リノリウム詩集

作者 小林素顔

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★★★ Excellent!!!

まだまだ更新の途中な雰囲気ですが、いったん本作を通読して連想したのは、これら三つのキーワードでした。

いきなり話が脱線しますが、カフカの「夢」(だったかな?)という掌編は、語り手が墓に埋葬される夢を見るという、端的にはそれだけの小説です。もちろんカフカなので語り手は恐怖を感じるはずもなく、埋められる己の存在を感じながら「うっとりして」いて、うっとりしているとふいに眼が覚めて、小説は終わります。

対してこちらの「視界」という作品では、「ウイングチップ」の持ち主である誰か――会社?上司?取引先の人間?――に「私」が「三つ指を立て」ていると――地に臥せって叩頭の姿勢を取っている?――、その肉体が「床の下」へ沈んでいく、この顛末と諸感覚が描かれます。

「夢」でとらえられた甘美な消滅願望にくらべると、そこには自己破壊への衝動がじっとりと滲んでいます。「記憶にないはずの揺り籠」で「眠る」結尾を採らされる「私」には、目覚めによる世界への復帰すら拒まれている気配が濃厚です(カフカ自身がプラハの小官吏として生涯を全うしたことを思えば、その対比はもっと強烈になるかと思います)。

ではひるがえって考えるに、「私」が眠りから覚めることを拒むものは何でしょうか? 作中において、「私」は叩頭と同時に「重力に耐えてい」ますが、自分はこれをメタファーとして読みました。つまり「私」が耐えているのは「重力」ではなく、実のところ〈階級〉なのではないか? ということです。

ここでいう〈階級〉とは、もちろん「革靴」と「スニーカー」に象徴される、富と権力の差異を想定しています。「夢」の主題が自足的な消滅であるとすれば、「視界」はむしろ他律的な、消滅の〈させられ体験〉とでもいうべき夢想――そのトリガーが「革靴」への屈従であることはいうまでもありません――を活写することに主軸が置かれています。ある種の迂遠さを… 続きを読む