ごめん……無理だ!

⇒ごめん  18:05

⇒仕事が終わらない  18:05

⇒今日は行けないかも  18:06


 その後の予定変更に期待を込めてアプリを開くこと十数回目の風呂上がり。時刻は、十一時三十分。

 追加のメッセージどころかスタンプ一つも押されぬ様子に、就業後から続く溜め息が帰宅した部屋にこれでもかと積もっていく。


 付き合い始めて丁度半年。

 お約束通りに三度目のデートでキスを交わし、三ヶ月目に突入した頃に漸く結ばれてそろそろ同棲先を探そうかと持ち掛けられるという、正に幸せの絶頂にある今、この時に。

 何故に残業なんぞ存在するのか!

 半年記念である今日をまったりと祝おうとディナーを予約し、初デートの場所を巡り歩いて思い出に浸りながらこれからの事を話し合うつもりでいた。

 のに、のに、のに〜〜〜っっっ!!

「長々し夜を、ひとりかも寝む。ひたぶるにうら悲し……ってね。あははのはー」

 雅な台詞を並べても笑い飛ばしてくれるあなたはここに在らず。独り寂しく動画を漁り、ポツリポツリと独り言を洩らして酒を煽り紛らわすも、募るのはあなたへの想いだけ。

 ここ二週間、声を聞かぬだけでこの有り様とは。

 愛は人を強くもさせ、弱くもする、諸刃の剣だ。

「はぁ……会いたい」

 全てに飽きてソファに突っ伏して目を閉じる。

 汗を流して作業に没頭するあなたを想像し、胸中で励ましながらも心配で落ち着かない複雑な感情を渦巻かせ、徐々に意識を薄れさせていく。


「……よ…起き……メじゃないか…」

 聞き覚えのある堅苦しげな口調。

「ほら……ゼひく……ベッドへ…」

 嘘でしょう、会いに来てくれたんだ。

「聞いて……起きなさいって…」

 夢の中だとしても嬉しい、ありがとう。

「猛烈に汗臭いから、抱きつかないで欲しいね」

 すんすん、確かに普段よりも濃厚なかぐわしき香り。

「こら、寝ぼけてないで目を覚ます」

 べりっと引き剥がされ、ぺしっとデコピン。

 おや、夢にしてはリアルな嗅覚と痛覚。

「紛れもない現実だよ、お姫様」

「確かに……本物だ」

 腕を伸ばして抱き寄せる。

 今度は逃げずに抱き返してくれた。

 更にきゅっと抱きしめる。

「会いたかったよー、ヨシズミ」

「寂しい思いをさせてしまって、済まない。明日は休みだから、今日の埋め合わせをさせてよ」

 そんな贅沢なんて求めない。

 ただ傍にあなたが居るだけで十分、だから。

「明日は昼まで寝て、ダラダラ過ごそう。疲れを取るのが先決だよ」

「ディナーも巡礼も、しないのかい?」

「それは後日改めて。さて、お風呂に入るでしょ? 石鹸が滲みるだろうから、私が洗ってあげる」

 そっと、ヨシズミの手をとる。

 つい先刻まで追われたイベント装花の作業で出来た小さな傷がそこかしこに見られる。

 どうしても手荒れが免れぬ生花業。店頭販売のみならず大型の装花を受注すれば扱う生花自体も大きくなり、その身に受ける傷の範囲も増えていく。

 乙女の柔肌に刻まれる痕を見るたびに痛々しくて胸が苦しくなる。

 当の本人は気にも留めないが。

「ありがとう。では、お言葉に甘える事にするよ」

「ふふふ、任せて。髪も顔も身体も、耳の裏からくばぁと広げたあんな所までくまなく丁寧に優しく洗うからね。ちゅっ」

 どさくさ紛れにキスをする。

「ドン引く卑猥な言葉に不意打ちとは、困ったものだ」

「ヤラシイ事を言ったつもりは無いのに、何を想像してるのかなぁ、うふふ。因みにキスは、お帰りの挨拶で、これは来てくれた感謝の、むちゅちゅー」

 ちゅくっと互いの舌が絡む。

「先にお風呂に入りたいんだけど、許してはもらえないようだね」

 どうせだから、もうひと汗かいてから行けば良いと思うのはワガママでしかないのは分かってる。

 が……どうしても身が保ちそうになく、今すぐ此処で脱がしてトロトロ顔を拝みたい欲に駆られるのは致し方ないと汲んでほしい。

「無理強いはしないから、ダメなら言ってよね」

 確認を取りはするが有無を言わさぬのは明白で、道理に反する言動に最早笑うしかないのだが。

「疲れを忘れるほどに溺れさせてくれるなら、願ったり叶ったりだよ」

 と、キリッとした目元を緩ませて言ったあと、せがむように息苦しく唇を重ね続けられたら……。


 これはもう、思い切り抱き倒すしかないよね?


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【GL】悪役令嬢も使わない湯沸かしポットのやけどにご用心 Shino★eno @SHINOENO

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