第3話
「細い腕だな。小枝みたいだ」
フランツのひ弱さは、ディートリヒにとっては看過しがたい水準に達しているようだった。今日も、年長の少年──もう青年と呼んだほうが良いか──は、彼の腕を掴んで首を捻っている。同じ訓練をしていてこうも体格が違うのが、すべてに優れたディートリヒには信じられないらしい。
「よっぽど好き嫌いが激しいのか?」
「大丈夫。多分、体質なんだ。放っておいてよ」
必死に反駁するフランツの喉に、濃い甘味が絡んでいる。例によって
「菓子ばかり食べてるんじゃないよな? 家では何を食べてるんだ?」
あの日から、ディートリヒは何度もフランツに
「別に、普通だよ」
ディートリヒの指は長く逞しい。フランツの華奢な手首を優に一周して枷のように捉えて離さない。そればかりか、彼の指はフランツの腕や胸に触れてその頼りなさを確かめようとする。赤く染まってしまう肌、熱を持ってしまう身体を気付かれまいと、抗うだけ非力を突き付けられるのを承知で、フランツは必死に追及を逃れようとした。
「班員が倒れたら俺が困るんだよ」
狼狽えるフランツとは裏腹に、ディートリヒの声は平静だった。表情もきっとそうだろう。そうだ、ディートリヒは班の落ちこぼれを気に懸けているだけだ。きっと、彼自身の評価にも繋がることだから。ディートリヒは、訓練で疲弊したフランツの心臓をさらに痛ませて苛め抜く。
彼の目に浮かぶ真摯の色は、フランツの信じられないくらいの細さ弱さを本当に案じているのだろうか。それとも、何か探ろうとしている? いずれにしても、彼は、怖い。ディートリヒの真剣な目はフランツを怯えさせ萎縮させた。
「ちゃんとやるから。本当に」
訓練終わりに帰る準備をしながら、ユーゲントの仲間たちがちらちらと彼らを窺っているのが目の端に見えてしまう。嘲りに歪んだ唇が囁き合う言葉が聞こえてしまう。
でも、フランツは男だ。お姫様のように守られる必要はない。フランツなりに、隊列の隅で不格好に足掻くから、それで見逃して欲しい。彼は、ディートリヒが心を砕くような存在ではない。まして、触れるだなんて。
「ご両親は働いてるよな。ちゃんと食事は出してもらってるんだよな? 栄養学の知識がないとか?」
「えっと、親、は──」
ディートリヒが手を離したのは、逃げる好機のはずだった。低い声で問われたのにも、笑って首を振れば良いはずだった。フランツが細いのは体質であるはずで、別に食うに困っている訳ではない。
ただ──もう少しで口から零れ落ちそうだったのだ。家が変なんです。知らない連中がうろついていて、親もそれを見逃している。なのに僕には何も教えてくれない。ディートリヒになら打ち明けても良いかもしれないと、訳もなく縋りつきそうになってしまったのだ。彼は他人で、フランツの寄る辺になどなってくれないのだろうに。そもそも、信じ切って頼り切ってはいけないのに。
不自然に作ってしまった数秒の間は、ディートリヒに悪い想像をさせたに違いなかった。意志の強さを窺わせる、男らしい眉がぎゅっと寄せられ、逞しい手がフランツの肩を痛いほど掴む。
「……家に行っても良いか? ご両親と話がしたい。お前ひとりの話じゃないぞ。国家の未来を担う有望な若者が──」
「い、嫌だ!」
渾身の力で暴れたとはいえ、フランツの手を振りほどくことができたのは、奇跡といって良かっただろう。恐怖が、彼自身にも信じがたいほどの力を発揮させてくれた。あるいは、ディートリヒはそれほどフランツに触れるのに慎重になっていたのかもしれない。迂闊に力を籠めれば壊れてしまう、ガラス細工ででもあるかのように。そうでなければ──
「僕は
叫ぶなり、フランツは走り出した。家ではなく、ディートリヒのいないどこかへ。彼の緑の目が追っているのを感じながらでは、家に帰る気にはなれなかった。
彼は犯してはならない失敗を犯した。これだけは避けなければならなかったのに。ディートリヒは、彼の両親に対して疑念と悪意を持っただろう。息子にまともなものを食わせない親だと。彼が上手く説明できなかったからそう思わせてしまったのだ。いや、ただの誤解ならすぐに解けるからまだ良かった。
ディートリヒが、フランツの家を訪ねなければ、などと考えたらどうしよう。そして、その時に
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