五年後

「速水総監!」

スーパーヘビードローンが20ℓほどの保冷ケースを抱えている。

「あら、まさかこんなところで」

カーボン複合材で出来た機体にはかわいらしいタンジーが描かれている。黄色い釦のような花が放射状に咲いている。サベッタ港を往来する北極圏航路LNGタンカー運用計画「ヤマルLNG」の基地はAIドローンの独壇場だ。

総監と呼ばれた女は感慨深げにロゴを見やった。そして取り巻きの記者団に気づくと言葉を慎重に選んだ。

「…本当に今日、ここに来るまでハードルをたくさん乗り越えて…」

ぐっと言葉を詰まらせる。しおらしさも美徳のうちだ。そしてプロンプターを完全に無視する。

「システムという物は竣工して稼働してOKじゃないんですね。もちろんそこまでが一つの工期ですが、そこから生産される何かを家庭に届けてからが始まりなわけで」

穂香は遠慮がちに旧知を紹介した。「ご存じの方も多いでしょう。こちら

元半蔵門Chの…」

ドローンが姿勢を崩した。「やだぁ…」

キャッキャッと子供っぽい嬌声が響く。感情の機微をここまで模倣できる域に達した。そして五年前の対談を要約した。

…絶対のやり方があるが、まず自分の美徳に自信喪失したら潔くやめること。

その信条を穂香も梨木も第一にしてきた。

西暦2021年、デジタル庁が発足し由香は新聞社を辞した。転職先は2025年の崖と呼ばれる大問題と戦う最前線だった。穂香はマスコミ出身の情報処理能力を買われメキメキと頭角をあらわした。4年後に日本のITシステム業界は終焉を迎える。当時は既存システムが専門部署ごとに構築され高度なカスタマイズやチューンナップが災いして老朽化も間近だった。グローバルでクラウドでビッグデータな時代に全社横断的なデータ活用が出来ないうえ、過剰なカスタマイズが汎用性を狭めていた。かてて加えてそのシステムは良くて西暦二千年前後、悪くて高度成長期に開発されたため携わったエンジニアが死滅したり開発資料が散逸してブラックボックス、いやブラックホールともいえる状態だった。それにSDG's、持続可能な社会改革という難題が降りかかった。ITエンジニアの要請もOBの復帰もままならず二進も三進もいかない状態を若き元女性記者が救った。

差別ではない、ニュー区別である。

日本人の美徳とは何か。勤勉で礼儀正しく正義感にあふれ道徳的で秩序と伝統を守り云々を「平等に享受」すべくデジタルを最大限に活用した。

従来の給付型補償や自立支援でなく、ノーマライゼーションでもバリアフリーでもない。AIによる柔軟で臨機応変かつ機動的な総合社会保障。

例えば五体満足でも性的暴力やDVにより若くして寝たり起きたりする女性がいる。例えば生活扶助が少なくても本人が娯楽や趣味などをそれほど欲しない場合(重い鬱で映画など鑑賞するよ気力や体力がない)など、その分の給付額をさげ、療養に援助を集中する。失業の場合は本人の隠れた適性や資質を発掘し、意外な天職を掘り起こすなどフォーマル資源、インフォーマル資源を有機的に組み合わせて「トータルで健康かつ文化的な最低限度生活」を約束する。

人がうらやむような手厚い保護を受けても順調に稼げるようになれば多少なりとも過去のツケを生活が破綻しない程度に払ってもらう。

そういう区別をめざした。速水がデジタル総監に就任する頃は生活保護受給世帯が目に見えて減った。人間のケースワーカーを超えるAIの成果だ。

「西欧のリベラリズムと日本古来の武士道精神、その融合が完成したといえましょう」

速水は締めくくった。サベッタ港ではその理念に基づいて多くのAIドローンが活躍している。梨木の宿る機体もその一つだ。人数分の新型コロナワクチンを降ろすと次の積み荷を取りに沖へ向かった。

その様子を回復期リハビリテーション病棟のロビーから梨木は見守った。アイコンタクトカーソルを虚空に走らせエア書類を口述していく。本人の治療費はその勤勉性や美徳を受け継いだドローンの給与で賄われる。これも令和日本型総合社会福祉の実例だ。

梨木は想った。再生医療が終わったらサベッタ港をこの足で踏みしめてみたい。せめてエゾヨモギギクの咲く頃には車いすで北海道を旅してみたい。

それも自分の力で。そう願って病床のポプリを見やった。

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ジェンダー・デジタルトランスメーション 水原麻以 @maimizuhara

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