!

 わたしはまた、やってしまった!


 あれほど可愛らしかった妹というのを、わたしはまた、バラバラにしたのだ! わたし、わたしというものは、この事柄を目撃し―――すでに知っていたはずなのに、それをすべて忘れ去って、また、また、また、彼女を―――ああ!


「ハハハハハ………」


 声でした。

 くぐもった、音でした。


「ハハハハ。ハハハ。ハハハハハハハ。………………」


 気付けば周囲の傘たちは消え、去っていて―――伽藍がらんどう仲見世なかみせには、バラバラになったまゆみ氏と、そしてわたしと、そして、そして―――立っているもの。


「ハハハハハ………」


 比玖間ひくま凛恩りおん

 比玖間ひくま凛恩りおんです。

 傀儡師くぐつしがやってきたのです。

 雨の中、ぼうっと立った傀儡師くぐつしは、あの、黒死ぺすとなる、人々を殺す死の病から、医師たちが己が身を守るべく着けたという、からすようなくちばしの―――烏面ペストマスクをすっぽりつけていました。

 嘴の仮面のしたで、傀儡師くぐつしははははと笑っています。

 死神の持つかまのように、右手で蝙蝠傘こうもりがさをバサッと差し、ぱらぱら音を響かせて、足先までもをすっぽりと包む天幕てんとのような黒天鵞絨くろびろうどの衣装をまとい———不気味ぶきみな、恐るべき使徒しとのような振る舞いで、ぼうっとわたしを見据みすえるのです。

 ははははは、とわらうのです。

 そしてその、左手には―――


「―――ああ」


 わたしは気付いたのです。

 わらう彼の左手に、黒の手袋の指先に―――

 わたしの、わたしのかわいい妹―――

 まゆみというものの両のひとみが、視神経いとに、られていると。………


「あ、ああ、あああ、あ」


 ぐるり、ぐるり。

 ぎろ、ぎろり。

 まゆみのひとみは探しています。

 あおく、あおく。

 むなしく、むなしく。

 わたしのことを。

 おろかなわたしを。―――


「―――やつだ」


 突然。

 斑目まだらめの声が反響しました。

 気付けばわたしの隣には、ぎろりとやつをにらみつける、斑目まだらめとがめが立っていました。斑目まだらめは、長い赤髪を後ろでまとめ、黒の手袋、赤紫の外套こおと羽織はおり、銀の刀をたずさえて、異様なる雰囲気を放っていました。


「追うぞ御子屋みこや


 そうしてわたしは、斑目まだらめの突然のうながしにおうじるまま、彼に手を引っ張られるまま、ははははは、と逃げ去ってゆく、飛び逃げる傀儡師くぐつし比玖間ひくまというものを、ずかずかと追いかけ始めたのです。



 

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