話が長い人は
自己紹介が苦手だ。僕にだって、わざわざ自己紹介をするのならせっかくだからいい印象を与えたいとか、気の利いた一言で場を盛り上げてみたいとか、そういう類の人並の願望はあるけれど、うまくいった試しがない。自己紹介の性質上、基本的には知らない人だらけの場で大勢の前で話さなければいけないのに、知らない人も大勢も苦手だ。でも、これも少しは僕の事を説明する性質かもしれないので書いておく。あと、念のためだけれど、これは小説じゃない。僕の日常をただ記録に残すものにする予定だから、日記とかエッセイとかの方が近いと思う。どうしてそんなものを書くのか、という事についてもいつか書くつもりなので、少し我慢してほしい。何しろこっちも完全にオリジナルのまとまった文章を書く機会など中学生以来で、自分の決めた段取り通りに書くので精一杯だ。
自己紹介をする、という話の途中だった。これから僕の身の回りに起きたことを中心に展開していくのに、僕がどういう人となりなのか分からないのでは困る。掛け算ができないのに微分の公式だけ覚えているようなものだ、と僕の高校時代の恩師なら言うだろう(かれの口癖だった)。分かりやすく言うなら、何事も基本が大事、といった感じだと思う。
僕の名前は
医学を志した理由、というのは医学部の入試の面接において、必ず問われる。もちろん「金のためです」などと言い放つ受験生は存在しない、というかいたとしても受からない。みんな高校生なりにそれっぽい「命を助けたい」を考えてきたり、あるいは教師に吹き込まれたりしたものを暗唱するのだ。それでいいのだ。ちゃんと建前が言える、というのは大事なことだと思う。ただ、この文章は入試の小論文じゃない。なるべくそのままの僕をまな板の上にのせて差し出すのが今回の目標だ。人がある大きな決断をするとき、そこには様々な理由が複雑に絡まっており、すべてを説明しきるのは難しい。今回は一番読む人に分かりやすそうな理由を書きたいと思う。
僕が進路を決めた理由は、単純に学力と家庭環境を天秤にかけたときに、それ以外の選択肢がなかった(少なくとも十八歳の僕はそう思っていた)。貧乏な家だったので、奨学金が充実しており、将来も安定している所が良かった。医学部には、卒業後の何年か地域医療に従事することを引き換えに、学生の間は全く生活に困らないどころか、遊ぶ金にも困らないほどの奨学金を出してくれるところが珍しくない。
事の発端は中学生の終わりごろまで遡る。忘れもしない中学三年生の九月四日、僕の両親は離婚した。どうしてそういう結論に至ったのかは、今でも分からない。当時は説明されたのかもしれないが、きっと初めから聞き入れるつもりもなかったのだと思う。「離婚することにした」という父の声の後は、4つ離れた妹と、さらにもう4つ離れた弟が大泣きしていたことしか覚えていない。僕は泣かなかった。兄弟よりはだいぶ物が分かる年頃だったせいか、いつかそうなることを予感していた気さえした。あぁ、ついにその日が来たのか。今日はついてないな。そんな淡白な感想を繰り返していないと、きっと僕も涙をこらえられないことを分かっていた。
父はすぐに再婚した。どちらについていくかは一人一人選ぶ権利がある。どちらも親として、君たちの事を大切に育てる。そう言っていた当の本人が。僕たち兄弟は三人とも母について、母の実家である奈良に引っ越した。かといって、本当にそうしたかったのかどうか、今になって振り返っても分からない。父の所には、いけない。それだけは分かっていて、そうなると子供の僕たちに残された選択肢は一つしかなかった。
生まれ故郷に戻った母親はなんだか生き生きとしていた。少なくとももう激しく言い争う父は家にいないわけだし、東京にいる間は標準語だったのがバリバリの関西弁に戻って、ずっと専業主婦だったのが、家事をおばあちゃんに任せて働き始めるし、なんだか知らない人を見ているようだと思う時もあるほどだった。離婚が僕たちを傷つけなかった、といえばそれは絶対に嘘だ。けれど、良かったこともあった。母親の元気そうな姿はそういう事の一つだった。
一方で、やっぱり困ったこともあった。父親の再婚相手には連れ子がいるらしく(母親がそう言っていただけで僕は再婚相手の顔すらしらないが)、養育費は毎月律儀に振り込まれたが、生活は豊かではなくなった。困窮しているというわけではないけれどなんとなく自分の家には余裕がないな、という意識がいつも頭の片隅にはあって、それは例えば、自販機で商品を選ぶ指先を不意に迷わせたりする。僕はその感覚が嫌いだった。
中学卒業と同時に引っ越すことは決まっていたから、奈良の方で高校を選ぶ余裕もわずかにはあり、一応そこそこの進学校に進んだものの、結局最後までその高校、というか、地域の雰囲気になじむことはなかったし、僕は今でも標準語を貫き通している。高校で親しい友人と呼べるものは結局できなかった。もともと孤独体質だった僕は、両親の離婚後さらに内向的になった。空虚な高校生活は、飛ぶように過ぎていった。
いざ大学受験となった時、家には高額な学費や入学金を払う余裕は無かった。浪人すると予備校の費用も馬鹿にならないし、何より僕には絶対にその年の内に家を出たい理由があった。
母親がある日唐突に、父よりも背が高く5歳も年下の恋人を連れて帰ってきたのである。
「わたし、この人と一緒に暮らすから」
と高らかに宣言して。結婚どうこう以前に、母に恋人がいたことすら知らなかった我が家は、揉めに揉めた。一番反対したのはおばあちゃんだった。なんぼなんでも、子供らがかわいそやろ、アンタもええ年して色気づいとるんちゃうわ。おばあちゃんは、ただ純粋に、僕たち兄弟の事を不憫に思っていたのだと思う。けれどその哀れみは、僕たちが一番嫌うものだった。僕たちは一生かわいそうな子供でいるわけじゃない。誰かに哀れまれている限りそこから抜け出すことは難しい。子供たちは結局反対も賛成もしなかった。僕たちはもう家族という感じではなかった。同じ場所には暮らしているけれど、お互い深いところには干渉しない。下手に何かを期待することに臆病になっていたのかもしれない。
結局、僕の大学受験がひと段落ついたら、正式に籍を入れることとなった。冗談じゃない。もし浪人しようものなら、受験のストレスに加えて家にいる間は母親の女としての一面まで目の当たりにしなくてはいけない。僕は人生で初めて死に物狂いで勉強した。結果的に目標の大学に何とか合格したので、ひとまず僕は実家から出て一人暮らしを始めることになる。
思っていたよりずいぶん長くなってしまった。ともかくも、これを書いた目的は僕について軽くでも知ってもらうことなので、生い立ちについてはこれくらい説明しておけば良い。家庭事情がほんのりと複雑で、そのせいか、はたまた元々そういう性格なのか分からないけど、少し憂鬱そうな雰囲気を漂わせた普通の大学生だ。それくらいの印象を持っていてくれれば嬉しいなと思う。
最後に一つ。寺本栞について。彼女について僕が満足行くまで書いたらキリがないので、思い出すことがある度に少しずつ書いていこうと思う。
「話が長い人は、嘘をついてる」
実はこの二つ前の段落を書いている時、ちょうど彼女のこの言葉を思い出していたのだ。想定より長くなったな、と思ったときに。彼女はしばしばこのような、物事の本質をずばっと捉えているっぽいと一見思わせる格言を残すのだった。
上のセリフは、僕たちが中学二年生の時のものだ。当時僕たちのクラスは学級崩壊していた。新人の若い女の担任教師がノイローゼで学校に来なくなってしばらくした時、いつになく険しい表情の校長が強面の生徒指導の先生を引き連れて教壇に立ち、小一時間ほど説教を垂れて帰っていったあとに栞はそうつぶやいた。
確かに、校長の言葉は生徒にまるで響いていなかった。というか彼は、生徒たちを道徳のかけらもない人でなしかのように罵倒し、不登校になった担任がどれほど苦しんでいるかを気が済むまで語って満足気に帰っていったのだ。生徒たちが何に不満を抱えているか、何に苦しんでいるのかに耳を傾けるとか、今後このクラスが良くなるためにどうしていくとか、そういうことは一切言わなかった。生徒の大半は、開始早々彼の言葉に耳を傾けるのをやめたはずだ。子供だと馬鹿にしてはいけない。ちゃんと自分たちを助けてくれる人の声とそうでない人の声は聞こえ方が違う。
彼は怒鳴り散らかすことで一瞬教室に静けさを取り戻し満足した。しかしそれは、校長にはこの学校をコントロールできる、という事を彼自身が確かめるためだけの行為であって、僕たちはその八つ当たりのとばっちりを受けただけだったのだ。
説教が終わって校長が出ていって、ようやく僕は顔を上げた。座席が最後列であるのをいいことに、友達に借りたライトノベルを机の下に隠して読んでいたのだ。隣の席をちらりと見ると、栞は明らかに怒った顔をしていた。僕が大丈夫?と声をかけたとき、彼女はその言葉を口にしたのだ。
世の中を冷めた目で見ているのがかっこいいと思っていた中学生の頃の僕は、それを聞いても、いや、大人ってみんなそんなもんだろ、と返すことしかできなかった。栞が怒りに震えていた理由もわからなかった。案外子供っぽいところがあるな、とか、そんなことを思っていて、何もわかっていなかったのは僕の方だったのだ。
今なら理解できる気がする。年を取るにつれ、膨大な情報量が当たり前のようになった僕たちは、短い真実の言葉では物足りなさを覚えるようになってしまった。だから回りくどい言い方をしてみたり、言わなくていいことを言ってしまったりする。そうやって言葉が薄まっていくうちに、本当に語るべき言葉がすり抜けて行ったりしてしまう。あの時校長も、最初は僕たちを更生させようとまっとうに意気込んでいたのかもしれない。でも自分の演説に酔い始め、場を支配していると勘違いしたときに、本当に大切なことを忘れてしまったのかもしれない。君たちは間違いを犯した、だけどやり直せる。そう言ってくれるのをきっと生徒たちは心のどこかで待っていたのに、うっかり生徒を批判しすぎた校長は後に引けなくなった。人を責めるのは簡単で、きっとストレス発散にもなるのだろう。相手が太刀打ちしようのない子供ならなおさらだ。赦すことははるかに難しい。でもそれが、校長の本来の仕事で、そこから逃げた彼は栞の言葉を借りて言うなら、嘘つきだったという事だ。
中学生の頃の同級生、しかも卒業後は連絡一つとっていない人の事を、何度も何度も詳細に語って、きっと気味が悪いという人もいるだろう。良くわかる。自分でも相当気持ち悪い奴だと思う。そう思いながらも、結局何年経とうと僕は彼女のことを忘れることができないままでいる。ふとした瞬間に彼女の思い出がよみがえっては、今更考えても仕方がないその言葉の意味なんかを噛み締めるのだ。
この辺にしておこう。話の切り上げ時がいまいちつかめていないのも、僕が今後直すべきところだ。自己紹介と銘打ったのだから、最後に好物の話でもしようと思ったのだが、これと言って飛びぬけて好きなものもないという困った人間なのだ。ただ、別に特別好きというわけでもないけれど、人生で断トツで食べているご飯のお供がある。お分かりだとおもうが、納豆だ。
納豆ご飯とレトルト味噌汁 編網のに @sakuya39
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