㐧一幕

御子屋千央 Ⅰ

 

     二



「だから彼女を助けてほしいと」


 そう、キミは云いたいわけだ。

 酷くあきれた表情で、斑目まだらめとがめは云いました。


「―――その通りだよ、斑目まだらめくん」


 わたしは答えました。


「ぼくという愚か者のせいで、彼女は人形にされてしまった。バラバラになってしまったのだ。………ぼくの書く小説の、なにやらかのアイデアになりやしないかと、興味を持ったのがいけなかった。そうしていろいろを調べ続けたせいで………ぼくとは無関係の、無関係の彼女がバラバラに。バラバラに、バラバラに。崩れて崩れて崩れて―――ああ。地面でその手が蠢いて。その足が、胴体が。彼女の頭がひとみが。―――ああ」

「落ち着きたまえ、御子屋みこやくん」

「落ち着いていられると? きみは自分というもののせいで、自分に近しい存在が、バラバラになったことがあるのか。バラバラの生きた肉塊の、彼女とは決して思えぬのものの、生きる様相を見たことがあるのか。―――あるわけがない。だからそんなことを云うのだ。そんな風に見透かした態度で、わたしに。平然と。落ち着けと。気を保てと。………どうすることもできぬのだぞ。バラバラになってしまった彼女は、バラバラになった人たちは、いまも病院のベッドの上にいる。ベッドの上で蠢くしかない。―――ああ、なんと哀れだろう。奪われたパーツが戻らぬ限り、身体が元に戻らぬ限り、自我も記憶も失って、永遠の無我に彷徨さまようのだ。虚無の肉塊に閉じこもるのだ。二度と外へは出られない。外も、中も、曖昧あいまいなまま、二度と、二度と。二度と。………何故だ斑目まだらめ。どうして彼女が、まゆみくんが―――人形にならねばならないのだ。肉塊にならねばならないのだ。………何故だ。何故何故。………わたしがそうなるべきだったのに。わたしという、愚かなる。どうしようもなき作家の一人が、人形となるべきだったのに。わたしが。わたしが。わたくしこそが………ああ」

御子屋みこやくん———キミはいろいろと、物事を悲観しすぎているよ」

「しかし実際に彼女というのは!」

「そもそもキミとまゆみくんは、まったくの無関係じゃないじゃないか。まゆみくんはキミの従妹———つまりは同じ血が流れる親類。かつまた彼女はキミの読者だ。キミの小説を好いている。キミの書くもの、というべきかな。まったく売れない鳴かず飛ばずの、陰鬱いんうつとしたものばかり書く、小説家の―――」

「売れないは余計だ」

「事実じゃないか」

「………」

「とにかく。接点という意味においては充分に可能性はある。が、それはそれだ。あって時期が早まった程度だ。結果論でしかない。どちらにせ彼女というのは、ひとみを気に入られた以上———傀儡師くぐつしほどかれていたろうさ。だのにキミは自ずから、己をマクガフィンなんでもいいものにしようとしている。自らろうとする必要もないのに。心理ばかりを滅入らせてね」


 マクガフィン。

 なんでもいいもの。

 ほんとうに、そうなのでしょうか。

 わたしがわたしであったからこそ、彼女というものがみつかり、ひとみを奪われてしまったワケでは、ほんとうに、ないのでしょうか。

 いまだに頭がモヤモヤします。


「さて―――かすかくん」


 と、ひと段落して。

 斑目まだらめくんは、わたしたちの話す部屋の向こうにいる、この屋敷の使用人たる、霊幽みたまかすか氏に声を掛け、


「今日のお客は御泊おとまりだ。寝床ねどこ支度したくをしておいてくれ」


 わたしのことを伝えました。

 ―――はい。

 と。

 いつもの可愛らしい声がしました。


「いや、しかしわたしは」

「いいから泊まりたまえ。まだ話したいことがある」

「話したいこと?」

「そうだ」

「―――わかった」

「宜しい。では、しばらく」


 立ち上がりわたしに云いました。

 斑目まだらめくんが部屋から出た後、わたしは、かすか氏の持ってきた、とてもよい香りのする紅茶を、じっくりちびちびと愉しみました。テエブルの上をうす暗く照らす、石油ランプの灯りをぼうっとぼうっと眺めました。部屋を取り囲むいろいろの、たくさんの書の背を追いました。


 ―――しとしと、しとしと。


 屋敷の、窓の外から、穏やかな雨音がやってきます。

 耳に伝わります。

 伝わって、「あ」と。ここでようやく、わたしは、ずいぶんと前から雨が降っていたのだなあということに、気が付きました。わたしの衣服の肩のあたりや、わたしの頭や、手や足が、すっかり湿っていましたから。

 ………それだけわたしの動揺というのが、酷いものであったのだろうと、わたしは思い至りました。そして冷静になった、わたしの、穏やかなる心は、あの―――わたしが目撃をした光景に、自然と思いを馳せてゆきます。わたしの目の前でバラバラになった、あの、彼女の姿に。………

 あれは本当に、現実の光景だったのでしょうか。

 あれは。

 あれというのは。………

 なんだか実感がありません。

 動転をしていたせいでしょうが、彼女が―――まゆみくんが、目の前で確かにやられたのに。バラバラに、なったというのに、わたしはそれら光景を、いまだ容認できずにいるのです。他人事の、白昼夢はくちゅうむの、夢見に思えてならないのです。彼女の両目が失われ、彼女であるのに彼女でない、肉塊の蠢きに成り果てるのを、わたしは最後までみたというのに―――愚かなるわたしは、それらが舞台上の、演目の、演者のお芝居であったという風に、なぜか、思えてならないのです。………

 わたしは。

 わたしというのは。………

 すると突然、



生 死 去 来せいしこらい

 棚 頭 傀 儡ほうとうのかいらい

 一 線 断 時いっせんたゆるとき

 落 落 磊 磊らくらくらいらい―――」



 斑目まだらめくんの部屋の中に、彼の声が響きました。

 いったいどこから。

 どこから声がするのでしょう。

 と、思っていると、


「生と死が去ってまた来る。棚から吊った操り人形が、その糸を切るや否や、ガラガラと崩れ落ちるように―――棚の上に生きる人はあくまでも造りものであり、それが生きていると錯覚するのは、つとめてそうみえるからである―――あやつり糸。それがこちらにみえぬ限り、それが切れてしまわぬ限り、それが人か人形か―――見分けることは難しい。………」


 ここまで聞いてわたしはようやく、わたしのすぐ、真後ろに、斑目まだらめくんが立っていると自覚しました。

 いったいいつの間に這入はいったのでしょう。

 いつのまに、いつのまに。………


「ねえ御子屋みこやくん」彼がわたしに問いかけます。

「キミはこの―――糸というのを、己の心だと思うかね。それとも別の、まったく知らぬ間にキミをあざむく、なんらかの―――意図あやつりだと思うかね」


 わたしの肩に手を添えて。

 このようなことを問うのです。

 わたしは考えましたが、


「わからない」


 と。

 彼に云うしかありませんでした。


「そうだろうな」斑目まだらめくんはわらいます。

「コトバが漠然としているからね。糸がみえるだ、みえないだと、それらしいことを色々と語るが、結局は感覚の問題だ。なにをどう知っていて、なにをどう、知らないか。それらいろいろの組み合わせで、なにがみえるかみえないか決まる。こころ意図あやつりになりうるし、意図あやつりこころに変貌する。―――そもそも仮におれというのがなにかに操られていたとして、その、『おれを操るなにか』が、それ自体なににも操られていないとどうして証明することができるのだろう。同じことやもしれぬじゃないか。その先も、その先も。どこまでも繰り返すやしれない。―――どこまでいっても終わらない。どこまでも『らしきこと』ばかりがある。錯覚の、ようなもの。底なしの天界の果てに彷徨さまよまどい―――わからなくなる」


 それらいろいろの言葉に、なにをどう考えればよいか、わたしはさっぱりわかりません。わからぬまま、ぐるぐると。くるくると。わたしはいろいろの思考、コトバというものの目まぐるしさに、すっかり混乱をしておりました。


 そんなわたしに斑目まだらめくんは、


「だから―――だからね御子屋みこや。おれはこれらを踏まえたうえで、改めてキミに話すのだが―――」


 わたしの耳元へ顔を近づけ、



 に、云ったのです。


 ―――なんとうれしい、オコトバでしょう。


 その、コトバと共に。

 わたしの身体は、バラバラ。

 バラバラに解けてゆきました。

 そして溶けて。

 なにかが這い出て。

 糸という、糸が切れて。


 ………………………………………………………


 わたしというものは終わったのです。

 

 

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