第10話 退魔の翼と、真の名 3
「柊耶!」
俺の腕に手を乗せていた柊耶が黙って頷く。
俺に触れていれば映像を共有できると知っている柊耶の行動は早かった。
「黎くん、行き先に見当は?」
「……分からん」
「落ち着いて、黎くん。――捜そう」
柊耶に頷きを返し、俺は婆様の部屋へと向かう。
もう休んでいるかと思いきや、婆様の部屋には灯りが点っていた。
婆様が部屋から出て来る。
「黎、脩悟に形代は持たせたのかい?」
「はい。……でも、多分、鞄の中です」
「鞄は置いていった?」
「鞄から手を放した瞬間に消えました」
しかめっ面で早口になる俺を落ち着かせるように、婆様が肩に手を乗せる。
「形代に脩悟は、一瞬でも触れたんだね?」
「はい」
「……二人とも、部屋にお入り」
俺と柊耶は、婆様の後に続いて部屋に入る。
部屋の中央にある卓上には、式神を操る術式が書かれた和紙が置かれていた。
「黎、この紙に手を乗せて。八咫烏、お前の力を借りるよ」
黙って婆様の指示に従った俺の脳裏に、学校から少し離れた街並みが映し出された。
かなり上空のその景色は、ゆっくりと西へと移動する。
繁華街の外れ、細いビルの上空から、視点は地上へと向かった。
ビルの三階の窓、その一つで視点が止まる。
「婆様!」
「そこだね。黎、柊耶を連れて跳べるかい?」
「…………行きます」
正直、自信はない。
もしも失敗したら――
「黎くん」
柊耶の落ち着いた声が俺の背中から聞こえた。
「シュウくんのいる所まで、行けるの?」
「…………」
「行けるなら、行こう」
「…………柊耶、本当は……無事に跳べるか自信がない」
「大丈夫だって、そんな気がする」
いつもあまり表情の変わらない柊耶がぎこちない笑みを作る。
迷っている時間はないかもしれない。
だけど……
「シュウくんを、助けに行こう」
柊耶の声に、ようやく顔を上げた。
口の中に鉄の味が広がる。
婆様が差し出したお茶を一息で飲み干し、息を吐く。
「柊耶、失敗したらごめん」
「平気。信用してるから」
俺は柊耶の腕を掴んで、跳んだ。
「ねぇ、なんで『うん』って言わないのぉ? 脩悟くんはぁ、サチの王子様なんでしょおぉ?」
「……何を言っているのか分からない」
「はああ? 何でわかんないかなぁ? 特別な存在に選ばれたサチがさぁ、脩悟くんを選んだんだよぉ? 光栄に思うとこでしょぉ?」
「特別な存在とは何だ?」
髪を耳の下で二つに結んだ女がぐっと顎を反らす。
その背にはボブヘアの女がいて、顔だけを覗かせている。
シュウは椅子に座って両手を後ろで縛られている。すっと眼を細め、女たちを見据えた。
「この特別なマチ様にはぁ、すっごい加護があんの。その力でサチの願いを叶えてあげるんだぁ。だってぇ、マチとサチは親友だしぃ」
「……そんな紛い物の力で何が出来るというんだ?」
女の眉が異様なほどに持ち上げられる。
怒りで顔が朱に染まった。
柊耶とともに跳んだ俺の頭に、一瞬で凝縮された映像が流れ込む。
俺たちがこの場に到着する直前の状況を、八咫烏が見せてくれたのだろうと思った。頭がくらくらする。
「な――! あんたたち、どこから……」
「黎! 柊耶!」
シュウの胸ぐらを掴んでいたお下げの女が慌てたように身を引く。
俺の手から離れた柊耶が一瞬でシュウの元へと駆け寄り、シュウを庇いながら縛られていた縄を解いた。
俺はまだ酔ったような頭をぶんっと振り、女たちを見た。
(何だ? この気配が飛縁魔か? いや、それだけじゃない……何かもっと別の……)
お下げの女とボブの女、二人から二つの気配が沸き上がる。
「黎くん、シュウくんは確保したよ」
「よし、柊耶、シュウを連れて逃げてくれ」
「……無理かも」
「柊耶?」
「いくら悪霊憑きでも、僕に女性は殴れない」
だよなー。
俺は思わず天を仰ぐ。
柊耶もシュウも、絶対に女性に手を上げない。
(俺が除霊するしかない。でも俺に、制御できるか?)
意を決してゆっくり深呼吸すると、俺は九字の印を結ぶ。
「臨める兵、闘う者、皆、陣をはり、列をつくって前に在り。急急如律令」
ばん! とコンクリートの室内が揺れる。
一瞬ののちに窓が外側に吹き飛んだ。
「黎くん!」「黎!」
「……悪い、今の俺はちょっと――お前らは何とかして逃げてくれ。制御出来ない俺の術に巻き込んでしまう」
刹那、交差した柊耶とシュウの視線が、笑みと共に俺に向けられる。
「黎くん、任せた」「黎、信じているぞ」
ひゅっと喉が鳴った。
マジか。
護法の結界すらコンクリートの室内を破壊し始めているのに、俺に任せる?
ヤバい。
絶対、失敗出来ない。
柊耶、シュウ、お前たちに何かあったら……
「……黎くん、退魔の翼が来るよ」
柊耶の言葉に俺は眼を見開いた。
……何の事だ?
頭の中に婆様の声が響く。
『黎、術を発動する時、名乗りを上げなさい。『如月』の名の方だよ』
――は?
ごくりと唾を飲み込む。
俺の名――宮守黎ではなく?
唇を噛みしめ、俺は不動剣印を結ぶ。
「如月黎士郎、請願。降臨せよ、不動明王」
ごおっ、と音を立てて室内が炎に包まれる。
同時に俺の視界が金色の翼で覆われた。
鳥のような翼は二人の女たちに向かい、声を上げて顔を覆った女たちから黒い影のような物が切り離された。
「黎くん!」
俺の視界の端で柊耶がシュウを抱えるように蹲っている。俺は柊耶に手を伸ばした。
柊耶の力の気配を俺の左手がなぞる。
柊耶には自分より低次元の存在は手出し出来ない。
それは、柊耶の魂がとても高次元にいるから。
(……柊耶、お前の力、借りるぞ)
柊耶の気配と同じ力を発動するための能力は、俺の中にあるはず。そのための訓練を重ねてきた。
女たちから黒い影を切り離した金色の翼が翻り、俺の方へと向かってくる。
両手を向けると、金の翼は手の平に吸い込まれた。
俺の力と柊耶の気配が、俺の中で一つになる。
「降魔、調伏!」
爆発するような光が溢れた。
眩んだ視界の隅で、柊耶がシュウに覆い被さっているのが見えた。
(柊耶……シュウ……)
ゆっくりと沈む意識の途切れる直前、親父様の笑顔が見えたような気がした。
「黎、元気かー?」
勢いよく襖を開けたカイが飛び込んでくる。
「……お前な、いきなり入ってくんなよ」
「だってな、襖じゃノックできねーし」
「声を掛けろ。お前の無駄に高いコミュニケーション能力を活用するべき所だろ」
布団から起き上がった俺に軽く手を上げて、カイが布団の傍に座った。
「……カイ、あのな」
「んー……シュウに何があったのかは聞きたいけど聞かない」
「……?」
「柊耶が『本当に聞きたいの?』って言ってたから、多分俺の苦手な分野かなーって思ってな。全部解決したって聞いてるし、それでいいや」
くしゃりと笑うカイに、何だか胸が痛くなった。
多分、カイは俺の能力にうすうす気付いている。
だけど、絶対その事は口にしない。
俺から話すのを待ってる――そんな気がした。
「あのさ、カイ」
「んー?」
「俺の本当の名前、如月黎士郎って言うんだ」
「……宮守黎じゃなく?」
「俺、養子なんだよ、宮守家の。養子になった時、名前を変えられた」
カイはきゅっと口を閉じ、真顔になる。
聞いてもいいのか? と眼が訴えている。
相変わらず真面目な奴だ、と思いながら俺は笑った。
「本当の名前を捨てるために、俺に『宮守黎』を名乗らせたんだと思ってた。でも違ったみたいだな。――多分、本当の名前を隠すために婆様に与えられたんだ」
「……真名、とかいうやつ?」
「……よく知ってんな、カイ」
「だったらさ、余計、俺に話しちゃダメだろ」
「いいんだよ、お前は」
「…………」
「いつか、シンにも話す」
「シュウと柊耶は知ってんの?」
俺が頷くと、カイは不機嫌そうに口を尖らせた。
幼馴染みの柊耶はともかく、シュウが自分より先に知っていたのが気に入らないらしい。
「いつかお前には、全部話すよ。俺のこと」
柊耶はきっと、このままうちの組織に入るだろう。
シュウは『サトリ』の力の制御のために組織から人員を派遣する手筈になっている。
未だ制御出来ない俺の力。
当主になるなんて柄じゃないとは思っている。
だけど、カイの卓越した観察力と分析力、類い稀なコミュニケーション能力は欲しい。
それとシンの力だ。高二で既に取れるだけのPC資格を取りまくっているシンは、祖父が寺の住職をしている。
本人は気付いていないが、祖父がこっそり付けたらしい強力な護りがついている。何より、シンの知識が欲しい。
あのビルの一室に現れた金色の翼は、婆様の念を乗せた俺の八咫烏だった。
婆様の守護は金の梟。その力を借りたらしい。
失恋した程度で制御出来なくなるような、そんなろくでもない俺の能力だけど、今回の一件でよく分かった。
俺には、護るべき人がいる。
婆様が俺の名を伏せる事で俺の力を護ってくれたように、俺は今いる友人たちや次の世代を護り育てる事を求められている。
まだまだ俺の道はこれからだ。
「こんにちはー……あ! カイくん! 一緒に行こうって言ってたのに、何で先に飛び出して行っちゃうかな?」
「シン、カイはいつもの事だ。気にするだけ無駄だぞ。――黎、体調はどうだ?」
腰に手を当てて怒るシンと、シンを宥めるシュウ、そしてそんな二人を見守る柊耶が入ってくる。
いつもの光景に、俺は心から笑顔になった。
別宅にある道場で、俺は親父様と向き合っていた。
「黎、体調は戻ったようだな」
「親父様、心配掛けました。……あの時、俺を助けに来てくれたのは親父様ですか?」
「ああ。当主の資格はなかったが、これでも実働部隊を率いているからな」
俺は手にした木刀を身体の横にだらりと下げ、親父様を見つめる。
「……親父様に当主の資格がないって、誰が決めたんですか? 俺には充分に相応しいように思えます」
「……そのうちお前にも分かる。当主の選定は、ちょっと特殊なんだ。――黎、真琴が済まなかったな」
「……」
「あいつが選んだのは、何の霊能力も持たない一般人。だが、家のために相手を制限することは俺には――」
親父様の言葉に俺は、遮るように木刀を振り上げる。
「俺の役目は真琴を護ることじゃない。俺には多分、別の役割がある」
「――そうだな。黎、後の事は頼んだぞ」
腰だめに構えた親父様の鋭い剣筋を、全身に力を込めて受け止める。
三年後、親父様は俺に免許皆伝を授けた直後に鬼籍に入った。
真琴の娘、俺の小さな姪が産まれて僅か一週間後だった。
巫たちの舞台裏 檪木 惺 @show-ichinoki
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