16 虚構の悪魔と炎の悪魔

 ショートボブにしてあって、少し癖のある灼髪。白い頬には、崩れた炎のような形をした痣のようなものがある。その紅と、街を燃やす赫が、おぞましく感じた。


「ようやく見つけた、ベリアル。今度の容れ物は、羨ましいくらいの美少女なんだねぇ」


 その声は、聞くだけであらゆる人を魅了し配下に置いてしまいそうなほど、美しかった。だからこそ、シルヴィアは恐怖する。


『代わりなさい、シルヴィア。あいつはわたしが始末する』

「っ、分かった……」


 自分ではアレには勝てない。そう理解しているからこそ、シルヴィアは大人しく体の支配権をベリアルに渡す。

 サファイアブルーの瞳が赤く染まり、白い頬に歪んだ時計のような痣のようなものが浮かぶ。


「久しぶりねぇ、アモン。あなたと会うのは実に二百五十年ぶりかしら。あなたも随分、可愛らしい容れ物を見つけたものね」

「まあね。単に帝国で優秀な潜在能力を持っていたのが、この体の持ち主だった少女だから、奪い取ったまでなんだけど。そっちは、随分変わった方法で取り憑いているんだね」

「初めて取り憑いた人間が、化け物みたいに精神力が強くて、共存する代わりに住み場所を与えてもらっただけ。おかげで、一つの一族に二百年以上もいるわ。全員優秀だからいいのだけれど」


 まるで旧友と話すかのように、互いに穏やかに話している。その片手間で、ベリアルはユリスの周りに強固な結界を張って保護する。


「それは置いておいて、くだらない問答はお終いにしましょう。私が望むのは、あなたとの殺し果てあいよ、ベリアル!」


 両手を強く合わせて、離す。たおやかな指のついた手が離れると、その間に鈍色の凶悪なフォルムの斧槍が現れる。

 悪魔にはそれぞれ、固有の武装が存在する。アモンの固有武装は斧槍、名前は『亡者の斧槍スペクターズ・ハルバード』だ。


 それを見たベリアルは、手に持っている大鎌を倉庫にしまって、己の固有武装を展開する。

 現れるのは、歪な形をした赤黒い大鎌。柄部分は長針のような形をして、刃は無数の時計の剣のようなものが寄せ集められてできているかのように見える。

 柄と刃との接着点からは短針のようなものが伸びており、割れた歯車らしきものが見える。


「あぁ……! ベリアルの固有武装、『血塗れの大鎌ブラッディ・デスサイズ』……! 再びあなたと殺し果てあえるだなんて!」


 歓喜するように、大仰な動作をするアモン。


「嗚呼、主よ! 我らを従えた強大な王よ! この度、再び我が好敵手に会えたこと、心より感謝いたします! これでもう一度、果てあうことができる!」


 その姿はまるで、宗教の泥沼に嵌ってしまった狂信者のようだった。

 目の焦点は合っておらず、頬を上気させて口元が引き攣るように笑っている。


「人のこと言える口じゃないけど、イカれているわね」

「知っているわ、ベリアル。さあ、始めましょう! 私たちの死の舞踏を!」


 アモンが踏み出す。それだけで、立っていた民家が粉々に吹っ飛ぶ。

 弾丸のように鋭く踏み込んでくると、掲げた斧槍を振り下ろしてくる。

 飛んで回避しようと考えるも、背後にはユリスがいるため踏み止まり、強引にその軌道をずらす。

 そこから左に跳び、アモンを誘導する。


「逃がさない!」


 ベリアルのことしか見ていないのだろう。倒れているユリスに見向きもせず、真っ直ぐにベリアルに向かっていく。


「逃げるつもりはないわ、アモン」


 振るった圧だけで家が弾け飛ぶ斧槍を、ベリアルは事無しげに受け止める。

 その衝撃が突き抜けて、ベリアルの背後の民家が半壊する。直後にベリアルが動き、素早く鋭い連撃を叩き込むがその速度に追随する。


 アモンの魔性『亡者の悲鳴』。誰彼構わず焼いて、魂を取り込みその時の悲鳴が永遠に響き続ける炎。

 広範囲を一気に焼き尽くすことが本来の用途だが、アモンはその炎から得られる無限に等しい熱量を運動エネルギーに変換させることで攻撃に転じている。

 魔導士達が持つ『偽・永久機関』と似たようなものだが、熱量で空間を歪めて武器をしまっているとかではなく、それを全て余すことなく膨大な運動エネルギーに変えている。

 まさに脳筋の戦い方でシンプル極まりないが、だからこそ強力だ。今は幾らか出力を制限しているようだが。


「あの時と同じ……ううん、あの時よりもさらに洗練された速さと鋭さ! やっぱり私のライバルにはベリアル、あなたしかいない!」

「それは光栄ね。わたしも長年雑魚としか戦っていなくて、暇で仕方なかったのよ。溜まっていたフラストレーション、ここで発散させてもらうわ!」


 シルヴィアと同じ、されどより鋭さと殺意の増した大鎌術。まるで早送りされているかのような速さで切り込むが、それを得たエネルギーを使って追随する。

 無数の刃が奔り、交わり、金属の音響を撒き散らす。

 目まぐるしく立ち回り、合間に魔術を打ち込む。

 純粋な近接戦闘に銃という不純物は使わず、ただただ互いの全てをぶつける。


(純粋な戦闘能力に関していえば、アモンの方が上。素早さはわたしが上。わたしがこの状態で押されていないのは、シルヴィアの時計があるおかげね)


 素の速さはベリアルの方がまだ利があるものの、アモンはまさに暴威の塊。暴力的なまでな武のセンスに加え、得られる運動エネルギーによる補助は、瞬発的にベリアルを超える。

 それでも攻め込まれていないのは、シルヴィアの持つレイフォードの遺産のおかげだ。


 ベリアルはまだ、自分の神性を行使していない。

 神性行使は膨大な魔力を消費するので、使いどころを間違えればすぐに魔力切れガス欠を起こしてしまう。

 だからこそ、タイミングを間違えないようにできるだけ魔力を温存しつつ、間に合わない攻撃は時計を使って回避する。


「どうしたの!? どうして神性を使わない!? ベリアルの実力はこんなものじゃない! 私のベリアルは、もっと速い!」

「がっ!?」


 斧槍で大鎌を弾きあげられ、強烈な横蹴りを鳩尾に食らう。

 蹴り飛ばされて地面を転がり、逆流してきた胃酸を嘔吐く。

 ふっと影が差し込み、時計を起動させて飛びのく。ちりっと首筋を掠めていき、薄皮一枚を裂かれる。


「……さっきからちらちらと感じる、変わった魔力の胎動。ベリアルの『血濡れの殺人姫』と似ているけど、本来のあなたのものよりも大幅に劣化している。まるで、下手な人間が猿真似をしているように」


 すとんと感情の抜け落ちたような顔をしながら、じっとベリアルの左目を見るアモン。

 相変わらずの勘の鋭さに、今回ばかりは顔を歪める。

 事実、シルヴィアが持ち歩いている時計は、『血塗れの殺人姫』の大幅な劣化版だ。

 魔力の消費、発動効率、性能、あらゆる面で劣っている。元が天使のものなので、その猿真似程度しかできないのは仕方がないことだが。


「その左目、本物じゃないでしょう? なに、強引に埋め込まれでもしたの?」

「……本当、その勘の鋭さは厄介極まりないわね」


 左目の正体を見破られ、やれやれと息を吐くベリアル。


「その通りよ。この左目は本物の目じゃない。この宿主が幼い頃、重篤な目の病気を患った。それはすぐにでも摘出しないと、命を落としてしまうほどのものだった」


 おもむろに口を開き、語り始める。


「当然片目を摘出するということは、光を半分失うことになる。両親は、透き通った海のように綺麗な青色の瞳を気に入っていたし、誕生日を迎える前の四歳の幼女の片目を摘出するのを躊躇った。けど、そうしなければ命を落としてしまう」


 今でもはっきりと覚えている、あの時の苦しみ。

 脳が焼かれそうなほど痛く、夜も満足に眠ることができなかった。


「けど、シルヴィアは自分から左目を奪うように言った。このまま苦しんで両親と永遠に離れるより、光を半分失ってまで生きたほうがずっと幸せだって」


 その時の両親の顔も、忘れることはできない。

 まだ五歳になる前の幼女が、両目で光が見えなくなるのを承知で家族といたいと願った。

 これ以上親に心配をかけられないからと、たったの四歳の女の子が光を半分失うのを受け入れた。


「手術は成功した。命を繋ぐことができた。その代償に、光を半分失った。顔半分に僅かに血の滲んだ包帯を巻いたその姿はあまりにも痛々しくて、父親のレインは見ていられなかった。ちょうどその頃、ある話を聞いたレインが何を思ったのか、少し前に自分の手で完成させたレイフォードの時計を別の形に作り変えた」


 レイフォードの名前を聞き、アモンが反応する。

 二百五十年前、アモンを殺したのはベリアルの宿るレイフォードの一族だからだ。


「僅か一ヶ月で時計としての性能を残したまま、全く別の形に作り変えた。ここまで言えば、あなたも分かるでしょう?」

「……つまり、その左目はレイフォードの時計ってこと」

「正解。そしてこの時計には、わたしの神性を解析して劣化版でも再現できた、特殊な発動媒体が入っている。神性を使わずとも、非常に限定的にでも神性と似た能力の行使ができる」

「……そう」


 短くそう言うと、爆ぜる音と共にアモンが踏み込んできた。

 僅かに反応が遅れたベリアルは、咄嗟に後ろに下がろうとするが間に合わず、左目を切られてしまう。

 歯車仕掛けの義眼が傷付き、歯車が欠けて機能停止してしまう。


「っ……!」


 切られた瞼から流れた血が、義眼を汚して視界の左半分を赤く染める。直後に、義眼としての機能も停止し暗くなる。


『ベリアル!』

「っ、黙ってなさい! 修復は可能よ!」


 振り上げられた斧槍が振り下ろされ、それを大鎌の柄で受け止める。

 足元の地面が放射状にひび割れ、そのあまりの重さに思わず膝を着く。


「時計型の魔術道具と言うのなら、機能停止させればその効果は発動しなくなる。これで、あなたに紛い物を使わせずに済む!」


 やはり、それが狙いのようだ。

 今ここで使うべきではないが、使わなければ殺される。

 悔しそうに歯噛みし、神性を解放するために詠唱を開始する。


「悲鳴が奏でる協奏曲。飾り付けるのは真紅の鮮血。白いドレスを赤く染め、血海の中で笑いましょう……!」


 その詠唱を聞いたアモンは、歓喜に顔を歪ませる。


「嗚呼、ベリアル! あなたの本気を見せて頂戴!」


 アモンの声に重ねるように、ベリアルがその名を叫ぶ。


「『血濡れの殺人姫』!」


 プラチナブロンドが赤黒く染まり、溢れ出る同色の魔力が纏わり付いてドレスのような形を取る。

 ベリアルの神性が解放され、世界の法則が悲鳴を上げる。絶叫する。崩壊する。

 あらゆるものが無視され破綻し、流れが壊される。

 全てが色褪せ、静止して行く。


 その神性の能力は『虚数時間』。


 本来であれば神のみにしか許されない、時間干渉の能力。

 虚数時間は数学上でしか確認はできず、仮に存在しているとしても決して観測することはできない。

 それは夢の中で流れる時間のようなもので、酷く曖昧だ。未来に行ったり過去に行ったり、時間を速くしたり遅くしたりする。


 水平に進み続ける『実数時間』と垂直に交わる時間軸なので、虚数時間の流れる世界でどれだけ過ごそうが、実数時間の世界ではほんの刹那にしかならない。

 そのベリアルの神性『虚数時間』をレイフォードの先祖は、人間の使う魔術に落とし込めないかと考えた。

 その末に完成したのが、魔力を流し込むことで強引に正に向かう力を負に向ける特殊な魔術的媒体を核とした、世界の法則に干渉する時計だった。


 世界の法則に反逆する神性。その行使は即ち、勝利を意味する。

 それが人間相手であればの話だが、


「ベリアル!」


 悪魔相手には、その限りではない。

 悪魔達には魔性、元天使であれば神性や反転して魔性を持った存在もいる。

 それぞれが反則クラスの能力で、互いにその魔性や神性に干渉することができる。


 ベリアル相手にアモンの『亡者の悲鳴』の副産物、魂の叫びが効かないのも、実数時間とは違う時間の流れの虚数時間の世界にいるにも関わらず、アモンが動いているのもまさにそうだ。

 しかし、全く効かないという訳ではない。


 ベリアルが疲弊してくれば亡者の叫びの方が強くなり、いずれ正気を飲まれてしまう。つまり、アモンはベリアルの時間の中を動けてはいるが、完全に追随することはできない。

 偽りの時間の中では、ベリアルに大きな恩恵がある。消費が激しいが、ここで一気に攻め込む以外に道はない。


 虚構の時間が、発狂する。

 そして、亡者の炎が燃え盛る。

 ここから先の戦闘を認識した者は、誰一人として存在しない。

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