第8話 退魔の翼と、真の名 1

「黎、ちょっと相談があるんだが」


 そう言って俺を呼び止めたのは、神野じんの脩悟しゅうご・通称シュウ。隣のクラスだ。

 高一の時に同じクラスだったシュウとは、二年生になった今でも仲がいい。

 帰宅するために鞄を肩に掛けたまま、振り返る。


「今日? 婆様に呼ばれてるから急いでるんだけど、緊急か?」

「いや……そうか、じゃあ今度でいい」

「……? 悪いな、明日なら時間取れると思うから」


 いつも爽やかに笑っているシュウが、少しやつれているように見えた。

 そういや、ここ数日、見掛けてなかったな。

 目の下に隈も出来ているように見える。


 軽く手を上げて背中を向けたシュウをちょっと複雑な気持ちで見送り、俺は急いで自転車置き場に向かった。


 本当は婆様の呼び出しを無視したい。

 シュウの様子が心配だ、という訳ではなく、単に婆様に呼ばれた理由がわかっているから。



 俺の今の名前は、宮守みやもりれい。幼い頃にこの家、宮守家に引き取られた。

 両親は健在。兄弟もいる。特に交流を制限されてもいない。

 俺には物心ついた頃には霊が視えていた。

 両親にはそんな能力はなく、遠縁の宮守家が俺の能力を見込んで養子にしてくれた。


 宮守家は霊能力に長けた徐霊師の家系で、呪術も得意としている。

 当主である婆様、宮守琴音とその息子である俺の義父、そしてその一人娘と俺の四人が、無駄に広い屋敷に住んでいる。


 義父は居合の師範をしていて、やはり霊能力者だが、一人娘の真琴は全くそんな資質はない。

 何故か義父には当主の資格がないそうで、婆様が俺に期待をしているらしいと義父に言われていた。


 多分、今日の呼び出しもそんな話なんだろうと考え、うんざりした。

 普段は学校から真っ直ぐに別宅に向かい、義父の道場で居合の稽古をして、本家には夜遅くなってから寝に帰るだけ。


 義姉である真琴に彼氏が出来てから、俺は義父以外とほとんど顔を合わせていなかった。

 だからこそ、わざわざ婆様に呼ばれた訳だ。


 自転車を本家の玄関前に止め、真っ直ぐに婆様の部屋に向かう。

 途中で真琴が何やら声を掛けてきたが、小さく手を振って廊下を小走りに進んだ。


 部屋の前で正座し、中に向かって声を掛ける。


「婆様、黎です」

「待ってたよ、お入り」


 返事を待って障子を開ける。

 七十を過ぎてもぴしりと凛々しい当主が鎮座していた。


「黎、そろそろお前に、当主としての訓練を始めようと思う」

「お断りします」


 婆様の言葉に被せ気味に返す。

 俺の応えを予測していたかのように、にやりと笑われた。


「一応、理由を聞こうか」

「俺では役不足です。力は大きいかもしれませんが、制御出来ない。これでは当主としては失格かと」

「突然、制御出来なくなったのに心当たりは?」


 ――知っているだろう。

 そう言いたくなる気持ちを飲み込むように口元を引き結ぶ。


「俺は所詮、傍系の血筋です。直系の真琴が産むだろう子供を、当主にして下さい」

「……お前はどうする?」

「親父様の道場の手伝いでも、さくの実働部隊でも、道はあります。俺は当主にはならない」

「随分と頑なだね」


 当然だ。

 真琴が他の男と幸せに暮らすであろうこの家には居たくない。俺はそこまで心の広い男じゃない。


「……話は、それだけですか?」

「――黎、お前は……」

「婆様、ご期待に沿えず、申し訳ありません。ご恩を忘れず、精進させて頂きますので、これにて失礼させて頂きます」


 早口に告げて、俺は深く頭を下げる。

 頭上で小さな溜め息が聞こえた。




「おはよー、黎」

「……はよ」


 背後から首に巻き付けられた腕を乱暴に引き剥がす。

 暑苦しい挨拶は、同じクラスの甲斐かい大和やまと・通称カイ。

 駅名のような名前が気に入らないから、とフルネームで呼ばれる事を嫌がる、見た目の割に繊細な男だ。

 ただし、うるさい。


「なあ、シュウの話、聞いた?」

「……何の?」

「なんかさ、ちょっとおかしな女に付き纏われているらしいぞ」

「…………は?」


 カイの言葉に俺は間近にあった顔を覗き込む。

 口元は笑っているが、眼が笑っていない。


「おかしい、って、どんな?」

「自分とは運命の絆で結ばれているとか、周りの友人たちも巻き込んで外堀を埋めてるとか……この間は騙されて呼び出されたらしい。化学準備室で外鍵を掛けられて閉じ込められたって」


 囁くように小声で話すカイに向かって思い切り眉間に皺を寄せる。


「それ、冗談で済む話じゃないだろ。……シュウはどうしたんだ?」

「窓から飛び降りた」

「は? 化学準備室って三階……」

「よく無事だったよなー。上手いこと灌木がクッションになったらしいけど」

「それって、先週の水曜日?」


 俺の前の席に、柊耶が反対向きに座る。忍足おしたり柊耶とうや、俺の小学校からの親友だ。


「柊耶、知ってんの?」

「落ちて来たのを見てたから」


 なるほど、と納得した。

 柊耶にはちょっと不思議な力がある。

 幼い頃から霊能力と共に念動力サイキックの訓練をさせられていた俺を見ていた柊耶は、見よう見まねで同じ力を発揮した。


 それは念動力と呼ぶにはあまりに異質で大きな力だった。

 その力を目の当たりにした婆様は、その力を念動力ではないと認定した。

 もっと大きな、高次元の神の手による所業だと。


 俺の念動力は、物を動かす場合、まずその物を手で掴むイメージをする。手に力を加えて持ち上げ、移動させる。更に降ろすために力を加え、目指す場所に置いたら手を放す。

 だが、柊耶は違った。


 動け、と思うだけで一連の過程をすっ飛ばして動かしてみせた。


 三階から飛び降りたシュウの近くに柊耶がいたなら、無事でいることは当然だと思えた。


「じゃあ、一緒に閉じ込められたって女、柊耶も見たのか?」

「窓から何か叫んでた子かな? 見ていないよ」

「……見なかったのか?」

「必要ないと思ったから」


 カイの問いに柊耶があっさりと返す。

 柊耶は人付き合いが得意ではないが、滅多に人を嫌ったり悪く言う事はない。

 なのに、こんな言い方をするという事は――


「柊耶、気配は?」

飛縁魔ひのえんま


 間髪入れずに返ってきた応えに、俺は首を傾げる。

 柊耶は悪霊などの気配を、その性質で見分ける事が出来る。

 本人に霊視の能力はなく、ただ気配を感じるらしい。


 その柊耶が『飛縁魔』と言ったという事は、シュウに付き纏う女には悪霊の気配があったという事。

 それを一瞬で見抜いた柊耶は、その女に悪感情を抱いたという事だ。


「……男を喰らう妖怪かよ……」

「なぁ、何の話? 俺の嫌いな怖い系じゃないよな?」


 一気に蒼褪めるカイに笑って首を振ってみせる。

 わざわざ怖がらせるつもりはなかった。


「カイ、その女の話はシュウから聞いたのか?」

「いや、シンからだ」


 シン――七海ななみ稜眞いっしんはシュウと同じ、隣のクラスだ。

 俺と柊耶、カイ、シュウ、そしてシンは一年の時同じクラスで、たまたま音楽の話で盛り上がったのを切っ掛けにバンドごっこをしていた。


「シンがさ、事あるごとにシュウの顔を見に来るその女を警戒していたらしくてな。『何だか、嫌な感じの子なんだよねー』って言ってたんだ」

「どう、嫌な感じなんだ?」

「目付きと言動がおかしいらしい。オカルトかぶれって言うか、『自分には特別な力がある』みたいな事を言ってた……んだったかな?」


 柊耶とシンから同じ認定を受けたと思われる女――これがシュウの『相談』だとしたら。


(……ちょっと、まずいかな)


 婆様に告げたのは、嘘でも方便でもなかった。


 ――今の俺は、力が制御できない。




「シュウ!」


 帰り支度を整えた俺は、隣のクラスに飛び込んだ。

 素早く見渡すが、シュウの姿はない。


「あれ? 黎くん、どうしたの?」

「シン、シュウは? もう帰ったのか?」

「担任に呼ばれてたよ。もうすぐ戻ると思うけど。鞄はあるし」


 シンの言葉に、俺は肩の力抜く。

 シンとシュウは学年に一クラスしかない特進クラスだ。進路指導か何かなのだろう。


「そんなに慌ててどうしたのさ。あ、あれ? ストーカーの話、聞いたの?」

「うん、カイから聞いた。昨日、シュウからも相談があるって言われて……」

「そっか。……多分、そろそろ来るよ」


 何が? と言いかけて、俺は背後の気配にぞくりとした。

 ――何か、いる。


 俺の後ろから声が聞こえた。


「ちょっとぉ、サチ~、脩悟くん、いないよぉ」

「え~……一緒に帰ろうって約束してたのにぃ……」

「いいじゃん、お詫びしてもらえばぁ。なにかさ、おねだりしちゃえー」

「んー、でもぉ……」

「脩悟くん、医者の息子だしぃ、サチにだったら何でも買ってくれるよぉ。サチにぞっこんなんでしょぉ?」

「うん、えへへ……」


 ざわり、後項の毛が逆立った。

 振り返る事が出来ない。


 とん、と肩に手が置かれた。その途端、嫌な気配が遠退く。


「黎くん、大丈夫?」


 肩越しに背後から俺を覗き込んだのは柊耶だった。

 柊耶は、あらゆる霊や念を寄せ付けない。深い闇を湛えたようなその瞳に、俺は心底ほっとした。


 背後にいた女たちが、肩を寄せ合いながら足早に去っていくのが見えた。

 柊耶の不思議な力は、悪霊を寄せ付けないだけではなく、悪意を持った人間すら遠ざける。

 そのせいで、柊耶の不思議な力を不気味に感じた母親からも毛嫌いされていた。


「……柊耶、あの女か?」

「そう。ボブヘアの方だね」


 髪を二つに分けて結んだ女と、制服の襟に掛かる程度で切り揃えられたボブカットの女。

 飛縁魔と、もう一体。

 二人の背中を凝視した俺は、大きく息を吐き出した。




「あ、黎、俺を待っててくれたのか? 悪い、担任に呼ばれてたんだ」

「いいよ。――進学先の話か?」

「いや、先週の……」

「……あー、閉じ込められたとかいう話?」


 納得して頷いた俺を、シュウが恨めし気に睨む。


「なんで俺が睨まれる?」

「……俺が誘ったと……」

「……は?」

「俺に誘われて鍵を掛けられたと、そう訴えたそうだ」

「…………あの女が?」


 シュウが黙って頷く。


 どういう事だ?

 シュウを手に入れたいなら、その訴えは逆効果だ。

 陥れたいとしか思えない。だったら何故、付き纏う?


「黎、俺は――」

「……?」

「……俺、おかしくなったのかもしれない」

「……どうした?」

「…………」


 俯いたまま、シュウの拳が白くなるほど強く握られている。

 柊耶とシンを先に帰らせるべきではなかったか、と思いつつ、シュウの背中に手を当てて教室を出るように促す。


 シュウの背中に触れた途端、俺の耳には籠ったようなたくさんの声が聞こえた。


(――!)


 これは――精神感応?

 指向性を持たせずに漫然と精神感応を発動させた時の感覚に似ていた。

 シュウにそんな能力ちからは無かったはず。

 驚いてシュウの顔を覗き込むと、不安そうに揺れるシュウの瞳と眼が合った。


「シュウ……お前……」

「黎、助けてくれ。ずっと、誰かの声が聞こえるんだ」

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