御子屋千央 Ⅱ

 

    三



御子屋みこやくん」


 ハッと目を覚ますと―――わたしは斑目まだらめ屋敷やしきの中で、仰向けに寝転がっておりました。どうやらわたしは知らぬ間に、わたしの座るソファの上で、斑目まだらめくんの膝を枕に、すっかり眠ってしまったようです。


御子屋みこやくん」


 斑目まだらめ君はそんなわたしを、わたしの頭に手を添えて、じいっと、整った顔で、わたしのことを見下ろすのです。

 赤の、長い髪が垂れて、わたしの鼻先をくすぐります。頭の後ろの、彼の太ももの柔らかさが、温かさがわたしを支えます。頭部へ至る腹部の壁が、わたしの身体に降り注ぎます。包みます。包まれて。………こんなにも近くで彼の表情を、顔つきを、いろいろのものをじいっとみたのは、もう、いつぶりでありましょう。そしてこんな、こんなことが、わたしに起こってよいのでしょうか。………


御子屋みこやくん」

「――――――ゆめ?」


 気付けば彼の問いかけに、わたしはこう、答えていました。


「………どうした御子屋みこやくん」

「これは―――これはゆめか? わたしはゆめをみているのか?」

「しっかりしたまへ御子屋みこやくん。ここはきみの、現実だよ」


 そう、私に云います。

 わたしのことを、じいっと見据えて。

 ―――見下ろして。

 ゆめかもしれない。

 やはり、やはり、これはゆめ。

 ゆめのなかの、至福の。………

 と。

 手を伸ばしかけたとき、


「―――御子屋みこやくん」


 にやり、と。


「キミというのはいったいいつまで、枕を吟味するのだね」


 三白眼の瞳でぎろり、と。

 わたしを瞳で睨みつけます。

 あっという間に目が覚めました。


「あ、ああ―――すまない」


 仕方なくわたしは起き上がりました。


「おとぼけもほどほどにしたまへよ」


 はい。

 と返事はしますが―――

 ―――妙でした。

 現実。

 ここは現実。

 斑目まだらめがわたしに云うなら間違いない。

 はずなのですが―――

 本当に、本当にここは。

 わたしの現実、なのでしょうか。

 あの―――さきほどまでのわたしが目撃していたであろう―――あの恐ろしい、妙な、どうしようもない感覚どものいろいろは、たしかにわたしの、ほんとうのわたしの身に降りかかった、恐ろしい出来事の気がするのに―――その、出来事というのが、わたしはまったく判らぬのです。

 思い出せぬのです。

 いったいわたしは、わたくしは。………

 すると、

 ぎい。

 と扉の開く音がして。


「オニイサマ」


 と。

 何度も聞いた、馴染み深い呼びかけが現れました。

 ―――従妹いもうとでした。


「また、ここにいらしたのですね」


 むす、むす、と。

 その、わたしの―――わたしの母方の従妹であるまゆみくんは、かすか氏の横に連れだって、ちょこんとそこに立っていました。まゆみくんとかすか氏は、年齢自体さほど変わらぬであろうに、かすか氏と並ぶ彼女まゆみというのは、歳離れた姉と幼子という風でした。

 どこまでもすらっとした、背高なかすか氏の横へ並べば、わたしの横にいる斑目まだらめくん以外、誰だってそうした印象にもなろう。と、思うのですが、まゆみくんはほんとうにちいさいですので、ほんとうに、ほんとうに―――


「これから伸びるんです」


 わたしの心理を察したように、まゆみくんが云いました。

「さ、はやく帰りましょう」

「しかし―――」

「帰るんです!」

「しかし今日は」


 今日は、と。

 わたしは斑目まだらめを見据えます。


「―――なんだね」


 斑目まだらめが、傍目に云います。

 ―――今日?

 今日。

 ………………………きょう

 今日がいったい、なんなのでしょう。

 きょう。

 ………わかりません。

 斑目まだらめをみます。


「なんだ御子屋みこや。また泊まりか」


 どうもそうらしかったので、


「どうやらそうらしい」と、わたしは彼に云いました。


「おれは別に構わんが―――」


 と。

 彼は云いますが、

 ―――ちら。

 うながします。


「帰ります! 帰るんです!」


 まゆみくんがぷりぷり云います。

 ぐいぐいとまゆみくんが、わたしの腕を引っ張ります。

 ものすごく必死です。

 よっぽどわたしが、ここにいるのが―――斑目まだらめ屋敷やしきにいるのが、彼女はいやなのでしょう。まゆみくんというものは、何故か斑目まだらめというのを、どこまでも毛嫌いしておりますから。わたしとしては、彼女にも仲良くしてほしいのですが、どうにも、うまくゆきません。………

 今日はおとなしく帰りましょう。

 そう、わたしが思い直した―――

 ときのことです。


「キミは健気だなあ。ハッハッハ」


 斑目まだらめがそんな声を出しながら、まゆみくんのちんまりとした、可愛らしい、マガレイトの頭をぽん、としました。


「きあー! うきゃあー!」


 まゆみくんが奇声を上げて、そのままたたたたたたたたと、玄関へたたたた駆け出してゆきます。

 がちゃり。

 ばたん、と。

 扉を閉めて、いなくなります。


「ハッハッハ、ハッハッハ」


 斑目まだらめはずうっと笑っていました。まゆみくんはぷくり、と、ようくふくれたもちみたくなって、しばらく戻らなくなりました。………





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