第6話 孫を養子に出来た件

 令和2年10月(2020年)三女は孫を保育所に入れる為の手続きをしました。

これは、年長から保育園に必ず入れると約束をしたからという事からで、手続きをし始めるのですが、この頃には、2度の美容師の国家試験に不合格になり、自分の子供の親としての存在価値が無いのではないかと思ったり、このままだと子供が保育園や学校に通う等、生活全般を家族に頼らざるおえなくなって、自分への家族からの虐待が増えるのではないかと思ったのか、多分インターネットで町の行政に詳しい相談機関を調べて、電話連絡をして、教えてもらった事を忠実に実行し始め、ちゃんとした収入源が無のですが、私達同居家族から距離を置こうとし始めました。

先ず、役場で今まで一緒にしてあった世帯を自分と子供だけ抜いて一緒に住んでいるけれど2世帯に分けてしまいました。三女が住民課で手続きを終わらせたその日に私が役場に、たまたま出向いた税務課で話をしていた時に、住民課の人が三女の事を税務課の、私と話をしていた人に話し始めて、それを聞いていた私は、

「それは、私の娘と孫の事ですね。世帯を分けてしまったのですか?」

「はい、先程来られて世帯分離の手続きをしていきましたよ。健康保険料とか自分で払わなくてはいけないのですが良いですか?と聞いたのですが、それで良いという事でしたので手続きを完了しました。それにしても、世帯分離なんて事を何故か知っていらっしゃいましたよ。」と、住民課の方が私に疑問に思った様で聞いてきました。

「多分、最近、色々と電話をしていた様ですから、町の行政について、よく分かっている公の相談機関をネットか何かで調べて相談して、教えて頂いた事を忠実に行っているのだと思います。精神不安定で、思い込むとこちらの言う事など全然聞きませんので、非常に困っています。」と返事をしたのですが、

「世帯を戻したした方が本人の負担は減るのですが、戻すには本人が戻す事に同意して自分で、又はご家族と一緒に手続きをして頂く必要があります。」とのことでした。

「そうですか。何かとお騒がせをしましてすみません。戻した方が良い事を言ってはみますが、素直に従うとは思いません。しかし、もし戻す事になりましたら、また手続きを宜しくお願い致します。」私はこの様に返事をさせて頂いて帰りました。

その日に、三女から世帯を分けて健康保険証も新しい物になったからと、報告がありました。

自分の負担が大きくなっても、責任もって育てられるのだったら良いけれども、そうでないのなら世帯を元に戻す方が良いと説得はしましたが、納得していない様でした。

この頃から三女は、今までは仕事に行ったり、帰って来たりする時の、車で駅までの送り迎えを私に頼んだり、連絡事や頼み事は全部私を頼ってきたのですが、仕事に思う様に就けなかったという事で、自分が親として子供に金銭的な責任を持つ事が難しくなった事と、子供をを年長から保育園に必ず入れると宣言したという事で、親としての金銭的な責任をこれ以後自分で持つ事になるという、相反する事柄を同時に何とかしなくてはならなくなって、今まで、自分の母親を頼って来たけれど、何も上手くいかなかったから、母親に頼るのはこれからは止めて、自分で他の相談できる所を探して相談して、自分で動いていこうと思ったのだと思います。それで、色んな相談機関に電話をしていた様です。

自分が美容師資格試験の為の勉強をしっかり出来なかった為に合格出来なかったと思うのでは無く、上手く行かなかったのは母親を頼ったからだと置き換えた様です。

そして、「家族に報告する事があれば、お父さんにしよう」と考えた様です。以後連絡は主人に取る様になりました。とにかく、三女は、私の事を避ける様になりました。

 三女は、孫の保育園への入園手続きはしたのですが、保育園は町の保健センターから、孫の発達障害についての報告も受けていたので、入園前に孫の実際の知能月齢を児童相談所で検証してもらう様に三女に伝えたのですが、それを勘違いをしたみたいで、主人にLINEで、

「保育園は、子供がバカだから入園させてくれない。だったら、自分で相談した所が紹介してくれた、町の町営住宅で子供と2人で暮らすから。」

と連絡をしてきて、主人は私にその事を知らせたのですが、主人は私に、

「役場の町営住宅の係に行って、入居させない様にしてこい。そうしないと、子供を連れて家を出ても、今まで子育てなんか全然してこなかったんだし、金銭的にも無理だし、精神不安定な現状だと、どう考えてもネグレクトに繋がる。」と言ってきたました。私も、それについては、同意し行動に移しました。

私は、役場の町営住宅の入居の申し込みや案内をする所に行き、娘の状態を説明して、入居手続きに来ても入居させない様に頼んだのですが、

「言われる事は分かりましたが、入居条件を満たせば入居を断る理由が有りませんので、入居はして頂きます。そして、町営住宅は保証人は必要ないのです。しかし、入居条件の保証金3ヶ月分を前払いと言う項目が有りますので、これがクリア出来なかったり、家賃の滞納が有ったりした場合は入居をお断りしたり、退居をして頂く事になります。」と、説明を受けました。

「そうですか。こういった家族内での危機的な状況を、考慮する所では無いという事ですね。ま、こんな事を頼んだ所で仕方が無いのですね。多分娘には、保証金の家賃3ヶ月分の前払いと言う条件はクリア出来ないと思いますので、帰ります。ご迷惑な事にお付き合いさせましてすみませんでした。」と、言って帰りました。

結局、三女は手続きには行ったようですが、保証金の3ヶ月分の前払いと言う項目がクリア出来なかった様で、町営住宅には入居はしませんでしたが、令和2年11月(2020年)には、新しい仕事関係のマンションに移り住んでいきました。最初はマンションとこちらの家と行ったり来たりしていて、これも主人にLINEで、

「こちらのマンションの近くの保育園に子供を入れようと思う。」

と言う内容で、入園案内の画像も添えられて知らせてきました。

主人は娘に、

「育てられないから、無理だからダメだぞ!」

と返事を娘にした様ですが、私に主人は、

「このままだと、子供は育児放棄されて最悪死んじゃうぞ!何とかして、俺達の養子にしないとあかんぞ!とりあえず、役場へ行って手続きしてこい!家庭裁判所で審判を受ければ本人の同意が無くても出来るんじゃあないのか?」と言い、私はそれに対して、

「一応、役場で手続きの仕方をを聞いてくるけれど、養子縁組手続きはするけれど、いつ戻ってきても良いという事で話しをすれば養子に出す事を同意すると思うよ。自分でも、育てられるとは思っていないと思うし、どうしたら良いかという事自体、分かっらなくなっていると思うから。」と主人に返事をしました。

次の日、役場の住民課で家族間での養子縁組の仕方を聞いて、養子縁組用紙を貰って来ました。やはり、三女の承諾が要るという事でした。承諾を得る事が無理なら、家庭裁判所で審判を受けてもらわなくてはいけないという事でしたので、数日後、家庭裁判所まで行ってどうしたら良いかを家庭裁判所の職員に尋ねたら、

「一般的に、親族間での養子縁組で家庭裁判所での審判を受けるという事は、弁護士を付けたりする等の費用も掛かったり、期間がかなり掛かりますので、そういう事は殆んど無いですね。娘さんにちゃんと承諾をしてもらって、養子縁組の手続きをして下さい。」と言われました。私は職員に、

「何とか娘に養子縁組を承諾してもらう為にどうしたら良いかを考えて、承諾してもらいます。ありがとうございました。」と伝えて帰りました。

家に戻って、私は、主人に家庭裁判所の職員に言われた事を伝えて、三女に養子縁組に同意させる為に考えた事を伝えました。

「とにかく、養子縁組が、子供との縁切りで子供を置いていけと言うような事は絶対に言ってはいけないし、子供が可愛くない訳では無いのだから、ただ、育てる技量が無いという事は自分でも分かっていて、でも、自分の子供を親に育てさせる負い目から、連れて出ると言っているだけだから、子供に会いたいと思えばいつ帰ってきても良いから、こちらに残して、子供が、ちゃんと落ち着いて育っていける様にする為に、養子縁組をする事に同意してくれる様に連絡をしてみてくれる? 私が連絡をしても、LINEは見てくれないし、電話にも出てくれないから。」と伝え、主人が三女に連絡をしたところ、

数日後、三女は養子縁組書類に書名押印しに、こちらに来てくれました。

役場に書類を提出し、晴れて私達ジジババ夫婦は孫を養子にする事が出来ました。

令和2年12月(2020年)の事でした。

 私は、保育園に行って詳しい三女の状況や養子縁組等を報告し、今後の手続きについて詳しく聞いてきました。

先ず、児童相談所に行って現状の孫の知能の月齢検証をしてもらい、実年齢5歳2カ月で3歳11カ月の知能月齢でした。

保育園にその報告書を持っていき、役場と保健センターで保育園に入れる為の手続きの親の項目の変更手続きをして、三女が孫を出産後初めて受診した心療内科で、孫の発達障害について、診て頂いて、保健センターの臨床心理士の方への最後のご報告と挨拶を終えて、令和3年4月5日保育園の入園式を迎える事が出来ました。三女も一緒に参加してきました。

子供が入園するにあたり必要な物は殆ど三女が保育園から頂いて持っていたパンフレットに書かれていた物を揃えて買ったみたいで、私達の負担は殆んどありませんでした。

 孫の今は、元々言葉が多少不明瞭だった所は随分発音も良くはなってきましたが、まだ赤ちゃん言葉の様な発音が残っている所は多少気になります。保育園から、年長ですので、来年は小学一年生になりますから、小学校の特別支援学級か、普通学級のどちらに通わせるかを決めなくてはいけません。そこで、6月中旬に実際に小学校の

見学をさせて頂いて、特別支援学級と、普通学級の教室の中に入らせて頂き雰囲気を感じてきました。いずれ、どの方向に向かわせた方がこの子の負担にならないのか決めて、入学の日を迎える事になります。

保育園に通う様になって、ものすごい速さで色んな事を吸収していっている事も日々の保育園の送り迎えの時の保育園の先生やお友達とのやり取りや、家に帰って来てからの態度で感じます。保育園に通うまでは、あまりしゃべらず、親や大人の顔色ばかり上目使いでみて、大人どうしのイザコザに翻弄されて来ましたので、本当に、良い

形で保育園に入園できた事がとても良かったと思っています。

運動会では、家で何時も小さな丸いトランポリンを使って体感を鍛えていたせいか、一番高い竹馬に上手に乗って走っていました。

生活発表会では、劇で結構台詞が多い役を頂いて間違えなく頑張っていました。

保育園に通うようになり、他の子供達との交流や先生達との交流で孫自体の発達がとても向上したと感じます。ただ、

保育園も、年長の一年のみの通園で、同年代の子供達との交流が、他の子達より大変少なく、脳の発達の為には良くない状況が続いた事も有りましたし、小学校では、特別支援学級に通わせる事にしました。普通に出来る授業は普通学級で交流授業を受けるという事です。勿論、その子その子の発達具合を鑑みて、学年ごとに出来る事が増えてきたら、普通学級での交流授業を増やしていくそうです。

 令和4年3月25日に保育園を卒園しました。

私たちは、孫を養子にして、子供にしました。この子の未来をこれから見て行く事が出来る楽しみと、責任を感じています。この子が20歳になる頃には私達は70歳代中場となります。ヨボヨボしていられません。






 

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