第7話 正義の味方と、最初の出会い

「それで榛冴、俺はどうしてこんなに走らされているのか、教えて欲しいんだけどな!」

「あいつらから逃げるため! 他に理由がある?」

「だから何で逃げてんのか、説明しろよ!」


 俺と榛冴は、現在、両手の指では足りない数の男たちに追い掛けられている。



 のんびりと定期テスト明けの休日を楽しもうと猫広場に向かっていた俺は、進行方向から走ってくる従兄弟の榛冴を見つけた。


「おーい、榛冴、何やって――」

「采希兄さん! 逃げるよ!」

「は? お前、何を……」

「「「待て、こらぁ!!」」」


 榛冴の背後には、派手な髪色やら、じゃらじゃらしたアクセサリーを付けた男の集団がいた。

 俺の横を通り過ぎながら腕を掴んだ榛冴に引かれるまま、俺も走り出す。


 従兄弟の榛冴は高校一年、この春に俺とは違う高校に進んだばかりだった。


 俺と従兄弟の凱斗は家から少し離れた進学校に、弟の那岐と従兄弟の琉斗はスポーツの盛んな高校にそれぞれ通っている。

 榛冴だけが一人、少し離れた高校に電車で通っていた。


 だから榛冴の交遊関係は知らないが、少なくとも鼻ピアスをしているような方々とお付き合いのあるタイプではない。それは断言できた。


(……これは絶対、揉め事に巻き込まれたパターンだな。相手は十……五・六人ってとこか)


 二人対十数人では、苦戦は必至だ。

 どうにかして撒く事は出来ないだろうか。


 そんな事を考えていると、視界の先に見慣れた背中が見えた。


(凱斗だ!)


 咄嗟に人差し指と親指を丸めて、口に突っ込む。

 鳴らした指笛の数は短く一回、長く一回、そしてまた短く一回。

 指笛は俺たちの合図で、その意味は『ヤバいんで、助けて』だ。


 最初の指笛でこちらを振り返った凱斗は、俺と榛冴を追う集団を見送り、背後から小さく二回、指笛を返す。


『了解』


 凱斗が加勢してくれれば、たとえ喧嘩になっても多分負ける事はない。

 那岐と琉斗がいれば楽勝だったんだけど――まあ仕方がない。


「ひとまず、撒くぞ、榛冴!」



 * * * * * *



 幼い頃から、正義のヒーローが大好きだった。

 たった一人で悪に立ち向かう、そんなヒーローに、自分もなりたいと思っていた。


「ヒーローごっこ、しようぜ! 俺はレッドな!」


 双子の兄である凱斗が母屋に駆け込んで来た。

 俺と従兄弟の采希、采希の弟の那岐は、祖母に頼まれて障子貼りの手伝いをしていた。


「これが終わったらね」

「えー、采希、すぐ終わる?」

「凱斗が邪魔しなきゃ終わるよ」


 ぶつぶつと呟きながら祖母の部屋を出て行く凱斗に、俺は少し不満な顔をしてしまった。


「琉斗兄さん? 凱斗兄さんにも手伝わせたかったの?」

「ううん。凱斗がいたら邪魔すると思うから、いいんだ。ただ……」


 那岐から眼を逸らした俺に、采希がちらりと視線を向ける。


「琉斗は戦隊ヒーローごっこが好きじゃないんだろ?」

「そうなの、琉斗兄さん?」


 驚いたように那岐が俺を見つめる。



 小学二年生の時、俺たちの父親は亡くなった。

 その時から俺たちは祖母の家で伯母や従兄弟たちと暮らす事になった。

 兄の凱斗は五人揃ったんだから、と、戦隊ヒーローごっこをしたがるようになった。

 五人だと悪役がいない、と反論した俺に、采希はぽつりと『仮想敵でいいじゃん』と言い放った。


『かそーてき、って何?』

『……そこに目に見えないヤツがいるつもりで戦えばいいんじゃない?』

『そっかー、それでいいな!』


 兄と采希の会話に、自分たちに比べて采希が凄く賢いと思ったのを覚えている。



「別に、嫌じゃないけど……いつも凱斗はレッドになるだろ? あいつばかり、ずるいと思って」

「…………」


 貼り終えたばかりの障子を立て、采希が霧吹きで水を吹き掛ける。


「レッドだけがヒーローじゃないだろ」

「采希?」

「戦隊ヒーローは全員がヒーローで、五人揃ってるからヒーローなんだ、と思うけど」

「そう、かな?」

「うん。誰か欠けたらヒーローじゃなくなるんじゃない?」


 そう言って笑う采希は、俺には静かに一人で立つヒーローに見えた。



 * * * * * *



「――で、何でこんな事になってるのか、説明してもらおうか」


 工場が並ぶ地域は、ほとんどが休日のため稼働していないようだ。

 広い駐車場の片隅に隠れ、榛冴に詰め寄る。


「いやー、あのガラの悪い連中に二人の女の子が絡まれていたんだよね。やっぱ、そういうのってほっとけないでしょ?」

「……何をしたんだ?」

「女の子たちに近寄って、『お待たせ! あれ? 僕の友達に何か御用ですか?』って言って、隙を見て逃げた」

「女の子たちは?」

「途中のファッションビルに駆け込ませたよ」


 そこはまあ、及第点かなと思う。

 真っ先に女の子を逃がした点は褒めてやろう。


「俺を巻き込んだのは?」

「僕一人じゃ、負けちゃうし。途中からびっくりするほど人数が増えてるしさー」

「……逃げ切ればいいだけの話だろ。巻き込むなよ」


「残念だったな、巻き込まれてよぉ。かくれんぼは終わりだなぁ」


 背にしていた壁の上からニヤけた顔が覗いている。

 慌てて立ち上がったが、車の止まっていない駐車場の入り口からばたばたと残りの連中が走り寄って来た。


「観念しようか、采希兄さん」

「榛冴、説教は後でたっぷりとな」


 首を竦めながら、榛冴が俺に鉄パイプを放って寄越した。

 壁から飛び降りて来た男の傍に走り込み、腹部に鉄パイプを叩き込む。

 榛冴も器用にもう一人の太い鎖のような物を掻い潜っていた。


「てめぇら! これでも俺たちに歯向かおうってのか?!」


 汚ない濁声に振り返ると、制服を着た少女が二人、男たちに囲まれている。


「あいつら……またあの娘たちに……!」


 榛冴の唸るような呟きが聞こえる。

 せっかく逃がしたのに、またあの子たちを狙ったのか、と思った俺は、頭に血が上るのを感じていた。

 人質にするなど、赦せない。


 俺たちの背後から現れた二人を叩き伏せた俺は、鉄パイプを下段に構えながら男たちの群れに向かって走る。

 真っ直ぐに捕らえられた少女たちのいる集団に飛び込み、近くにいた男たちを思い切り薙ぎ倒した。


「落ち着け、采希」


 肩がぐいっと後ろに引かれる。

 反射的に振り返ると、琉斗がいた。


「はいはーい、お待たせ! んー……一人頭、四人ってとこか? 琉斗、那岐、遠慮しないでやっておしまい!」


 ふざけた口調の凱斗が男たちの後方から現れた。

 その辺にあったと思われるブロック片をいきなり投げつける。

 それが合図であるかのように、琉斗が采希の傍から離れ、近くにいた男たちを拳で叩きのめす。

 何処からか現れた那岐は、すかさず少女たちの肩を抱いて俺たちから遠ざかって行った。


 ほんの十分ほどで、立っているのは俺たちだけになる。

 倒れた男たちの中でもリーダー格と思われる男の傍にしゃがみ込んだ凱斗が、何事か呟いて脅していた。


「采希、榛冴、怪我はないか?」

「琉斗兄さんこそ、顔はヤバいよ。母さんたちにバレる」

「……血が止まれば……」

「いや、バレるって」


 困った顔の琉斗に、俺は制服の内ポケットに入れていた絆創膏を取り出して渡した。


「お、ありがとう采希」

「いや、こっちこそ――止めてくれて助かった」

「ああ、凱斗がすぐに気付いてくれたからな。止まってくれて良かった」


 俺は時々、頭に血が上って酷く凶暴になるらしい。

 まるで狂戦士ベルセルクだ。ヒーローには程遠い。

 自嘲気味に吐き出された俺の溜め息に気付いた琉斗が、俺の肩に手を乗せて力を込めた。


「戦隊ヒーローは、五人揃っていないとな。誰が何色でも、五人で助け合うのがヒーローだ」


 子供のような琉斗のくだらない発言に、思わず琉斗の顔を見る。

 その眼には悪戯な光が宿っていて、まるで俺の心を読んだように思えた。


「だから、お前が熱くなったら俺が止める。俺が暴走したら、お前が止めてくれ」

「それは無理。凱斗に頼め」

「……凱斗だと、逆に凱斗を叩きのめしそうだな」


 会話が聞こえていたらしい凱斗が、こちらを恨めしそうな顔で振り返る。

 ようやく笑った俺は、怯えさせたであろう少女たちを榛冴に任せ、凱斗と琉斗を連れて家へと向かった。



 * * * * * *



「――という事件があったのは、覚えてる?」

「……もちろん覚えてる。じゃあ私が琉斗さんに助けてもらったのは三度目だったってこと?」


 眉を寄せる沙矢子に、亜妃がくすりと笑う。


「あんなに派手に助けてもらったのに、忘れるとか……琉斗さんも気の毒に」

「だって! ……怖くてずっと眼を閉じてたし……」

「あー、私もほとんどそうだったな。『もう大丈夫だよ』って手を差し伸べてくれた榛冴くんが王子様みたいに見えた」

「…………泣き過ぎてよく見えなかった……」

「あら、残念。五人とも、凄くかっこよくてさー、采希さんの尖った感じは今じゃ見れないかも。何て言うか、こう……冷たい刃みたいな雰囲気で――」


 怯えていた記憶しかない沙矢子は額を押さえて溜め息をつく。


『……大丈夫か?』

『もしあいつらがまた近付くようなら言って。今度こそ叩き潰す』

『采希兄さん、殺気はもう収めて。君たち、もう大丈夫だよ』


 ふと脳内に声が甦る。

 大丈夫か、その大人びた低い声にどくんと心臓が跳ねたのを思い出した。


 自分にとっての、ヒーロー。

 今度こそ、勇気を出して話しかけてみようと心に決めた。

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