第9話 退魔の翼と、真の名 2
「久しぶりだね、脩悟、元気だったかい?」
「……婆様、元気じゃないからここに連れて来たんだよ」
「いや……琴音様、ご無沙汰しています。俺は元気です、身体だけは」
苦笑するシュウに、婆様は分かっている、と言うように頷いた。
口元を笑みの形にしたまま、俺に視線を向ける。
「それで、精神感応の反応があるって?」
「いや、多分だけど……一方通行らしいんだ。周りの声を拾うだけ、そんな感じ」
「……拾う?」
「俺からシュウへは意識が伝わる。だけどシュウからは何も届かない」
ふむ、と眼を伏せ、婆様はお茶を啜った。
何か考えを巡らせるように視線が揺れる。
「黎、『サトリ』って知ってるかい?」
「……山で出会う妖怪。人の表層意識を読む――婆様?」
「脩悟、最近何か、嫌な感じのする物をもらっていないか?」
焦る俺を置き去りに、婆様がシュウに尋ねる。
シュウは、はっとしたように目線を上げた。
「誰かは知らないが、靴のロッカーに――」
「何が入っていた?」
「御守りだ」
即座に畳み掛けた俺は、思わず額を押さえる。
うちの学校のロッカーは全て鍵が掛かるもので、容易に何かを入れる事は出来ないはずだった。
御守りなら隙間から無理やり捩じ込んだか、と思ったが、シュウの差し出した御守りは隙間から入れられるような代物ではなかった。
シュウからその御守りを受け取ろうと手を伸ばした俺は、婆様に遮られる。
「触れてはいけないよ、黎。脩悟、それをここに置いておくれ」
そう言って婆様は小さな盆を差し出した。
盆に置かれた御守りは少し離れた街の神社のものだ。
「黎、【狐の窓】を使いなさい」
婆様の声に、俺は急いで両手の指を組み合わせる。
人に化けた妖怪の正体を暴くとされる【狐の窓】は、その使用に対して厳重に制限されていた。
本当に妖怪が化けていた場合、この方法だと相手にバレてしまうためだ。
今回は御守りという無機物が対象なので、特に気負いもなく【狐の窓】を覗き込んだ俺は、意図せず唸り声が漏れてしまった。
「何が視えた?」
「髪の毛と血痕、呪符――婆様!」
「ふむ……柊耶は何と言っていた?」
「『
婆様が、ぎゅっと眼を閉じているシュウにちらりと視線を動かした。
しまった。
こいつはものすごく怖がりだ。
俺は自分の迂闊な発言に舌打ちする。
「脩悟、怖がらなくていい。周囲の声が聞こえるのは、多分お前の身体の防御反応だろう。黎、抑えてあげなさい」
「……は?」
俺は面喰らって間抜けな声を上げる。
俺にそんな能力はない。
縋るようなシュウの視線と、婆様の意味ありげに細められた眼を見て、ようやく気付いた。
「分かった。――シュウ、俺の眼を視てろ」
身体中に力を入れたシュウが、俺の眼を覗き込む。
肩をぽんぽんと叩いて身体から力を抜くように促す。
「シュウ、お前には何も聴こえない。だから、安心しろ」
シュウの潜在意識に語り掛けるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
防御反応でおかしな力を発揮したシュウの深層意識に、俺は暗示を掛けた。
朔の警備部門のおっちゃんが得意とする暗示は、俺にはまだ上手く出来ない。内心、冷や汗だらだらの俺は、必死にシュウの深層意識に語り掛ける。
ほんの僅か、焦点が揺らいだように見えたシュウが、大きく息を吐き出した。
「……どうだ?」
「聞こえなくなった……」
少し呆然とした顔のシュウの肩に手を乗せ、俺は大きく項垂れた。
成功してよかった。
いや、マジで、今、調子悪いし。
何だか力が暴走気味で親父様にも迷惑かけてるし。
「じゃあ、次だ。――脩悟、これは誰からの贈り物なんだい?」
――その問題が残っていた。
「じゃあ、シュウくんは昨日、黎くんちに泊まったの?」
「そう。まだ怖がってたし、怖がらせたのは俺のせいだしな」
「その御守りとやらは? どうしたの?」
「うちの陰陽道に長けてる術師が焚き上げるって」
「……護摩焚きするほどの呪符だったのか」
翌朝、早めに登校した俺は柊耶を待ち受けて昨日の顛末の説明をした。
シュウの身体に起こった『サトリ』の現象には婆様も首を捻っていた。これまでそんな前例はないそうだ。
婆様の提示した対処法は、柊耶に、常時シュウに張り付いてもらう事だった。
柊耶には霊も念も寄り付かない。一見、名案に思えるが、シュウとはクラスが違う。
すぐ隣のクラスとはいえ、常時一緒にいることは出来ない。
そう反論した俺に、婆様は事も無げに言った。
『呪符が消えれば術師には分かる。だけど術師もすぐには動けないはず』
普通に考えたら、授業中に何かしでかす事はないだろう、というのが婆様の意見だった。
呪いを掛けようとするような奴に常識を求めても無駄な気がしたが、シュウを休ませる訳にもいかない。
俺には生まれた時から俺を護る存在がいる。
三本脚の八咫烏だ。
千里眼を持つ八咫烏にシュウを見張らせ、俺は大人しく授業を受けることにした。
……ずっと見張ってるとか、疲れるんだけど。
昼休みは弁当を持ってシュウのクラスに突撃した。
婆様に『みんなで食え』と三段重ねの重箱を持たされたからだ。
学食に行こうとしていたカイと弁当を持参していたシンも巻き込む。
柊耶はうちの飯が気に入っているので、喜んで付いて来た。
「それで、シュウがあの女を誘ったとかいう誤解は解けたのか?」
「大丈夫だ。化学準備室の外鍵を職員室に借りに来たのが、俺とは無関係の女子生徒だと記録に残っていた」
「へー。記録に残るような真似をしといて、シュウが誘ったとかほざくわけ? その子、何がしたいんだ?」
カイの意見には俺も全面的に同意する。
すぐにバレるような嘘をつく理由が分からない。
まさか、ただの馬鹿って事はないだろう。
「……シュウくんと付き合いたいのに、シュウくんを陥れる? ほんとに何がしたいんだろうね」
「お? 天才のシンにも分かんねーのか」
「カイくん、ふざけてる場合じゃないよ」
すごい勢いで重箱の中身が減っていくのを眺めていると、唐揚げを箸の先に行儀悪く突き刺した柊耶がぽつりと呟いた。
「シュウくんを孤立させるため……?」
「「「「え?」」」」
全員の声が揃った。
いやいや、まさか。
「いやいや、まさか!」
カイの声が、俺の心の声と同時に発せられる。少し驚いた。
「そうだよね、そんな事で孤立するとか、あり得ないよ」
「だよなー、シュウが纏わり付かれてたのはクラスでも有名だったんだろ?」
「うん。特に女の子たちにはね。『あんな頭の悪そうな女に付き纏われて可哀想』って囲まれてたし」
「シン、余計な事はいい」
「おっと、ごめんね。でも、そんな事で孤立って――」
「孤立させられるって思い込んでいるよ、あの女は。誰も味方がいなくなったシュウくんに、自分だけが味方のような顔で近付く」
箸に刺したままの唐揚げを、柊耶がシンに向ける。
その行儀の悪さを咎めようと口を開きかけ、俺は固まった。
廊下側の窓から二人の女がこちらを凝視している。
「……柊耶」
「…………あぁ、来たね」
「え? あれがその――」
俺と柊耶の視線に気付いたカイが目線だけを廊下に向けた。
きゅっと不快そうに眉を寄せ、俺の耳元で囁く。
「中にまで入っては来ないよな?」
「問題ない。柊耶が居るからな」
「え?」
俺の言った意味が分からないカイの口に、大きな卵焼きを突っ込む。
「シュウ、振り返るなよ。凄い形相で睨んでる」
「……何故、睨まれるんだ? 被害を受けたのはこっちだぞ」
「自分が悲劇のヒロインだと思い込んでいる奴に、常識を求めても無駄だ。とにかく関わるな」
「……分かった」
睨んでいるだけじゃなかった。
廊下から教室にいるシュウの背中に睨む二人からは、怨みに近い念が放たれている。
その念は柊耶の周囲で霧散していくが、二人の女たちはそれも気に入らないらしい。
柊耶のせいで念が届かない、とまでは分かっていないようだが。
昼休みが終わる頃、婆様の式神が俺のポケットの中でぶるりと震えた。
あの呪符の入った御守りの焚き上げが終わったらしい。
俺はほんの少しほっとした。
だけど油断するべきではなかったんだ。
その日、シュウの家まで送って行った柊耶がうちに泊まりに来た。
毎週のようにうちに泊まっていく柊耶には、ほとんど専用になっている客室がある。
シュウを送り届けた時に尾行していた二人の様子を報告した柊耶が、俺に背を向けて客室に向かおうとして、ふと動きを止める。
「……黎くん、嫌な予感がする。ちょっと、シュウくんの様子を確認出来る?」
柊耶の言葉に、俺は凍り付いた。
再び柊耶に促され、俺は慌てて八咫烏の眼を確認する。
灯りが付いたままの、無人のシュウの部屋が映し出された。
(
シュウが部屋に入って来る。
入り口にある室内灯のスイッチを入れ、窓際にある机に向かう。
鞄を机に置いた瞬間、シュウの姿が消えた。
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