第6話 眷属の事情と、巫たちの決意

 ゆるりと光に身体が溶ける。

 自分の肉体が消えていくのを、采希は不思議と穏やかな気持ちで受け止めていた。


 自分がこの世から居なくなる。

 死ぬことを望んでいた訳ではないが、怖くはなかった。

 自分の意識を覆う白い光の中には、金色の粒子が漂っている。

 後はこの魂が彼岸へと渡る前に、大神さまに力を還すだけだ。それで自分の果たすべき役割は、全て終わる。


 もう自分の身体は人として、その機能を保つことは出来なかった。

 代わりに巫女を取り戻せたのだから、それでいい。そう思っていた。


(出来れば、最後にもう少し話したかった……)


 笑顔も見られなかった、と思いつつ、泣かせたのは自分のせいだと改めて気付く。


《あんな別れ方では、巫女が気の毒だと思うが》


 背後から聞こえた声に咄嗟に身構えて振り返る。

 腕組みをして口をへの字にした武将が浮かんでいた。


「三郎? なんでここにいるんだ?」

《貴様に付いて来たのでな》

「いや、だからどうして付いて来たんだって聞いてるんだけど」

《貴様がこの地のため、そして巫女のためにその身を捧げるならば、儂も共に逝こうと思っての》

「……は?」

《随分と永く、この世に留まった。もう彼岸に渡ってもいい頃合いであろう。それに……》


 少し口籠って、三郎は眼を逸らす。


「いや、だけどな三郎、お前、あきらの眷属だろ?」

《瀧夜叉も一緒だ。ここにるぞ》

「……あきらの所に戻れって、言ったじゃん」


 にやりと笑う武将の横に、袿姿の瀧夜叉姫が現れる。

 いつもと変わらぬ穏やかな笑みを湛えながらゆっくり頷いた。

 さらに白狼まで現れる。


「……ロキ」

《我はお前と契約を交わした。巫女とも繋がってはいるが、問題なかろう》

「お前たちには、戻ってあきらの力になって欲しかったんだけどな」

《なに、貴様の力が地に還元されれば、それだけで巫女の助けになる。それに、貴様の弟や従兄弟たちも居る。問題なかろう》

「……今から戻れって言っても――」

《聞かぬ》

「でしょうねぇ……」


 苦笑しながらも、采希はほんの少し嬉しいと思ってしまった。

 亡くなった魂が何処へ行くのかは知らないが、一人じゃないのは何となく安心できた。


《マスターは、怒っておられるでしょうね》


 琥珀が小さく呟く。

 白狼ロキと三郎が顔を見合わせた。


《……そうであろうな》

《一旦途切れたとはいえ、契約を振り切った形になるだろうからな》


 憂鬱そうな三郎と白狼を見て、采希はくすりと笑った。

 もう会えないのに、巫女に怒られることがそんなに怖いのか、とおかしくなった。


「こんなに大勢で押しかけても、大神さまは許してくれるかな」

《私どもの力も捧げるのであれば、お喜びになるのではないでしょうか》

《大神さまは問題なかろうが、琥珀、お主は元々仕えていた神社の主がおっただろう。どうするのだ?》


 三郎の言葉に采希は、琥珀の本体はどこぞの神社に納められた御神刀のはずだったと思い出す。しかも主神を護る御供の役割があると聞いていた。


《以前、主神さまの元からマスターの元へと参りました際、思うように生きよとのお言葉を戴いております。主神さまには、お赦し頂けると信じております》

「……そうか、一度くらい、ご挨拶しときゃ良かったな」


 采希が微笑むと、琥珀が采希の肩に乗る。


《主神さまよりも、紅蓮から苦情を受けそうですね》

「まったくだ。追い掛けて来られない場所なのが救いかな」

《采希さま、私は貴方の気配に出会えた時、この方が自分の主だと、そう確信いたしました。どこまででも、ご一緒させてください》


 真剣な表情で、そう告げる琥珀に、采希は優しく笑う。


「もう琥珀は俺の一部だ。付いて来てくれて嬉しいよ。――ロキ、三郎、瀧夜叉、お前たちも、ありがとう」



 * * * * * *



 上代家の前で、巫女は緊張しているように大きく息を吐いた。

 そんな姪に、黎は隣で意外そうな眼を向ける。


「あきら、緊張してるのか?」

「だって、黎さん……采希のご家族に会うんだぞ。どこかおかしな所はないか? この服で平気だろうか?」

「……俺には経験がないが、初めて恋人の家族に紹介される人間は、こんな様子なのか」

「こ……?」

「まあ、あまり固くなるな。とてもいい人たちだぞ」


 そう言って笑う黎に、巫女は暗い表情で俯く。


「……だけどな、私を助けるために采希はその身を捧げた。私のせいで采希を失ったんだ。それなのに、その原因である私が、のこのこと現れたら――」

織羽おとはさまがお招き下さったんだ。無碍に断る方が失礼だろう」


「そうだよ~、もうお婆ちゃん待ちくたびれてるんだからね」


 明るい声と共に朱莉がドアを開けた。

 ドアの後ろで待機していたらしい。

 黎はそっと笑って、姪の身体を前に押し出す。


「あきらちゃん? 采希の母の朱莉です。よろしくね」

「あ……あの、宮守晴明はるあきらです。よろしく、お願いいたします!」


 ぶんっ、と音がしそうな勢いで、巫女が頭を下げる。


「あら、本当は『はるあきら』ちゃんなんだ。だったら『はるちゃん』でもいいのにね。采希ったら、気が利かないな」

「朱莉さん、元々うちの家族も『あきら』と呼んでます。対外的には『宮守あきら』で通してるので」

「……もしかして、『晴明はるあきら』は真名とやら?」

「いえ、戸籍上の名前です。あきらは通称ですね」


 納得したように頷き、朱莉は二人を招き入れた。

 居間には織羽と蒼依、そして凱斗たち四人が揃っていた。


「あきらちゃん、いらっしゃいませ」

「待ってたよ~、巫女装束を期待してたけど、そういうワンピースも似合うねぇ」

「あきら、もう身体は元通りなのか?」

「あきらちゃん、コーヒー? 紅茶? それともお酒にする?」


 明るく声を掛けてくれる凱斗たちに、巫女は思わず眼を伏せる。


 采希を犠牲にして戻った自分を、誰一人、責めなかった。自分の前では暗い表情すらしないでくれた。

 采希の想いを尊重しようと振る舞う凱斗たちに、頭が下がる思いだった。


「朔の巫女さま、はじめまして。上代織羽と申します。采希が、本当にお世話になりました」

「いえ! あの、……」


 優しく微笑む織羽に、巫女は泣きそうになった。

 世話になったのは圧倒的に自分の方だ。


「織羽さま、本当に、申し訳ありませんでした」

「何を謝るんです? 貴女はずっと采希を護ろうとして下さった。采希はそのご恩に報いるために、自分に残された命をとても有効に使ったと、思っていますよ」


 堪らず巫女が俯く。

 その肩に、那岐がそっと手を乗せた。


「あきらちゃん、誰もあきらちゃんのせいだなんて、思ってないよ。僕は、あきらちゃんを取り戻した采希兄さんを誇りに思ってる。僕ら、みんながそう思っているんだよ」

「那岐、だけど……」

「采希兄さんの身体は、もう限界だった。だから兄さんはその身体が朽ちる前に、力を大神さまに捧げたんだ。朽ちてしまってからでは捧げる事が出来ないから」

「……」

「そうだよ、あきらちゃん。そこまでの覚悟をしたってのに、謝られたりしたら、采希が気の毒だって思わない?」


 凱斗の言葉で巫女は、はっと顔を上げる。

 そうだ、自分は采希の覚悟に報いるために、この地を護ると誓った。

 ここで逡巡している場合ではないのだろう、と理解した。


「……巫女さまも、覚悟を決められたようですね」


 織羽の微笑む顔を見つめ、巫女は意思の籠った眼で頷いた。


「では、黎さん。ひとつ、お願いです」

「はい、何でしょう、織羽さま」

「この子たちを……黎さんの組織で使ってやって頂けませんか?」


 織羽の言葉が終わる前に、凱斗たちが一斉に頭を下げる。


「四人とも、ですか?」

「はい。皆、采希の意思を継ぎたいと申しております」

「それは……」


 黎にとっては、正直、ありがたい申し出だった。

 何よりも、優秀な能力者は常に需要が高い。

 彼らならば、ある程度の訓練で即戦力となる。


「こちらにとっても、非常にありがたいお話です。ですが、全く危険がない訳ではありません。それでも……?」

「大丈夫だよ、黎さん」


 凱斗が笑顔を見せる。その眼には、揺るぎない意思があった。


「どんな訓練にも耐えてみせる。まあ、琉斗は少し、使いどころに困るとは思うけど」


 凱斗の言葉に不機嫌そうな顔になる琉斗の隣で、那岐と榛冴も大きく頷いた。


「あのね黎さん、実働部隊としても働かせて欲しいけど、僕は柊耶さんの仕事も手伝わせて貰いたいんだ」

「あ、僕もです。シンさんのお手伝いがしたい」


 那岐と榛冴が身を乗り出す。


「……なるほど。って事は凱斗も?」

「俺はカイさんから、色々教わりたい」

「だろうな」


 既にカイたちからは、凱斗たちを後継者候補にしたいと言われている。

 黎にも異存はなかった。


 ただし、凱斗たちは成人済とはいえ、母親たちはどう思っているのかが気に掛かった。

 ちらりと朱莉と蒼依に視線を送ると、二人から笑顔が帰ってくる。


「こちらは問題ないよ、黎くん。でも、ちょっとお願いしていいかな?」

「……少し怖い気もしますが、聞かせてもらえますか?」

「「あきらちゃんを、時々遊びに来させて!」」


 見事に母親たち双子の声が揃う。


「…………え?」

「うちには息子たちばっかりだからさ、娘が欲しかったの」

「こんなに可愛い娘が出来るなんて嬉しいよねー」


 黎に詰め寄る勢いで、朱莉と蒼依が身を乗り出した。


「あの……采希がいなくても、私を娘と思って下さるんですか?」

「もちろん! ああ、冥婚させるとか、そんなんじゃないからね。あの・・采希が惚れ込んだあきらちゃんなら、うちの娘として歓迎するよ!」

「一緒に買い物とかー、料理なんかもしたいよね。こんなに美人なんだから、着飾らせてみたいし」


 盛り上がる母親たちに、黎は思わず苦笑する。


「それと、采希の代わりにうちの誰かを押し付けたりはしないから。私の中では、あきらちゃんは采希の大事な人だからね。……それでも、あきらちゃんを束縛はしない。好きな人が出来たら、遠慮なく、采希の事は忘れていいと思ってるよ」


 呆けたように固まっていた巫女の眼から、ぼろりと涙が溢れた。黎が慌てて巫女の肩に手を掛ける。


「……あきら?」

「……嬉しい」

「…………そうか」

「朱莉さん、蒼依さん、こんなガサツな娘で良ければ、よろしくお願いします」


 そう言って頭を下げる巫女に、ふっと朱莉が破顔する。


「たくさん、采希の話をしよう。采希が心に決めた人だから、あきらちゃんがここを嫌になるまでは、もううちの子だよ」

「はい!」


 幼くして両親を亡くした巫女の、親代わりとなってきた黎は、少しほっとしたように笑う。

 いつかは嫁に出せれば、という夢はついえてしまったかもしれない。

 それでも、こんな優しい人たちに家族と認められた事が、とても嬉しく思われた。


(親代わりの重責から解放されて喜ぶべきだろうが……)


 巫女は料理どころか、女らしいと言われる行動や言動、そしてセンスも持ち合わせてはいない。

 黎には、朱莉と蒼依をがっかりさせてしまわないようにと、それだけを願った。


 * * * * * *


《儂は当時、特に何をするでもなく、放浪しておっての》


 三郎は遠くを見るように語りだした。


《ある日、気付くと、おかしな檻の中におった》

「檻? それは何かの罠だったのか?」

《似たようなものだ。古い結界の残る地で、誰ぞが召喚の儀を行ったようだ。油断したとはいえ、あの程度の業で捕らえられた。……しょっく、だったのぅ》


 軽く吹き出しそうになり、采希は辛うじて堪える。


「そんなに巧妙な術だったのか?」

《いや、そうでもない。油断したのは事実だが、弱すぎる呪で咄嗟に気付くのが遅れた。しかも、そこから出る事が出来ぬ。どうしたものかと思案していた所に、中学とやらに入ったばかりの巫女と出会った》




『……お前、何故そんな所に囚われているんだ? お前の力なら、すぐにでも抜け出せるだろう』


 巫女が驚いたように儂を見ていた。


《どうやらこの檻は、霊力を阻害するようだ。力が上手く伝わらぬ》

『……あー、外側と内部の術式を変えてあるのか』


 結界の檻に触れた巫女は、少し面白そうに笑った。


『こんなちゃちな檻なのに、場の力を上手く利用してるな。――お前、名は何と言う?』

《……三郎、と》

『そうか。お前、俺の眷属にならないか? 強い霊体を捜していたんだ』

《強い、霊体? ……ひとつ、尋ねてよいか?》

『なんだ?』

《儂が誰なのか、知っておるのか? 知った上で儂を使役しようとしておると?》


 少し不機嫌になった儂に、巫女は笑顔で頭を横に振った。

 儂を捕らえていた檻に手を翳し、瞬きの間に檻を消し去った。


『いや、すまないが強い武将だったらしい事くらいしか、俺には分からない。お前の魂は人を惹き付け、人を従える性質のようだが、戦国武将の姿を残した写真はほとんどないからな』


 そう言って笑う巫女からは、尋常でない程の気配と力が感じられた。

 そういった者に従うと、こちらも力の恩恵を受ける。


《……貴様に、従おう。この儂を従えようとするその意気、気に入った》

『では、三郎。契約だ』



 采希は思わず頭を抱えそうになった。

 何処に行っても何をしていても、巫女は巫女だった。

 この分だと、他の眷属も……? と思い、そっと白狼と瀧夜叉を振り返る。

 白狼ロキは少し虚ろな眼で、遠くを見ていた。


《我も似たようなものだな。強い気配に惹かれて、霊退治の真っ最中だった巫女にうっかり近付いてしまい、危うく邪霊もろとも消し去られそうになった》

「……ロキを、消す?」

《すんでのところで巫女が力を逸らしてくれてな。あまりに大きな力の気配に、驚いた。気付いたら我の方から契約を申し出ていたな》

「……瀧夜叉も、そんな感じか?」

《瀧夜叉は、ゆるりと神域で微睡んでいた所を、巫女によって此岸に引き摺り出されたらしいぞ》

「引き摺り出されたぁ?」


 琥珀の通訳によると、呪の解除に難儀した巫女が術師の気配を追って、瀧夜叉姫へと辿り着いたらしかった。

 術師本人ではないものの、同じ系統の当の術師よりも強力な呪術を操る瀧夜叉姫を見つけ、嬉々として召喚し、手伝わせたとのことだった。


 苦笑しながら、采希は三郎たちを気の毒そうに眺める。

 強引に誘われた三郎も、巻き添えで消滅させられそうになった白狼も、無理矢理巻き込まれた瀧夜叉姫も、誰も巫女を恨んでいる様子はなかった。

 それどころか采希には、彼らが楽しい思い出を話すような調子に聞こえた。


《巫女のおかげで、儂も随分と楽しませてもらった。これからの巫女のためになるのなら、儂の力は大神さまに受け取ってもらうと決めたのだ》

《我も同意見だな。瀧夜叉もそうだと思うぞ》


 巫女は眷属を使役するが、ほとんどは自分が率先して動く。眷属たちに無茶を強いる事はなかった。

 心根の優しい巫女を、眷属たちは本当に慕っているのが、采希には痛いほど分かった。


 巫女を助けるために、自らの力を捧げて消える。

 同じ願いを持った采希だからこそ、同行してくれたのだろうと思った。


「……俺はさ、正直言って、死ぬのが少し怖い。死んだらどうなるかとか、残してきた家族の事を考えると不安になる」

《だからこそ、我らが共に逝こうと言っておる》

「…………そうだな」

《迎えが、来られたようだ》


 三郎の声に、采希が顔を上げる。

 前方に虹色の環が浮かんでいた。


「大神さま……」


 眩しい程の光が、手招きするように動く。

 采希は背後にいた白狼と瀧夜叉姫を振り返り、肩に乗った琥珀を見て微笑む。

 隣に浮かぶ三郎と眼が合う。黙って頷いてみせると、三郎がにやりと笑った。


《では、我が友。参ろうか》

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