㐧一幕
御子屋千央 Ⅰ
二
「だから彼女を助けてほしいと」
そう、キミは云いたいわけだ。
酷く
「―――その通りだよ、
わたしは答えました。
「ぼくという愚か者のせいで、彼女は人形にされてしまった。バラバラになってしまったのだ。………ぼくの書く小説の、なにやらかのアイデアになりやしないかと、興味を持ったのがいけなかった。そうしていろいろを調べ続けたせいで………ぼくとは無関係の、無関係の彼女がバラバラに。バラバラに、バラバラに。崩れて崩れて崩れて―――ああ。地面でその手が蠢いて。その足が、胴体が。彼女の頭が
「落ち着きたまえ、
「落ち着いていられると? きみは自分というもののせいで、自分に近しい存在が、バラバラになったことがあるのか。バラバラの生きた肉塊の、彼女とは決して思えぬのものの、生きる様相を見たことがあるのか。―――あるわけがない。だからそんなことを云うのだ。そんな風に見透かした態度で、わたしに。平然と。落ち着けと。気を保てと。………どうすることもできぬのだぞ。バラバラになってしまった彼女は、バラバラになった人たちは、いまも病院のベッドの上にいる。ベッドの上で蠢くしかない。―――ああ、なんと哀れだろう。奪われたパーツが戻らぬ限り、身体が元に戻らぬ限り、自我も記憶も失って、永遠の無我に
「
「しかし実際に彼女というのは!」
「そもそもキミとまゆみくんは、まったくの無関係じゃないじゃないか。まゆみくんはキミの従妹———つまりは同じ血が流れる親類。かつまた彼女はキミの読者だ。キミの小説を好いている。キミの書くもの、というべきかな。まったく売れない鳴かず飛ばずの、
「売れないは余計だ」
「事実じゃないか」
「………」
「とにかく。接点という意味においては充分に可能性はある。が、それはそれだ。あって時期が早まった程度だ。結果論でしかない。どちらにせ彼女というのは、
マクガフィン。
なんでもいいもの。
ほんとうに、そうなのでしょうか。
わたしがわたしであったからこそ、彼女というものがみつかり、
いまだに頭がモヤモヤします。
「さて―――
と、ひと段落して。
「今日のお客は
わたしのことを伝えました。
―――はい。
と。
いつもの可愛らしい声がしました。
「いや、しかしわたしは」
「いいから泊まりたまえ。まだ話したいことがある」
「話したいこと?」
「そうだ」
「―――わかった」
「宜しい。では、しばらく」
立ち上がりわたしに云いました。
―――しとしと、しとしと。
屋敷の、窓の外から、穏やかな雨音がやってきます。
耳に伝わります。
伝わって、「あ」と。ここでようやく、わたしは、ずいぶんと前から雨が降っていたのだなあということに、気が付きました。わたしの衣服の肩のあたりや、わたしの頭や、手や足が、すっかり湿っていましたから。
………それだけわたしの動揺というのが、酷いものであったのだろうと、わたしは思い至りました。そして冷静になった、わたしの、穏やかなる心は、あの―――わたしが目撃をした光景に、自然と思いを馳せてゆきます。わたしの目の前でバラバラになった、あの、彼女の姿に。………
あれは本当に、現実の光景だったのでしょうか。
あれは。
あれというのは。………
なんだか実感がありません。
動転をしていたせいでしょうが、彼女が―――まゆみくんが、目の前で確かにやられたのに。バラバラに、なったというのに、わたしはそれら光景を、いまだ容認できずにいるのです。他人事の、
わたしは。
わたしというのは。………
すると突然、
「
いったいどこから。
どこから声がするのでしょう。
と、思っていると、
「生と死が去ってまた来る。棚から吊った操り人形が、その糸を切るや否や、ガラガラと崩れ落ちるように―――棚の上に生きる人はあくまでも造りものであり、それが生きていると錯覚するのは、つとめてそうみえるからである―――あやつり糸。それがこちらにみえぬ限り、それが切れてしまわぬ限り、それが人か人形か―――見分けることは難しい。………」
ここまで聞いてわたしはようやく、わたしのすぐ、真後ろに、
いったいいつの間に
いつのまに、いつのまに。………
「ねえ
「キミはこの―――糸というのを、己の心だと思うかね。それとも別の、まったく知らぬ間にキミを
わたしの肩に手を添えて。
このようなことを問うのです。
わたしは考えましたが、
「わからない」
と。
彼に云うしかありませんでした。
「そうだろうな」
「コトバが漠然としているからね。糸がみえるだ、みえないだと、それらしいことを色々と語るが、結局は感覚の問題だ。なにをどう知っていて、なにをどう、知らないか。それらいろいろの組み合わせで、なにがみえるかみえないか決まる。
それらいろいろの言葉に、なにをどう考えればよいか、わたしはさっぱりわかりません。わからぬまま、ぐるぐると。くるくると。わたしはいろいろの思考、コトバというものの目まぐるしさに、すっかり混乱をしておりました。
そんなわたしに
「だから―――だからね
わたしの耳元へ顔を近づけ、
「キミの中にいるおまえはだれだい」
わたくしに、云ったのです。
―――なんとうれしい、オコトバでしょう。
その、コトバと共に。
わたしの身体は、バラバラ。
バラバラに解けてゆきました。
そして溶けて。
なにかが這い出て。
糸という、糸が切れて。
………………………………………………………
わたしというものは終わったのです。
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