第180話 マドレーヌの菓子言葉(百合? 先輩が気になり始めた後輩)
『……ありがと』
クールな若木先輩の、ふっと困ったように微笑んだ顔を見て、私の心にポッと一つ、灯りが灯った。
──この灯りって、何だろう?
春休み。
うちの学校は部活ごとに寮のある全寮制で、いちおう春休み中にも部活はあるものの、だいたい初めと終わりの二日くらいなもの。あとは自由、帰省ラッシュだ。
体育会系はもう少しあるみたいだけど(大会とかもあるだろうし)、基本的に文化部はそんな感じ。
その文化部特有のゆるさは、うちの文芸部にも勿論あって。
だから私は、そのゆるさに甘えて、現在がっつり帰省中。
学校のことなんてすべて忘れて、エンジョイ春休み!
の、はずだったのだけど。
脳裏にぐるぐる過ぎるのは、春休み前の、リッツパーティーでの一コマ。
ちょっと気分の優れなくなった若木先輩が、部室の隅で横になった。
私はちょっと迷ったけれど、ブランケットを先輩にかけたところ。
『……ありがと』
先輩が、笑ってくれたのだ。
あの笑顔が、離れない。
まったく、これっぽっちも、離れないのだ。
「あー……」
換気の為に窓を開けると、気持ちの好い風が入って来る。
空気が柔らかい。鳥の鳴き声が、朗らかにひっきりなしに聴こえて来る。
ぼけーっと薄青い空を見ていても、やっぱり脳裏に浮かぶのはあの笑顔。
クールな若木先輩は、笑うときも基本的に隙のない感じ。ちょっと口元が綻ぶだけとか。周りが爆笑しているときでも、口元に手を当てて震えるくらい。
だから、あんな風に、ふにゃ、とした目も口も頬も全部が緩んだ笑顔は見たことが無かった。
下がり眉も、可愛くて。
胸の中が、ぽっ、ぽっ、と温かくなる。
「……そういえば」
先輩の実家は、うちの近所なのだった。
この前お話したときに、ちらと聞いた。
『あの川沿いに、茶色のマンションが見えるじゃない? あそこ。あそこの202号室』
確か、そう言っていた。
「いやいや」
そんないきなり訪ねては行きませんけどね。
自転車の鍵を取り、ふかふかのパーカーを羽織りながら、自分に言い訳する。
ただ、ただそう。自転車で川沿いを走りたいだけ。気分転換をしたいだけ。
マンションの前を通り過ぎることもあるかも知れないけど、本当、先輩とすれちがわないかとか、そんなこと思ってなくって……。
ごちゃごちゃ考えながら、件のマンション近くまで自転車を走らせてきたけど、もちろん先輩が歩いているはずもなく。そもそも、出歩いている人があまり居ない時間帯だったようで、誰もいない。うっかり人影に「アレって先輩かな?」なんて思う隙すら無い。
がっかりしている自分に、吃驚する。
(いやいや。だから先輩目的で来たわけじゃないから。ただの散歩みたいなもんだから)
『ありがと』
脳裏に過ぎる柔らかな笑みと、温かな胸の奥。
持て余し気味のそれらを吹っ切るように、私は、走っている最中に見付けたお菓子やさんにとりあえず入ってみた。
からんからん
ドアベルが控えめに鳴る。入る前から漂っていたバターのいい匂いが、よりいっそう、倖せに鼻腔を擽る。
「わあ……」
ショーケースには、色んな種類のスコーンやケーキが並べられてある。
英国国旗があったから、英国菓子のお店なのかな?
きょろきょろと店内を見渡していると、ショーケースの上、端っこの一角に目が吸い寄せられた。
硝子カバーの中にある、見覚えのあるお菓子と、あまり見たことのないお菓子。
「……イングリッシュマドレーヌ?」
説明書きには、そう書いてあった。
よく見る貝がら型のものは、確かにそれだとわかるけど。
隣にある、カヌレみたいな形のものも、マドレーヌなのか。
ココナッツが全体にまぶしてあって、てっぺんには赤い、おもちゃのルビーみたいな木の実がのっけてある。
「あまり見慣れませんよね。けど、それもマドレーヌなんですよ」
カウンターの中に居た店員さんが、微笑んで言った。
白いシャツに黒いエプロンを付けた、物静かそうな小柄な男の人だった。
「イギリスの……?」
「そうなんです。僕も、つい最近知ったんですけど、美味しいですよ」
ラズベリージャムでコーティングされているので、酸味もあっておススメです。
店員さんの説明を聞きながら、私は、もう一つの説明書きに気が付いた。
「お菓子言葉……?」
「はい。花言葉みたいなもので、お菓子にもそれぞれ意味があるんです。贈り物をされる方のご参考になるかと思って」
マドレーヌのお菓子言葉は『あなたと仲良くなりたい』。
「──!」
目の前が、パッと開けたような気がした。カーテンを開けて、眩しい光が射し込んできた時みたいな。窓を開けて、心地好い風が吹き込んで来たときみたいな。そんな、感覚。
ずっとリピート再生される笑顔も、胸に灯る温かさも。
仲良くなりたい。
その言葉に、ギュッと集約されていく感じがした。
「あのっ、普通のマドレーヌと、イングリッシュマドレーヌ、一つずつください!」
「かしこまりました」
このお菓子を持って、先輩のところへ行こう。
会いに行くのではなく、ただ、このお菓子を玄関の取っ手にかけておこう。
お手紙も添えて。
確か、そう。前に衝動買いした便せんが、まだ机の中に眠っていたはず。
先輩も好きな、猫の柄の可愛いもの。
先輩と、仲良くなりたい。
そこまで素直に書けなくても、素敵なものを見て、お裾分けしたくなった。
それは必ず、真っ直ぐ書こう。
新学期。
私はもっと、先輩と仲良くなりたい。
そんな気持ちで見る空は、さっきよりももっともっと、透き通った青に見えた。
END.
こちら(https://kakuyomu.jp/works/16816452220371917465/episodes/16816927861590526228)のブランケットをかけた子と、店番・
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