御子屋千央 Ⅳ

 

      五



 こうしてわたしと斑目まだらめの二人は、ありとあらゆる場所と世界を、比玖間ひくまを追うことでめぐりました。市街しがいを、ジャングルを、砂漠さばくを、洞窟どうくつを。うみを、戦場せんじょうを、秘境ひきょうなかを―――いろいろの、ゆめのような景色の中を、二人してめぐっていったのです。

 そしてこれら事柄は、まさしくわたしというのが夢見ゆめみた、願望―――理想の、ゆめの事柄でした。わたしという、売れない、しがない小説家が、どこまでもわたしの理想である―――斑目まだらめとがめの横にい、いろいろの謎を追いかけ続ける。めぐって、方々をいって、そして犯人を捕まえる―――正真正銘のゆめなのでした。

 叶わぬゆめでした。

 その―――叶わぬゆめを。

 わたしはいま、叶えていました。

 比玖間ひくま凛恩りおんという、恐るべき事柄を追いながら、わたしというのはそれら理想を、この身に浴び続けていたのです。そしておそらく、この、ゆめを叶えるわたしというのは、二度とそれらを味わえぬでしょう。

 二度と思い出せぬのでしょう。

 これはゆめの事柄なのです。

 きっと、きっと。

 間違いなく。

 ―――だというのに。

 どうして目の前のいろいろが、こんなにも鮮やかなのでしょう。どうしてこれほどまでにも、色も、味も、質感も、五感といういろいろの、わたしの有する認知機能は、わたしに「これは現実げんじつである」と、わたしに知らしめて来るのでしょう。

 ああ、現実げんじつ

 これは現実げんじつ

 ―――そう、あってほしい。

 わたしはもう、願っていました。


「さあ、傀儡師くぐつしよ。―――逃げられぬぞ」


 斑目まだらめの声で自我を戻すと、そこは汽車の中でした。

 客室の、中でした。

 紫色した夕焼けに染まる、がたんごとんと走り続ける、どこからどこへ行くかもわからぬ、行き先不明の客室の中で。わたしと斑目まだらめは、―――そして比玖間ひくまは。窓から差し込む紫の光に、身体を温かく照られていました。六間くらいの距離の間で、互いに互いを見つめていました。

 かたなゆうするあか魔術師まじゅつし

 くろわらつづける傀儡師くぐつし。………

 最後の戦い。

 という様子です。


「よくぞ私を追い詰めた。―――うら若き魔術師まじゅつしよ」


 蝙蝠傘こうもりがさを差したまま、揺れる傀儡師くぐつしが云いました。

 仮面マスク越しに、響く声で。

 低く、低く、夜霧よぎりのように。

 あたりを包み込む声音で。………

 しかし、おかしいのです。

 わたしたちの乗った車両には、さっきまでだれもいなかったのに、いま、その座席には、いろいろの、たくさんの、見覚えのある人々が、じいっと動かず座っています。

 その、異様というのに、気付くのはわたしばかりでした。斑目まだらめも、そして比玖間ひくまも、それら異様の光景を、まったく気にしてなどいませんでした。指を失った若い男、足を失った若い踊り手。うでを、どうを、あたまを、むねを―――

 そしてひとみを。


「――――――」


 ひとみを失ったまゆみでした。

 まゆみの、人形でした。

 まゆみによく似た人形が、座席に座っているのです。


「ぁ………ぅ………」


 呻いていました。

 わたしはたいそう驚いて、斑目まだらめにそれを云おうとしました。―――が、どうやっても、わたしから声は出ることなく、なんの音にもなりません。どうにか、どうにかしようとするほど、喉が狭まってゆくのです。


「さあ、終わりにしようか」斑目まだらめが云います。

「わたしが勝つかおまえが勝つか―――二つにひとつだ」

「くくははは」傀儡師くぐつしが答えて、

「私をここまで追い詰めたとおりに。―――私というのを、倒せるかな」


 傘を持たぬ手をゆらりと上げます。


貴様きさまおうと、いうのならば」

「―――なればこそ」


 電車線柱ぽおるが、架線かせんが、一定のリズムで鳴り響く軌条きじょうが、緊迫をするひたりというのを、ひたひた、ひたひたとはやし立て―――そして。

 そして。

 そして。

 ばらばらにしました。

 斑目まだらめの身体をバラバラにしました。

 負けたのです。


 ―――なぜ。

 ―――なぜ、どうして。

 ―――どうして彼。

 ―――彼が。

 ―――魔術師まじゅつしであるはずの、彼が。

 ―――わたしの、唯一の。

 ―――救いの彼が。………………


 ばらばら。

 婆羅婆羅ばらばらと。

 ほどけて、ほどけて、けだして―――

 彼というのが終わったのです。


「――――――」


 絶望でした。

 さっきまでそこに立っていた、さっきまで一緒に、わたしと一緒にいろいろの国を土地を、世界を、場所を謎を―――追いかけていた彼というのが、傀儡師くぐつしになにをすることもできず、する間もなく、負けたのです。


「ハ、ハハ、ハハハハハ。………………」


 傀儡師くぐつし比玖間ひくまというのは、やはり蝙蝠傘こうもりがさをさすまま、わたしをずうっと見据えていました。

 わたしは彼に、なにかを。

 云ってやりたく思いました。

 が。

 いや。

 そもそもわたし。


 ―――わたしというのは。


夢見ゆめみの世界はいかがかな。わたしの可愛いお客さま人質サマ


 と、云ったかと思うと。

 わたしの視界はぐるぐるになって、そしてバラバラになりました。

 ばらばらに、ばらばらに―――

 あのときと、同じように。


 ―――いつもこうなのです。


 わたしはこれらの最後になって、これら事柄がゆめであると、ゆめだと理解をするのですが、どうしても、これらのことを、ゆめだと理解できぬのです。

 何回ばらばらになったのか。

 何回ゆめを叶えたのか。

 わたしはもう、わかりません。

 わからぬままに過ごすのです。

 操りの中に永遠に。

 永遠に、永遠に―――

 彼が助けてくれぬ限り――――――

 そして、最後の私は―――頭だけの、さかさまになったわたしは、わたしの周囲のいろいろが、ばらばらになってゆくのを見ました。先ほどまでのいろいろの世界が、書き割りになって流れました。紫の夕日は照明でした。電車はハリボテの板どもでした。屋根がありませんでした。椅子いすも、窓の硝子がらすも。なにもかもがうそでした。うそでした。うそでした。そして最後の、意識の途絶える前のわたしは―――天井のない電車の、その、さらに上の、うえのうえのうえのほうで、いろいろの照明が組まれているのと、無数の糸を見たのです。―――そして。そしてそのさらにそのうえに。わたしは、わたしというのは。………………


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