19 束の間の休息

 二日後。


「に゛ゃああああああああああああ!?」


 二日前から時計を修復をしているシルヴィアは、あまりにも集中していたのでいきなりの絶叫に危うくドライバーを落としそうになる。

 ぱしっと落としかけていたドライバーを左手で掴んでほっとして、隣に目を向ける。

 そこには驚愕と絶望が綯い交ぜになっている表情をしたユリスがいた。


「やっと起きた。丸一週間は意識失ってたわよ、あなた」

「そんなことより、シルヴィの左目! なんで眼帯してるの!?」


 今のシルヴィアの左目には、白い布の眼帯が着けられている。

 傷自体は魔術を使って完治しているのでもう包帯は外しているが、目自体を外している状態なのでこうして保護しておかないといけないのだ。

 ハルターや事情説明を受けたナース達は知っているが、ついさっきまで意識を失っていたユリスは、そんなことを一切知らない。


「それに、なんでそんな状態で時計いじりしているの!? 女の子なら、もっと絶望するべきところだと思うよ!?」

「落ち着いてユリス。一からちゃんと説明するから」

「目が覚めたらボクの親友が隻眼になってて落ち着けるわけないでしょぉおおおおおおおおお!?」


 結局騒ぎを聞きつけたナースがやってきて、治療院であることとユリス自身が怪我人扱いなので、こってりと絞られた。

 その後で、二日前にした説明と同じ内容のことをユリスに話す。


「じゃあ、それが今まで秘密にしてきてた遺産の時計なんだね」

「そ。今まで秘密にしてたのも、その効果を知れば納得行くでしょう?」

「うん」


 果たして本当に理解して納得しているのか怪しいが、魔術や戦闘に関しての飲み込みは早いので、そうであると信じる。


「今いじっているのは修理するためなんだよね」

「そうね」

「それじゃあさ、もしこのタイミングでシルヴィの叔父さんがきたら、結構面倒なことになるんじゃない?」

「それについては心配しなくていいわ。学院長とわたしの同級生以外、面会謝絶ってことにしてるから」


 ユリスの不安は、修理を始めた辺りからシルヴィアも感じていた。

 シルヴィアとその時計を狙っている、あのジャクソンのことだ。大怪我をして入院したという報せを聞けば、仕事をほっぽり出しても面会にくることだろう。

 それを予想したシルヴィアは、面倒なことになる前にナースを呼んで他の治療院の職員達にも通達。

 その甲斐あって、修理を開始して一時間後に面会しにきたらしいのだが、一切通さずに突っ撥ねてくれた。

 治療院では権力とかそういうのは一切効かないようになっているので、それを利用した撃退方法だ。


「ちなみにシルヴィは何日くらい意識失ってたって?」

「五日だそうよ。道理で目が覚めた時、やたらと怠いと思った。お腹も凄く空いてたし」


 五日間昏睡状態だったことと、怪我人であることからその日一日の食事は全て重湯だった。

 ちゃんと出汁を取っていたのが数少ない利点だったかもしれない。

 当然シルヴィアよりも意識を失っていたユリスは、重湯しか食べられない。今もスプーンで掬って、ゆっくりと食べている。


「それにしても時間干渉魔術、かぁ。それを持っているのがシルヴィでよかったよ」

「なんでよ」

「だって男子が持ってたら、絶対変なのに使ってたかもしれないじゃん。下着泥棒とか、セクハラとか」

「その都度膨大な魔力を使うことになるんだから、もしそういった願望の持ち主でも割りに合わなさ過ぎて使わないと思うけど」


 一秒起動させるだけで、現時点の魔力の八分の一の魔力が消費される。もっと鍛錬して魔力量が増えれば十数秒、果てには数分間の起動ができるようになるかもしれない。

 しかし千日の訓練を『鍛』とし、万日の訓練を『錬』とするとあるように、もし数分間の起動をしたいのであれば最低でも数年はかかりそうだ。


「で、今は何してるの?」

「歯車に術式刻んでるのよ。いくつか壊されちゃったから、物凄い時間かかる。……あんの悪魔、今度会ったら覚えておきなさいよ」


 壊れた歯車の数は九つ。二日間かけて術式を刻むことができた数は、僅か一つ。

 最低でも二、三日は入らないようにといったが、これはもっと長引きそうだと苦笑する。


「一応これはわたしの一族の秘術でもあるから、例えユリスでも作業を見せることはできないわ。だからわたしがいいって言うまで、絶対にこっちにこないで」

「どれくらいかかりそう?」

「二日かけてまだ一つだから、最低でもあと三日四日、長引いたら一週間以上はかかるわね。合間合間に休憩入れるから一切関わるなとは言わないけど、できればあまり話しかけてこないでね」


 そう言い、ドライバーをしっかりと握り直して式を刻み終えた一個の歯車を、落としたらそれだけで無くしてしまいそうな小さなネジで止める。

 さっきドライバーと落としそうになった時、まだネジを締めていなかったのでそのことに安堵する。



 それから更に三日後、ようやく半数以上の修復を終えて、残りの歯車が二つとなる。


「うぁぁぁ……」


 少しでも力をかけ過ぎると歯車自体が折れてしまう上に、歯車に式を刻む特殊な道具も、髪の毛よりも細い針のようなものがありそれが壊れたら何もできなくなってしまうため、めちゃくちゃ神経を使う。

 この三日間で完全に疲弊しきってしまったシルヴィアは、若干青い顔でぼすっとベッドに倒れる。


「そんなに疲れるの?」


 体調がすっかり回復し、甘いものが食べたいと言ってナースに持ってきてもらった板チョコを、ぽりぽりと美味しそうに食べているユリスが聞く。


「疲れるわよ。ちょっとでも手元が狂ったら歯車自体を破棄して、一から刻み直しなんだもの。コツと感覚を掴んできたからペースは速くなってきたからいいけど、緊張感が半端じゃないわ……。わたしにも少しそれ頂戴」


 ユリスから板チョコを少し分けてもらい、糖分を補給する。脳が疲れている時に摂取する糖分は、特別甘くて美味しく感じる。

 時計自体には、休憩を取るときに蓋をしてあるため内部は見えなくなっており、今はシルヴィアの右目と同じ青い虹彩の眼球となっている。


「気になったけど、それって義眼なんだよね。なのになんで戦場でシルヴィも性格ががらっと変わる時、右目と一緒に赤くなるの?」


 素朴な質問だった。

 ユリスにもベリアルのことやアモンのことは話していないので、赤くなる原理を全く分かっていない。というか、それらの存在について知って欲しくない。

 だけども、シルヴィアの目の色が変わること自体は知っているので、義眼である左目がなんで変色するのかが気になったようだ。


「んー、わたしも実はよく分かっていないんだけど、仮説は立ててあるわ。わたしの性格と目の色が精神状態によって変化するとして、これは疑似的な神経で繋がっている。魔術道具でもあるから魔力の影響を受けて、色が変化しているんじゃないかなって。ほら、精神状態によって魔術自体の威力が変動することあるじゃない? それと同じことが、この義眼にも起きてるんじゃないかしら」


 本当はベリアルが表に出てきて体の支配権を得ているのだが、実は変色理由は判明していない。

 ベリアル自身は知っているのではないかと思ったが、当の本人が理由を忘れてしまっているため、真実を知る者は現時点でいない。

 いるとしたらアモンだが、果たして向こうも知っているかは不明だ。


「なるほど。それなら辻褄が合うね。魔力は精神エネルギーだし、その状態に応じて魔術の威力が変わるのは解明されてるし」

「過去には薬物を使って気分を高揚させるか精神状態を暴走させて、強引に魔術の威力を高めようとした実験もあったらしいよ。危険性が高過ぎてお蔵入りしたらしいけど」


 薬物による気分向上や精神暴走による、魔術威力の上昇。一時その研究が大いに流行ったが、危険過ぎるからと国から禁止令が出されている。


「時間干渉魔術の研究は良くて、その薬物のやつの研究実験はダメって、ちょっとあやふやだね。どう考えても、前者の方が危険だもん」

「許可を取るのに当たって、他人を使って決っして実験しないこと、その詳細を漏らしてはいけないことって条件を出したから許されているのよ。詳細の方は、細かな起動方法から魔術式のことだね。どの道レイフォード以外に起動できない上に、専用知識がないと解読すらできないから、見せたところで分からないんだけどね。……お」


 つらつらと話していると、義眼からかちりと歯車が噛み合う音が聞こえた。

 蓋を開けて中を見てみると、足りないパーツを別の歯車が補うように移動し、噛み合って動いていた。きりきりと小さく音を鳴らし、歯車が回っている。

 蓋を閉めて表面を綺麗に拭き、眼帯を外して早速義眼を空洞となっている左目に嵌め込む。


「ぎっ!?」


 義眼が入ったことで擬似神経が自動的に接続され、突き抜けるような激痛が頭を走る。

 脂汗を浮かべながらも痛みに堪え、魔力を流して調整する。


「……うーん、やっぱパーツが足りてないからぼやけるなぁ」


 右目を片手で塞いで左目だけで見てみると、視界が右に比べてぼやけている。これはまだ完全に修理できていない証拠なので、仕方がない。

 ともあれ、再び両目でものを見ることができるので、両目があることのありがたみを改めて噛み締める。


「だ、大丈夫? 凄く痛そうだったけど……」


 心配そうにユリスが声をかける。


「神経繋げる時が痛いのよ。言い換えればその時だけ痛いから、我慢すれば問題ない。長年この痛みを感じてるけど、慣れる気配がないわ」


 むしろ慣れて欲しくないのだが。


「まだ魔術の行使はできないけど、視界的には問題なし。戦いに出るわけでもないし、支障は特になし。今日の残りはゆっくり休むとしますか」


 色々と試しながら確認し、今日の残りの時間はゆっくりすることになった。

 胃に優しい重湯生活から脱却し、今度は栄養重視の病院食生活となった二人。

 味付けが少し薄めな昼食を食べた後、体が鈍って仕方ないので院内にあるジムに向かおうとした。

 が、その途中でナースに捕まって却下された。そのまま揃って病室に連行され、勝手に抜け出さないように監視される流れになった。


「少しの運動くらいいいじゃないですか」

「ダメです。先生の許可がない限り、運動は厳禁ですので」

「体が鈍ってしまいます」

「それでもです」


 ぶーっと二人揃ってぶーたれる。結局運動の許可は下りず、ならせめて散歩程度はさせて欲しいと食い下がり、それだけは許された。

 散歩だけならと許された二人は、ワンピースタイプの治療服のまま外に出て、治療院の広い敷地内をてくてく歩く。


『医者っていうのは、どの時代でも頑固者はいるみたいね。もう二人とも治っているというのに』


 日当たりのいいベンチに腰をかけて足をブラブラさせていると、ベリアルが言う。


(そういえば、まだお礼を言ってなかったわね。あの時あの指示を出してくれてありがとう。そして、街の人達を守ってくれてありがとう)

『お礼を言われるようなことは何も。ユリスはあなたの親友だから守るように指示を出したけど、街の人達を守ったのはアモンをこの手で始末したいが故の、戦闘での副産物による結果でしかない。それどころか、あなたの体をボロボロにして取り逃がしてしまった。むしろ怒っていいくらいよ』


 ベリアルはあの時の戦闘で、アモンを仕留めるつもりでいた。でもできなかった。予想以上に、アモンが強くなっていた。

 まだ、どうして復活したのかの理由が分かっていない。アモン本人も、なんで復活しているのはを分かっていない様子だった。

 仮に再び対峙したとしても、理由を聞き出すことは不可能だろう。


『アモンが復活した理由。それが分からない以上、無闇に悪魔だからと殺しに行くことはできない』

(それはわたしも同意する。無闇に殺して、強化されて復活でもされたら堪ったものじゃないわ)


 意識は共有されているため、あの時聞こえた死者の悲鳴を思い出して顔を歪める。

 じわりじわりと染み込むように聞こえてきた悲鳴。特に、殺してと懇願する悲鳴は、想像を絶した。


「なんか話してよシルヴィー!」

「うわぁ!? ちょ、こら! どこ触ってんのよ!?」


 ベリアルとの会話に意識を向け過ぎていたようで、ユリスが飛びついて来た。いや、飛びついて来たと言うより胸を揉んで来た。

 むにむにとシルヴィアの豊満な胸が、ユリスの手が動くたびに形を柔軟に変える。


「さっきからずーっと黙ってて、ボク少し寂しいんだよ? 部屋にいる時も義眼の修復に集中しっぱなしで、全然構ってくれないし」

「だからっていきなり胸揉むのやめてもらえるかしら!? ひゃっ!? わ、分かった! 分かったから離して!」


 悲鳴のように声をあげて、ユリスを引き剥がす。ついでにちょっと距離を取りながら、胸の前で腕を交差させてガードする。


「シルヴィ、えっちぃくて可愛い!」


 それに少し調子に乗ったユリスが、がばっと飛びつく。

 調子に乗り過ぎたユリスは、ごちんと拳骨を一発脳天に食らうことになった。




 四日後。二日前にやっとこ時計の修理が終わり、左右ともにクリアな視界を取り戻し、魔術道具としてもしっかりと起動するのを確認。

 体調も問題なしと太鼓判を押してもらい、ジムで微妙に失っていた体力を取り戻し、微妙に鈍っていた体は中庭でユリスと組手をして慣らした。


 その途中で、しっかりと義眼の時間干渉魔術が使えるかの確認として、時計の能力を解放。

 時間が引き伸ばされる感覚、ユリスの動きがやけにスローに見えた。

 満タンに魔力を溜め込んでおいたので、自前の魔力と合計して二十秒程度起動していられるが無駄遣いしないように、素早くユリスの背後に回って羽交い締めにする。


「わわっ! いつの間にか捕まってる!」

「問題なく起動っと。体の鈍りも解消して来たし、あとは訓練して感覚を戻すだけだね」


 ぱっと離し、そう分析する。

 鈍りは無くなった。少し減っていた体力も元通りになり、魔術の行使にもなんら問題はない。

 強いて言うなら微妙に感覚にズレが生じていることだが、そこは実戦訓練で調整して戻すしかない。


「ボクもばっちし! あの時襲撃して来たあの女の子、次会ったらボコる!」

「キャラぶれてるわよ」


 暗い笑みを浮かべながら握り拳を作り、それを掲げながら宣言する。

 入院中に何があったのかの大雑把な説明を済ませており、ユリスが正気を失いかけた理由はあの炎で、それを出したのは襲撃者である少女だと知った。

 その時のユリスの笑みは凄まじく、意気込みも凄かった。おかげで本来の彼女なら絶対に使わないような、少々乱暴な言葉を使うようなことになっている。


 制服に身を包み、面倒を見てくれたナースとドクター達に礼を述べ、深々と頭を下げてから学院に戻る。

 治療院と学院はすぐに戻れるようにという関係で結構近くにあり、十分と少し歩いただけで学院の敷地内に足を踏み入れる。

 意識を失っていた五日間と、取り戻してからの九日間。合計できっかり二週間。

 二人揃って約一週間意識を失っていたので、実感としては一週間ぶりだが時間的にいえば二週間ぶりだ。

 当然何かが変わっているわけではなく、いつも通りの日常の風景がそこにあった。


「やー、帰ってこれたねぇ」

「時間では二週間ぶり。でもわたしたちの感覚では一週間ぶり。色んな人たちに随分心配かけちゃっただろうし、とりあえず先に教官達のところに行こっか」

「あーい」


 シルヴィアの隣に立って、ユリスは一緒に校舎内に入っていく。

 一人一人見知った教官のところに行き、心配と迷惑をかけたことを謝罪していく。

 その反応は三者三様。復帰したことを祝ってくれる教官や、オルガのような男尊女卑的な考えであまり歓迎していないような教官。


 教官以上に喜んでくれたのは、交友のある同級生達だ。女子友達が教室に入った途端に飛びついて来て大喜びしたりしてくれた。やはり持つべきは友だと実感。

 わいのわいのと話し合い、復帰祝いと称して多くの女子生徒がシルヴィアとユリスの部屋に集まり、お菓子やジュースなどを飲み食いしながらはしゃいだ。


 流れる平和な一時。楽しい時間。

 そんな平和が打ち壊されたのは、二人が復帰してしばらく経ってからのことだった。

 学院および魔導軍上層部から、リンバート湖の奪還の命令が下された。

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