第6話

 教室のドアがノックされ、振り向いたときにはもう開かれていた。


「如月先生、いらっしゃいますか?」

「俺が如月だ。ぜひ春夫先生と呼んでくれ」


 現れたのは拓斗だった。

 そういえば先生の所に先に行くと言っていた。

 しかしずっと部室にいたので、職員室や担当のクラスに行ってもいなかったのだろう。

 先生は開口一番、俺も以前言われた『春夫先生』呼びを促す。

 誰もその呼び方をしないので、空気を読んで俺も単に先生と呼んでいる。

 凛さんはイヤホンをしているせいか見向きもせず、他の部員も拓斗を一瞥した後、凛さんの絵に視線が戻る。


「よう拓斗。待ってたぞ」

「なんだお前ら、知り合いか?」

「辻浦拓斗です。陽介とは同じクラスなんですよ。しかも小学校から同じです」

「幼馴染ってやつか! 漫画でしか見たことなかったけど実在したんだな…… それで、今日はどうしたんだ?」


 教室に入った拓斗は、俺と先生が座っている机に歩みを進める。

 そして——


「俺もこの部に入りたいです」

「自分からここに来たやつなんて初めてだ。物好きなんだな。理由を聞いてもいいか?」

「陽介もいるし少し恥ずかしいけど…… 大した話じゃないですよ」

「俺邪魔か? 席外そうか?」


 いつになく真剣な面持ちの拓斗。

 邪魔になるのならこいつのためにも離れてやるべきかと想い提案する。


「いや構わないよ。ただこっぱずかしいだけだから」

「それじゃあ頼む。なんで辻浦はこの部に入りたいんだ」


 凛さんの絵を見ているちひろ先輩たちも、入部という話題なので様子をうかがっているようだ。

 こんな中で俺に聞かれると恥ずかしい話をしようと言うのだから複雑な気分になる。


「小一のとき俺は陽介と出逢いました。当時はなんとなく気が合うから一緒にいたけど、今はもうかけがえのない存在です」

「……俺やっぱ外行ってるわ」

「おい東条。ここにいよう、な?」


 席を立とうとしたら腕を掴まれる。先生にっこり、いや、これはにやにやだ。

 こんな流れ弾を食らうなら最初に退室しておくべきだったのかもしれない。

 視界の端に映るちひろ先輩の口角も少し上がって見える。


「でも俺、陽介と一緒にいるだけで何か一緒にやったことないなって気づいたんです。今後それができる機会は多分どんどん減っていきますよね?」

「まあそうだろうな。同じ大学に入れるとも限らない。入れたとしても、職はほぼ確実に違うだろうよ。時間に融通を利かせられるのは社会に出る前までだ。それに、気づいた今やらなかったら今後そういう風にはならないだろうよ」

「だから今——」

「今やるのが正解だ。おうけい。これからよろしくな、辻浦拓斗」


 確かに俺と拓斗は、行動を共にすることが多くても他に何かすることは本当に稀だった。

 気の合う親友、それ以上でも以下でもなく、ただそれだけ。

 しかし——いやだからこそ、俺らは案外それだけで十二分に満たされていた。

 拓斗はそこに何かを求めたのだろう。

 先生にもそれは伝わったのか、大きな手を差し出し握手を求めた。

 応じる拓斗、晴れた良い笑顔だった。


「んでお前、今度は何に影響されたんだ?」

「そりゃあもう、この前読んだ漫画だよ。あれは傑作だったなぁ。俺まで悟った気になるわ」


 こいつはそういう奴だ。結構他から影響を受けやすい。

 ただそれだけの理由で部活に入ろうってんだから、すごい親友を持ったと思う。


「なんに影響されたにせよ、新しいことを考えられるようになったってのは成長の一つだ。三年間大切にしろよ」

「はい、ありがとうございます」

「青春じゃねえかマブダチよぉ。くぅ~幼馴染で親友ってのは羨ましい。よろしくな拓斗‼」


 拓斗の肩に腕を回すのは、先ほどまで遠目でチラチラ見ていたちひろ先輩だ。


「拓斗君よろしくね! ていうかちひー、私っていう幼馴染で親友がいるじゃない。もっと喜びなさいよ」

「はあ、わかってないな加奈は…… お前はどっちかって言うと妹みたいなもんだ」

「なーにが妹だ、雷鳴ってるとすーぐ電話かけてくるくせに‼」

「で、でまかせ言ってんじゃねぇ‼ さっき悠先輩が絵描けないって聞いたとき泣きそうになってただろ! いいこいいこしてやっただろッ‼」


 ……この人たちは何を言い争っているのだろうか。

 しかしどうやら先輩たちも拓斗の入部には好意的なようだ。

 一安心したところで拓斗にも紅茶を入れてやる。


「いまさらだけど凛ちゃんいるじゃん! おーい凛ちゃん」

「ちゃん付けしないでください、本当に……」


 丁度絵の構想が一段落したのか、イヤホンを取る凛さん。

 それに気づいた拓斗は手を高く上げて振る。


「そんな端っこで何してんの?」

「音楽用にイラストを描いていました。そういえば聞く前に始めてしまいましたけど、何かイメージしているイラストの構図とかありますか? まだ私の感覚しか取り入れていないので、ぜひ先輩方の意見もお聞かせください」


 言って、ざっくりと描かれた絵を教室の真ん中にある机に置く。

 皆が集まり、そして皆、同様に言葉を失う。

 まだ仮の構図にさっと色を乗せただけだ。

 なのに、それなのに——悠先輩の絵を初めて見た時のような戦慄が走った。

 端的に言えば、考えたことどころか、見たことも無いような構図だった。

 歌詞の根幹部分もそれにしっかりと取り入れられているのが素人である俺にもよく分かった。

 アップテンポな曲調と、力強く鮮やかな瞳のマッチは〝最高だ〟としか形容のしようがない。


 ——そしてどこか、悠先輩の絵に似ている気がした。


「す、すげぇ…… まじかよ」


 静寂の後、まず声を発したのは先生だった。


「でかした高梨ィ! やればできるじゃないか!」


 あんたは凛さんの何をみてきたんだ。出会ってまだ一月も経ってないだろうに。


「これほど上手だとは思いませんでした」


 燈火先輩も、歌った加奈先輩も、状況が呑み込めていない拓斗も、皆が唸る出来だった。


「……だめです。これは先輩たちの曲です。イラストのアイデアは先輩たちが出すべきです。私一人で描いてしまっては全く意味がありません」

「なんで? すごく綺麗なんだし、私これがいいな」

「ダメです、それじゃあ。曲以外すべて丸投げなのは、良くないです。イラストも、動画編集も、その他も、全部含めて『作品』なんです、先輩方の」


 正直、これ以上のアイデアが今後どのくらい出るかはわからない。

 早い完成を目指しているのならもう作業を進めるべきなのだろう。

 でも凛さんはそれを良しとしなかった。

 それは凛さんの、作品の在り方についての意見なのだろう。


「——『最後の一筆まで拘れ』 私はそう教わりました。これは何もイラストに限ったことじゃないと私は思います」

「……わかった、俺が悪かった。もっとよく考えてみるよ。加奈、それでいいな?」

「うん、いつになるか分からないけど良いの持ってくるよ!」


 ちひろ先輩も加奈先輩も、凛さんの言葉を了承する。

 二人には決意めいた何かが生まれた気がした。

 ——しかしそんな中、言葉にはしないが複雑な表情を浮かべる燈火先輩には誰も気づかなかった。

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届け、遥か彼方のそのまた先へ あさぎ @Asagi-625

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