第2話 君を照れさせる簡単な方法

 足の悪い男と化け猫の女房が歩く速さは殆ど変わらなかった。

足の悪い男は足の加減を見つつ、ゆっくりと歩く。女房もゆっくり歩く。

秋の頃、脂がのったサンマを買って帰った日。

男はふと、女房に聞いてみた。


「お前は猫だろう、走れば早いだろうし、歩きだって、ずっと俺より軽やかなはずだ……なんでそんなにゆっくりなんだ」


 女房は一瞬目を丸くしたが、小さく笑った。


「私、普通に猫のように歩いてしまうと、つい、四つん這いになるんですよ。それは人間ではおかしいでしょ、恥ずかしいですし」


 ふむと男はうなずく。

 化け猫が人間に化けているとしても、猫の性は消えないというのか、と思う。

田んぼの脇の砂利道を歩きながら、男は頭をかしげた。何かを違和感を覚えたと同時に、秋の風が耳元をかすめ、髪の毛先が揺れた。女房と自分のそばを子どもたちが数人通り過ぎた。すすきを持って、大きな葉を仮面にして。

 わーわーと騒ぎながら子どもたちは走り去っていく。稲刈りがすんだ田んぼの向こうでは夕焼けが赤い光を放っていた。


 この間、鍋をふきこぼしたとき、ものすごい速さで台所に向かってたな。

あの時は四つん這いだったのだろうか、そうじゃなかった気がする。つまりは……。


 女房が思考をする男の首筋に、そっと手を触れた。

びくっとした。女房を見ると困ったような顔をする。


「余計なこと、考えないでくださいね」


「余計なこと?」


「これでも、私はあなたの隣がいいんですよ」


「……んむ」


 この猫は随分と男の心のやわい部分を、羽を使うようになでてくる。

今まで考えていた推察がどこかへとんでいってしまった。まあ、いいだろう。

一緒の速さで、隣にいてくれる存在があるだけで、まあ、十分なんだ。


 夜になった。

 今日はなにかあるというわけではないが、月がよく見えるらしい。

団子をこしらえる準備をしてよかった、と女房はうきうきしていた。

サンマを炙り、おろした大根をそえ、きのこの味噌汁や、近所の農家におすそわけしてもらったコメを炊く。女房はそれにくわえて、おやつまで作ろうとしているのだから、男ですら、料理が好き……がすぎると思う。正直、男はそれほど食べられる腹を持っていない、体型の変わらない女房が、びっくりするほど、食べてしまうのだ。


「おいし、おいしい……秋は食欲の秋ですねぇ」


「あ、ああ……」


 ……そうして夕餉を終え、お団子をつまんだ、女房は、深々と息をついた。


「いやぁ……食べました、食べました」


 そして畳の上に目を細めながら、横になる。


「おいおい、寝てしまうぞ、そのままじゃ」


「座敷でも、私は平気ですよぉ、この前、寝すぎて首を痛くしましたけど」


 まくらのないところで寝続けた結果だと男は思い出した。

ざぶとんをとってくればいいのだが、普段使わないので、押し入れにしまってある。

足の悪い男には少々荷が重いし、女房も動くのは億劫だろう。


 男は立ち上がり、ゆっくりと女房のところへむかった。


「俺の、膝をかそう。枕ほど、柔らかくはないが」


「え……」


 女房は驚きを隠せないように飛び起きた。そして急に顔を赤くする。


「あなたの膝をですか」


「ああ……まくらがないまま、また首を寝違えるよりましだろう?」


「そ、そうですね! ええ、そうですね」


 女房は顔を赤くしたまま、ぶんぶんと両手を振り回す。

なんでこんなに動揺しているのだろう、女房は、と思う。

 女房はひとしきり両手を振り回すと、また横になり、男の膝に頭をのせた。そして気恥ずかしそうにこう言った。


「あなた、ずるいです」


 何をだ、と言う間もなく女房は寝入ってしまた。

男は何がずるいんだと、頭の中に疑問符を浮かべながら、安らかに寝入る女房の顔を見つめた。

夜空にのぼる月は、二人の姿を微笑ましそうに眺めている。いい夜だった。

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足の悪い旦那さんと猫の奥さん 雪月華月 @hujiiroame

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